4 今宵は語り合おう

 乱入してきた男の足は丸太のごとく。天井に頭をぶつけそうな背の高さに目を奪われた隙に、虞姫ぐきに手首をつかまれ捻り上げられていた。

「待て待て! 虞姫も待て!」


 ドスドス寄った男が樹延ジュエンの手から短刀を取り上げると、虞姫の手が離れた。ほんのわずかな時間だったが、握られていた辺りがジンジンする。女人の力にしては強く、オルツィのように戦闘の訓練も受けているのだろう。


「樹延、お前なぁ。女にやるなら首じゃなくて首飾りにしろ。首はいろんな意味で重たすぎるぞ?」

 いきなり肩を組まれたが、男は大きな体中から湯が沸いているように熱い。


「それから虞姫も、こいつの大事な女を人質にするってのはちと卑怯だな。俺は反対する」

 虞姫は仕事の邪魔をされたわけだが、気分を害したわけでもなく、いたずらっ子を優しくたしなめる母のような顔をした。


「おかげで、樹延殿の本音も分かりましたわ」

「うむっ! 惚れた女の為に命を捧げる。気に入ったぞ。そういう熱い奴だとは思ってなかった」


「違いますが」

 一応反論してみるが思った通り、大男の耳には届いていない。


「さすがは扶蘇ふその師範だ。気に入った!」

「扶蘇殿下をご存知なのですか」

「俺にとっては最高の友だ。会ったのは一度きりだが、そんなのは関係ない。惜しい男を亡くしたな」


 大男は扶蘇と同じ年代にみえ、嘘を言っているようには感じなかった。


「俺は項羽こううだ」

「あなたがでしたか! 殿下から聞き及んでいます。しかし項家といえば」


 項家は代々楚の将軍だ。楚が滅亡した時に取り潰されなかったのか。

 項羽は口の端をちょっと上げてみせた。


「将軍だった祖父も父も戦死し、俺は叔父と共に逃げ暮らしてきた。だが扶蘇とは、互いの身分などどうでも良かったのだ」


 史上初めて中原を制した始皇帝の長子として、扶蘇は誰からも特別視される存在だった。最も近くにいる樹延ですら例外ではなかったが、項羽だけは違ったのかもしれない。

 肩を組まれたまま、樹延はこの暑苦しい男の熱を受け入れ始めていた。


「殿下は人からは好かれる方でしたが、心を許せるお相手はわずかでしたので。項羽殿という友がおられたのは、私にとっても喜びです」

「想いを寄せていた芳玉ファンユという女官とはどうなったんだ?」


「そこまでご存じでしたか。うまくいっていましたよ」

「くーっ! だろうなあいつならな!」

 バシンと樹延の膝を叩いて、項羽は白い歯を見せた。叩かれた箇所が猛烈に熱い。


「俺は扶蘇の描く未来なら、しんに仕えるのも悪くないと本気で思っていたんだ。なのにこんな事になるなんてな」

 虞姫がすっと立ち上がり、ユルトを後にする。男同士になると、項羽はずばり切り込んできた。


「俺はあいつを殺した李斯りし趙高ちょうこうを許さない。お前はどうだ、樹延。奴らはいずれここにたどり着くぞ」


 樹延は答えられなかった。扶蘇の命を奪ったのは己なのだ。命じたのが始皇帝であれ誰であろうが、扶蘇が運命を受け入れていようが、それは言い訳に過ぎない。だから項羽のように、李斯と趙高を仇として憎しみを募らせるのは違うのだ。


