クリスマスイブ

くれは

クリスマスイブ

 「別れよう、俺たち」


 言葉が出て来ない。

 今日、このタイミングで、このシチュエーションで、最も聞きたくない言葉だった。

 

 弥生は、一月も前から、この日のために準備してきた。

 恋人の爽太と付き合って、もうすぐ1年になる。

 今年が、初めてのクリスマスなのだ。

 去年までは、学生だったが、春からお互い、社会人になった。

 何とか、時間をやりくりして、会っていたが、このところ忙しくて、予定が合わない。

 だから、せめて今日くらいは、一緒に過ごしたいと、前々から話していたのに、昨日になって、

「どうしても、外せない予定があって、会えない」

と、連絡が来た。

 これは、あんまりだ。クリスマスプレゼントを苦労して用意したのだ。

 第一、クリスマスイブにデートもできない恋人って、アリなのだろうか?

 その思いを爽太にぶつけて、何とか1時間だけなら…という、約束を取り付けた。

 

 その時は、会える嬉しさに、あまり深く考えなかったが、よく考えれば、この結果は、予測が付いたと思う。今になってみれば…。


「…どうして?」

 やっとのことで、声を絞り出した。

「こういうところ。重いんだよ。俺には無理」

 彼は、さっき渡したクリスマスプレゼントを、指さす。

 手編みのセーターだ。会えなかった時間に、せっせと編んだ。最後は間に合わなくて、寝る時間を削って仕上げた。

「これ着てどこに行けるの?どこまでも、お前に縛り付けられてるって感じるだけだよ。社会人なんだから、どうせなら、ブランドの財布とか時計とかにしてくれればよかったのに」


 聞きながら、弥生の顔が蒼白になっていく。

 唇が震える。

「とにかく…」

 ため息をつきながら、爽太が言う。

「もう、連絡しないでくれ。これっきりにしよう。最初から、ナンカ合わないな、と思ってたんだ」


 伝票を持って、立ち上がる。

「じゃあね…」

 テーブルには、包みを破られたセーターが、置き去りにされていた。

 立ち上がって、追いかける気力が湧いてこない。しばらく、呆然としていたが、チラチラとこちらを見る、周囲の視線が気になった。

 仕方なく、立ち上がる。

 テーブルの上のセーターは、どうしよう。

 判断に迷ったが、置いていかれても、迷惑だろう。そのまま鷲掴みにする。

 弥生は、店を出た所で、捨てようと思った。


 空は、どんよりと曇っていた。

 今にも、振り出しそうな予感がする。


 ブラブラ歩いて、目についた小さな公園に入った。

 日曜日だ。親子連れが数組いた。

 空いているベンチに腰を下ろす。

 ため息をつく。息が震えている。寒い。


 爽太とは、大学のサークルで一緒だった。陽気で、一緒にいる人を楽しませる事に長けていた。いつも人の輪の中心にいた。地味な自分とは違う世界の人間だと、弥生は思っていたから、卒業間際に、告白された時には、心底驚いた。…だけど、受け入れた。ずっと、好きだったから。


 しばらくは、有頂天だった。けれども、上り詰めたら、後は下るだけなのだ。少しずつ、会える機会が減ってきた。不安が加速する。

 その不安を打ち消すために、一心に編んだのに…。


 弥生は、掴んでいたセーターを、そばのゴミ箱に、叩き入れた。


 しばらく、遊ぶ子供たちを、ボーッと眺めていた。屈託なく笑っている。

 無邪気な子供たちに、今夜サンタさんは、どんなプレゼントをくれるのだろうか、と思ってみる。自分へのプレゼントは、苦い別れか…と、自嘲する。 

「大人だって、頑張ってるのにね…」

 声に出して言うと、悲しくなってくる。涙が溢れてくる。


「…あの…、そのセーター、捨てるんだったら、もらっていいですか…?」

 いきなり、声が降ってきた。

 驚いて、傍らを見上げると、男が一人立っていた。

 この寒空に、白いシャツと黒のズボン姿で、ガタガタと震えている。


「…どうぞ」

「ありがとうございます。財布とスマホごと、上着を盗まれちゃって、困ってたんです」

 そんなことを言いながら、もそもそと、手編みのセーターを着る。サイズは、ピッタリだった。

「あったかい!生き返った。助かりました」

 弥生は、男をまじまじと眺めた。20代だろう。もしかしたら、自分と同じくらいか。背が高い。染めていない黒髪が、サラサラと顔にかかる。切れ長の二重の目、瞳は優しげだ。すっきりした鼻梁、幼さが残る口元。充分、イケメンの部類に入るだろう。

