第069話 天使の囁き

 ──戦姫團設営の救護所。

 戦姫團の重軽傷者、そして改国派の重傷者が、バタバタと運ばれてくる。

 改国派の軽傷者は捕縛の上で手当てを受け、臨時の収容所で拘束。

 リムは運ばれてきた負傷者のトリアージ、並びに応急手当に従事。

 右肩に銃弾を受けた戦姫團の負傷兵の傷口を、リムは消毒液を染み込ませた布で拭き上げ、傷油紙しょうゆしをあてがい、その上から包帯を巻く──。


「……弾は抜けてますっ! 痛みは辛いでしょうが、しっかり消毒しましたから化膿の心配はありませんっ!」


 応急処置を受けた女性兵が、包帯越しに右肩へ左手を添え、頬を引きつらせながらも気丈に笑みを作った。


「ふふっ……。以前手当てしてもらったところに、またケガをしてしまって……すまないな」


「えっ……? あっ……!」


 リムにはその負傷兵の顔に、見覚えがあった。

 かつて蟲の軍勢との戦いにおいて、同期を蟲に殺された女性兵。

 右肩の重傷を堪えながら、「腕の一本くれてやるっ!」と仇討ちに躍起。

 しかし救護に当たったリムは、「民間人だろうがニセ受験者だろうが、どけないものはどけませんっ!」と、その無謀な仇討ちを懸命に押さえつけた。

 当時と異なり、その負傷兵はおとなしく腰を床に下ろしたまま。


「……あのとき、懸命に止めてくれたことを感謝している。死に急いでいれば……戦死した同胞を、悼むこともできなかった」


「あなたは……蟲との戦いの、あのときの?」(※1)


「リム・デックス……。著作はすべて拝読している。国民的な名声を受けてもなお、このように義勇兵として馳せ参じてくれること……ありがたし!」


「い……いえ。わたしこそ、歴史ある戦姫團の入團試験へ、不正で挑んでしまった身。この程度の助力では、とても罪を拭えません……」


「いい、それはもういい。きっと……それも込みで、先生は戦姫團に関わっていたのだろう。今度は先生の指示通り、傷の回復に専念する……」


「は、はい……。どうぞ、お大事に……ぐすっ……あぐっ……」


 子どもが好きで、教職に就きたかったリム。

 戦姫團の一次試験を突破すれば教職の資格を得られることを幸いに、不正な身代り受験で一次試験を通過した。

 結局はその不正もばれて失格となった身だが、それでもなお、戦姫團兵から「先生」と呼ばれた事実に、リムは悔恨の涙を抑えきれない。


「すみません……。少し、席を外させていただきます……ぐすっ……」


 言いながらリムは、「せき」ではなく「せき」から逃げ出していると痛感。

 関係者を欺き、真面目に入團試験に臨んだ少女たちから一枠を奪った罪。

 漫画家として大成すればするほど、その罪の意識が胸の内で膨らむ。

 涙を止める間だけ持ち場を離れたリムに、空のベッドが目に留まった──。


「……エルゼルさんが、寝ていたベッド。戦いに出向かれたんでしょうか……」


 リムはシーツの皴を両手でサッと伸ばし、新たな重傷者のために備えた。

 その耳の奥に、懐かしい声が響く────。


『……リム』


「えっ……?」


 変声期前の少年のような、凛々しくも高い声色。

 リムは背筋を伸ばし、首を左右へ振ってその声の主を探す。


「……あまさんっ! 天音さん……ですねっ!?」


『ああ、そうだよ。フフッ……相変わらず、リムの声は可愛いね』


「いるんですかっ!? 見狐さんみたいに、あなたもいま、この世界に……いるんですかっ!?」


 ──天音。

 島原の乱の一揆軍を率いた、天草四郎時貞。

 女性の地位がことさら低かった当時の日本の情勢を逆手に取って、一揆軍が首魁に据えた少女。

 幕府軍は大規模な一揆を統率したのが少女とは露ほどにも思わず、影武者の少年たちを捕縛しては晒し首にしたが、ついに天音の首を獲ることは叶わなかった。

 拾体の下僕獣との戦いののち、長崎県南島原市の原城址跡に造られた「天草四郎の墓」で永遠の眠りに就いた天音。

 その魂の行先は、キリシタン殉教者の旅の目的地・天国パライソか、数多の犠牲者を出した一揆の首謀者として処罰される仏教の地獄か、光も闇もなき無か──。


『……うん。右衛門作さんの画材に遺っていた妖力と、ボクのきみへの想い。そしてこの戦況が……絵のボクをちょっとだけ蘇らせた。本物のボクの魂が、あれからどう扱われたかは……まさに、神のみぞ知る、だけどね』