 しかし、一つだけ心底思うことがある。

「西の村の人たちに危険が及ぶのは阻止したいです」


 蒙恬もうてんはそうならぬよう、始皇帝との間をうまく取り持っていた。トノウら幻獣守との信頼関係もあった。蒙恬が守ろうとしたものなら守りたい。


「李斯と趙高が蒙恬と同じとは限らん。むしろ同じにならんと俺は思うぞ」

「東の村は、秦に対抗するおつもりですか」

「無論だ」


 もし李斯と趙高が軍勢を率いてきたら。戦火に焼かれる森を想像し、樹延は膝の上で拳を握った。だがここで項羽に恭順しても、幻獣をめぐって秦と楚の争いになるだけだ。


「虞姫殿にも伝えましたが、それでは西と東が争うことになりませんか」

「そうはならん」


「つまり、戦になる前に項羽殿が一早く幻獣の力を手に入れ、秦に勝つおつもりですか」

「俺がうんと言うと、お前は協力しづらくなるよなぁ」


 秦にはもう戻れない。だが祖国を捨てるまでの決断はできない。項家が楚に仕えてきたのと同様に、樹延の家系も代々秦王家に仕えてきたのだ。言い当てられて樹延は下を向く。


「ところでさ。お前、虞姫ぐきの裸を見たんだよな? どうだった?」

「は」


「やっぱすごかったか? おっぱいは大きくて桃色か? 腰の張り出し具合は?」

「えぁえ……」

 顔が熱を持ったので、想像しているのがバレたようだ。


「ちくしょうめ、俺だってまだなんだぜ? うらやましい奴だ!」

 肩をバシンとされ、衝撃に上半身がぐらつく。


「俺はあいつに惚れてる。誇り高い女でな、絹の着物や宝石なんかじゃ心までは売り渡さん。だが近いうちに、あれの方から抱いてほしいと言わせてみせる。それまでは指一本触れないと決めてるんだ。なのにお前よぅ! このぉ! しかも断りやがって! もしやってたらブッ殺してたけどな」


 どうやら命拾いしたようだ。このままどつかれ続けても内臓が損傷しそうだが。

 すると項羽は「よし、首飾りを作るぞ。ちょっと待て」とユルトから出て行き、半刻もすると鉱石と道具を手に戻ってきた。


「贈り物だけで人の心は奪えんが、まったく無駄ではないと思うぞ。俺は虞姫に作るから、お前も西の女に贈れ」


「ですから私は」

「それくらい付き合え。互いに好いた女を思いながら、今夜は扶蘇のことを語り合いたいんだよ」


 項羽こううは道具を手に取り、石の台の上で鉱石を削り始める。石英石だろうか。

 オルツィが鉱石を集めていたのを思い出す。なんとなく手に取ったのは、青味が見え隠れする鉱石だった。


「目が高いな。その色はなかなか採取できないんだぜ」

「失礼しました。お返しします」

「いいさいいさ。お前の女に似合うんだろう? どんな女だ?」

「ですからそうではなくて」


「往生際の悪い男だな。俺が先に奪ってやろうか」

「それは聞き捨てなりません」

「カワイイんだろ? 俺以外にも同じことを考える男はいるだろうな」

 ミグの顔が思い浮かんでしまった。


「で、どんな女だ?」

「……青い目が綺麗な人です。幻獣守で、よく笑って活発で、しっかりしていて。でも泣き虫な一面もあります」


「幻獣守か。じゃあ虞姫と同じで肝が太いな。おっぱいはどうだ? 尻は丸く張ってるか?」

「そういう目では見ていませんので」

「なんだ、壁か」


「違います。ちゃんと育っています」

「見てるじゃんか」

「違います」


 これ以上詮索されたくない樹延は、作業に取りかかることにする。

 先の尖った金属を当て、上から石で叩きながら削っていく。少しずつ削りながら、形を整えていくらしい。見様見真似でやってみるが、力技でどうにかしようとすると割れてしまいそうだ。よく狙って力を伝えなければならない。


「虞姫はな、初対面で俺に矢を向けてきたんだ。あの顔と体つきで、勇ましく威嚇してくるんだぜ。ゾクゾクするだろ。一目で惚れたよ」


「女傑であられますね」

「そうなんだよ! 見目が美しいだけの女はいくらでもいるが、あれは他にいないだろうな。お前の女もそうか?」


 槍を背負い、馬で駆けるオルツィの姿が浮かぶ。秦では馬に跨る女人など見たことがなかった。華やかに着飾ることだけが美しさではないと、その点は深く同意し頷く。


「共に馬で駆ける時間はとても楽しくて。言葉はなくても、いつもあっという間に過ぎます」

「いいなぁそれ。俺も明日誘ってみるかな」


 石を叩くと表面が削り落ち、鮮やかな青色が現れた。

「おおっ。こいつはすげぇ」

 暑苦しい身を寄せ、項羽もまじまじ見ている。

 オルツィの瞳と同じ色だ。樹延は少し微笑んで、手を動かした。

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