第6話 そうやって私たちは大人になっていくのだろう
魔法降ろしの鳥を取り戻した私は、世界がいつもと違って見えるような気がした。花も、空も、音楽も、すべてが新鮮なように感じた。ああ、私はこんな気持ちをずっと忘れていたんだなと、改めて感じた。私はずっと、純粋な心を失っていた。
しかし、魔法降ろしの鳥も言っていたように、純粋な心を失うというのは仕方がないことなのかもしれない。いつまでもサンタクロースがいて、クリスマスイブにはトナカイを引いて世界各地の家の煙突からプレゼントを落としているんだよ、なんて言っていられない。でも、そういう純粋さだって、忘れたくない。
私は魔法降ろしの鳥の話を聞いて、学校は純粋な心を失わせる場所だ、と解釈した。しかしそれはちょっと違っていたのかもしれない。魔法降ろしの鳥を取り戻した次の週、学校へ行ったら、そこの景色はとびきり素晴らしいもののように感じた。その学校の景色を、息をのみながら見ていると、中学1年生の子が私に挨拶をしてきた。
「あかりさん、おはようございます」とその子は言った。
「おはよう」と私はその子の顔を見て満面の笑みで言った。
その子は顔も少しぎこちない笑みを返してきた。その子の頬は、赤くなっていた。私もまた微笑み返すと、その子は「じゃあ」と素早くいって、学校へ向かってしまった。
ああ、挨拶ってなんて素晴らしいのだろう、と私は中学3年生にして思った。こんなに気持ちのいいものだとは知らなかった。
特別支援級でカバンをしまい、朝の身支度をして中学3年生教室へ向かった。そこには近藤がいた。
「おはよう」と私は満面の笑みで言った。
彼は一瞬戸惑ったように、別の方向を向いた。そして私の顔を見て、彼も緊張が解けたかのような顔で微笑み、「おはよう」と返してきた。
学校というのは、確かに純粋な心を失わせる場所かもしれない。けれど、それは体が大きくなるにつれて昔着ていた服が着られなくなるのと同じように、純粋な心を失うということは、成長の過程の1つなのではないかと思う。そうやって私たちは、ちょっとずつ大人になっていく。
そしてその週の休みの日に、私はかおると会った。会う約束をしていたわけではないが、私は引き寄せられるかのようにいつもかおると会う場所に足が進み、案の定そこで彼女と会った。
「こんにちは、あかりさん」とかおるは満面の笑みで言った。
「こんにちは、かおるちゃん」と私はかおるに負けないくらいの満面の笑みで言った。
そして私たちはベンチに腰を下ろした。かおるは案の定、眼鏡のフレームをカチッと押さえる仕草をした。魔法降ろしの鳥を取り戻して気づいたことだが、彼女のその仕草は、純粋な心があるかないかに関係なく、心を揺さぶられるものがあった。
「魔法降ろしの鳥、見つけたよ」と私は言った。
「そうだと思った。よかったわね」と彼女は微笑んで言った。
「取り戻したんだ。純粋な心を」と私は言った。
「素敵な笑みだったよ」と彼女は言って笑った。私も笑った。
「どうやって見つけたの?」と彼女は聞いた。
私は魔法降ろしの鳥を見つけるまでの過程を話した。かおるを抱きしめた日の夜、私は幻想の世界に足を踏み入れた。そこでの風景や感じたことについて話した。
「川の水を飲んだんだ。そしたら純粋な心を取り戻したらしい。魔法降ろしの鳥によると、私はあなたを受け入れたおかげで、その川の水を飲むことができて、そして純粋な心を取り戻すことができたらしい」と私は言った。
「私を受け入れた?」とかおるは言って、彼女はしばらく下を向いて黙っていた。そして顔を上げてこう言った。「確かにあの時は、私も受け入れられたような気持ちになった。なんだか優しいものに包まれたみたい。あ、これ、比喩じゃないよ」と彼女は言った。私たちは笑った。
かおるは幻想の世界へ行ったのだろうか?行ったとしたら、戻ってきたのだろうか?
「私もね、実はその夜、幻想の世界へ行ったの」と彼女は言った。
私は黙って続きを待った。
「私の幻想の世界は、緑にあふれていた。美しい平原、どこまでも続く森、広い空。美しい風景だったの。私はその景色を見て、うっとりして、ボーっとしていたら、すごい音が後ろのほうでなったの。ドカン!って。それで、後ろを振り向いてみたら、大砲やら何やらで自然を破壊していたの。このままじゃ、あたりが火の海になってしまうと、私は思ったわ」と彼女は、息を何度も吸いながらゆっくり言った。
「そんなの間違っている」と私は思わず声が漏れた。
「私もそう思うの」と彼女は言った。
「それで、私は魔法降ろしの鳥を探したの。すぐ見つかったわ。隣にいたからね。それで魔法降ろしの鳥に聞いたの。何でこんなことが起きているのかって。そしたら魔法降ろしの鳥はこう言った。『あれは理不尽なやり方だ』って。ただそれだけなの。でも私は魔法降ろしの鳥が言いたいことが分かったわ」
「それで、あなたはこの世界に戻ってきた」と私は言った。
「そう。幻想の世界で目を閉じて、こっちの世界に戻ってきた。そしてその日私は、先生と親にいじめられていることを伝えたの」と彼女は言った。
「それがいいと思う」と私は言った。
「うん、いままでいじめられているのは私が原因なんじゃないかって心のどこかで思っていたの。でも、そうじゃないことに気づいて、先生と親に相談した」と彼女は言った。
そうだよ、あなたは何も間違っていない、と私は声にならない声で言った。私は彼女をそっと抱きしめた。彼女は私に抱きしめられると、疲れ果てた子猫のように眠ってしまった。私はそんな彼女の寝顔を見た。うっとりしてしまうほどきれいだった。
ねえかおるちゃん、と私は心の中で言った。あなたはまだ、純粋な心を持っている。美しい川みたいに、透き通ったきれいな心。でも、いつかはそれを失ってしまうかもしれない。しかしそれは仕方がないことなんだ。だから、もしあなたが魔法降ろしの鳥を失ってしまったときは、それを受け入れないといけないの。でもね、理不尽な形で逃がしてはいけないよ。絶対。ほかの誰かによって理不尽に、暴力的に失ってしまったら、あなたは心に大きな傷を負ってしまう。川の水を海に流すかのように、穏やかで、自然に、魔法降ろしの鳥を逃がさないといけない。
やがて日が落ちてきて、それに合わせてかおるが目を覚まし、お馴染みの仕草をしてから、私のほうを向いてにっこり微笑んだ。私もにっこり微笑んだ。そろそろ帰らなくてはならない。
「ねえかおるちゃん、いま何か夢見ていた?」と私は帰り際に聞いた。
「うん、見てたよ。でもどんな夢だったか、ちょっと忘れちゃったな」とかおるは微笑んでいった。
「じゃあね、かおるちゃん」と私は手を振って言った。
「じゃあね、あかりさん」と彼女も多分、手を振って言った。
私たちは成長するにつれて、何かを得る時もあるし、何かを失う時もある。そして失ったものに限って、取り戻すことができなくて、大きな意味を持つものだったりする。でもそういったものを失わないと、私たちは成長できないのかもしれない。だから、失ったものは失ったと、受け入れなくてはならない。そうやって私たちは大人になっていくのだろう。多分ね。
架空の鳥を追いかけて ねじまき @nejimaki_
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