「ああ……その抑揚、そのラネットさんとちょっとイントネーション違う『ボク』。また会えて……うれしいですっ! 天音さんっ、いまでも愛してますからっ!」


 少女同士ながら、下僕獣との戦い後に肌を重ね、愛し合った二人。

 その呼びかけに、リムの胸を構成する細胞すべてが弾けるかのように、ときめく。


『ハハハ……ありがとう。ボクもリムは、生涯忘れ得ぬ恋人……愛妻だよ。けれどこれが本当に、最後の会話になるかな』


「えっ……?」


『スケッチブックに描かれた自分の姿を通じて、いつもリムと一緒にいた。六日見狐や百々目鬼とも、妖力でちょっと通じてた。そして……この世界の危機を知った』


「……はい」


 リムは救護所の隅に置いていた肩掛け鞄から、山田右衛門作より譲り受けたスケッチブックを取り出し、天音の全身を写生した最終ページを開いた。

 そのとき、甲獣・阿鼻亀との交戦で欠損していた左腕を、リムが記憶を頼りに描き足した、慈しみに溢れる全身像。


『ボクたちの世界……日本では、大量虐殺兵器である原子爆弾が描いてしまった、長崎市の被爆エリアを呪術陣として、戦火を招く邪な神……「物言う神」が顕現しようとした。それをリムや師匠さん、そして……戦姫團のみんなが食い止めてくれた』


 ──物言う神。

 長崎の潜伏キリシタンは、の存在を純粋かつ敬虔に信じ、たとえ神託も奇跡もなくとも、二百五十年間秘密裏に信仰を続けた。

 それが一八六五年の歴史的奇跡、「信徒発見」へと繋がり、日本における宗教の自由の第一歩を刻んだ。

 しかし二百五十年もの間に教義が変質し、独自の宗教観を構築したカクレキリシタンという、キリスト教とは歴史を違えた宗派が、長崎県内には三つの地域で現存する。

 それはあくまでも確認可能な範囲であり、歴史の影、地の底で、いまだ人知れず独自の宗教観を守っている地域、集落がないとは言い切れない。

 「物言う神」の信仰集落、信徒は、その一つに過ぎない────。


『……いまこの世界では、戦火の火種を積んだ爆撃機が発艦しようとしてる。「物言う神」と同じ……人間が生み出した存在が、世界を破滅へと導こうとしている。ボクは恩義あるリムの世界で……そんな企みは絶対に潰すっ!』


 スケッチブック内の天音の姿が、徐々にフェードアウト。

 紙質へ吸い込まれていくように消えていく。

 わけがわからないリムは、天音との唯一の接点である肖像画の消失に、動揺を抑えきれない。


「天音さんっ! どうして消えるんですかっ!? 消えないでくださいっ! わたしのために……消えないでくださいっ!」


『ボクも絵という姿で、リムとずっと一緒にいたかったけれどね。リムの世界を救うのに、ボクが手伝えることは、もうこれだけなんだ』


「わ……わかりませんっ! どうしてわたしのために、天音さんが消えなきゃいけないんですかっ!?」


『頭ではもう、わかってるんだよね? 聡明なリムだから……さ。ボクはこれから、絵の具に戻る。同時に、右衛門作さんのスケッチブックに、一ページ空きが生じる。その真っ白な紙に、えがくべき人……わかるよね?』


「…………はい」


 リムのか弱い返答を受けて、描かれていた天音の全身像が消失、

 スケッチブックに、真っ白な一ページが生じる。

 そして天音の全身画を構成していた塗料が、黒い絵の具のチューブとして、リムの前に現れた。

 一瞬硬直するリム。

 しかしほんのわずかな間を経て、リムは力強くその絵の具を握った────。


「……この絵の具と真っ白い紙で、わたしたち『チームとんこつ改』のお師匠様を、召喚しろって言うんですね! わかりましたっ! 描きますっ!」


『うん……。でも、まだ、その時じゃあ……ない。その画材じゃ、師匠さんは長く呼べない……。怖いかも……しれない、けれど……。最前線まで……勇気をもって……進んで……。六日見狐と百々目鬼には、きみを守るよう、伝えておく……か……ら…………』


「は……はいっ!」


 掠れていく天音の声を、思わず前のめりの姿勢で追ってしまうリム。

 そして、いまだリムの記憶にありありと残る、顔にソバカスを蓄えた三十路女性。

 その、人を食いつつも屈託のない笑顔とともに、とんこつラーメンの匂いが鼻の奥にツンと蘇る。


「やはり最後は……お師匠様の出番ですかっ! 不肖の弟子が、最後までご迷惑おかけして……申し訳ありませんっ!」


 リムはスケッチブックと画材を手にすると、各所で火の粉と黒煙が立ち上る工廠地帯へと、臆することなく駆け込んでいった────。





(※1)とんこつTRINITY!「第253話 力 -STRENGTH-」

https://kakuyomu.jp/works/16816927860772668332/episodes/16817330652991217426

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