 クリスマスイブの夕方に、泥棒に遭って、うろうろしている間抜けには、思えない。弥生の心に、わずかに警戒心が湧いてくる。


「隣、座っていいですか?」

「…どうぞ」

「これ、手編みですよね。彼氏へのプレゼントじゃないんですか?」

 弥生は、相手を見ずに、つぶやいた。

「いいんです。さっき、振られました。持って帰ってもしょうがないんで、あげます」

 そう言うと、徐に立ち上がった。もう、辺りは暗くなってきた。街灯の灯りが、瞬いている。公園の人影も無くなった。

 弥生が歩き出すと、

「待って!」

と、声が追いかけて来た。

「あの、僕、どうしたらいいんでしょう?」

 呆れた。



 電車賃も無い。アパートの鍵も無い。泊めてくれる友達に連絡しようにも、スマホが無い。番号なんて覚えてもいない。実家は熊本で、飛行機じゃないと帰れない。学生だから、勤め先も無い。


 年下の大学生だと思うと、かわいそうに思えてきた。


「…うちに、来る?」


 二つ返事で、嬉しそうについて来た。


 道々、聞いてみると、名の知れた有名大学の3年生で、アルバイトの帰りだったと言う。冬休みなので、来週は実家に帰る予定だった。三人兄弟の真ん中。実家で飼っている柴犬の名前は『イチ』。そんなことまで、喋る。

「あ、自分の名前、言うの忘れてました。翔真です。高畑翔真」


 多分、お腹が空いてるだろうと考えて、途中、コンビニに寄った。軽い食事とチキン、ショートケーキにシャンパンを買った。

 クリスマスイブだから。見知らぬ男と、祝っても、バチは当たらないだろう、と思った。


 テレビのお笑い番組を見ながら、二人で笑い転げ、笑いながら、チキンを食べ、シャンパンを飲んだ。

 翔真は、山岳部に所属していて、山でのエピソードを、面白ろおかしく語った。それを聞いて、また笑いながら、時間を忘れた。振られた心の痛みもしばし忘れた。


 イブの夜が更けていく。


 彼が着るはずだった、セーターを着た翔真が、黙って弥生を見つめる。


「…いい…?」


 聞きながら、弥生の頬に手を伸ばす。


「うん…」


 唇が重なる。

 互いの体温を感じながら、薄暗がりの中、肌を合わせていく。

 熱い息遣いと、密やかに漏れる声が、部屋の空気に溶けていく。



 クリスマスの朝が来た。

 子供のいる家には、サンタの到来に喜ぶ声が上がる時間だろう。


 弥生は、目を開けて、隣を見た。

 サンタの贈り物は無かったが、別の幸福がそこにあった。自分の顔を覗き込んで、微笑む翔真がいた。


「おはよう、シャワー、借りてもいい?」

 ベッドから出て、裸のまま浴室に向かう。

 その後姿を見送って、まだ、昨夜の余韻の中にいた弥生は、昨日からのジェットコースターのような展開に戸惑っていた。会ったその日に、こんな事になるなんて、これまでの自分には、考えられないことだった。

 これから、どうすれば良いのか。翔真の気持ちを推し量る。付き合うのかどうかなんて、分からない。でも、確実に別れの痛みからは、遠ざかっている自分を感じた。


 ふと、その時、翔真の脱ぎ捨てたズボンのポケットに、何か入っているのが見えた。手に取って、引っ張り出して見ると、黒いエプロンだった。店名のロゴが入っている。


 その瞬間、全ての事が、弥生の頭の中で、一本の糸で繋がった。


 目の前に、シャワーから出て、タオルを腰に巻いた翔真が立っていた。


「あそこに、いたのね…」


「うん…。ごめん。嘘をついてた」


「どうして?」


「あの店で、バイト中に、君が別れを告げられているのを見た。衝撃だったよ。悲しそうな目をして、黙って座っている君が、とても綺麗だった。何かの肖像画みたいで、目が離せなかった。店を出た君を、慌てて追いかけた。心配だったんだ。ショックを受けているだろうから」


「見当たらなくて、あちこち探したよ。やっと、あの公園で見つけた。嬉しかった。バイトのままだったんで、凍えてしまってたけどね。君が無事で、ホッとしたよ」


 弥生は、黙ったまま翔真を見つめていた。その真意を見極めたいと思っていた。


「嘘をついたのは『盗まれた』と言うことだけ、後は全部正直に話した。…でも、ごめん。君の親切につけ込んだのは、間違いない。許して欲しい。その上で、改めて、言うよ」


「弥生、君に恋をしてる」


 どんな顔をすれば、いいのか。騙されたことは、ショックだった。でも、その奥に、自分に対する溢れる思いが、見える。それを、どう受け止めればいいのか。


 弥生は、迷った末に、口を開いた。

「あのままだったら、私、今頃は惨めで、悲しくて、クリスマスが大嫌いになってたと思う。あなたに救われた。でも、嘘は嫌。許せない」


 翔真が項垂れる。


「だから、私が許したくなるまで、そばにいて」


 翔真の手が頬を包み込む。

 そっと、唇を塞ぐ。


「了解」



 クリスマスの祝福は、全ての愛ある者に贈られる。




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