第8話

 音を立てて、本を閉じた。

 手のひらにじんわり汗をかいている。


 先輩が僕に救われたと書いてくれていたのは素直にものすごく嬉しかった。僕の言葉が先輩に届いていたとわかったから。

 でも、それより大きい後悔が胸の中で渦巻いて、上手く息ができなかった。

 知らなかった。いや、知ろうとしなかった。

 二人が全部、僕のためを思って行動してくれていたなんて。

 そういえば、中学の時、兄に何度も高校で文芸部に入らないかと声をかけられたのを思い出した。

 だが、兄と比べられるのが嫌で、僕は入るつもりはないと言い続けてきた。

 兄は、僕のことをずっと見ていてくれたのに。

 先輩と兄に投げかけた言葉が脳内で再生される。

 謝らなければ。

 いてもたってもいられず走り出した。

 文芸部の部室を覗き、二年生の教室を覗いていくが先輩はいない。

 汗が滝のように頬を、背中を伝う。

 ふいに、耳に「屋上で未成年の主張やってまーす。飛び入り参加大歓迎でーす」という声が飛び込んできた。

 全力で、屋上へ続く階段を駆け上がった。

 ドアを開け放つと、実行委員らしき男子生徒が、「飛び入り参加の人? こっち来て」と手招きしてくる。

 合図したら叫んでいいよ、とメガホンを渡された。

 大きく息を吸って、吐く。酸素が全身にいきわたるのがわかった。頭がクリアになり、火照っていた頬が冷えていく。

 彼がオッケーサインを指で作ると同時に、僕はもう一度息を吸った。

「ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは」

 僕が話し始めると、下で聞いていた人たちがざわめいたのがわかった。

「こ、こ、言葉が、き、き、嫌いでした」

 ざわめきが大きくなる。緊張で声が震えた。でも構わず話し続けた。

「ち、ち、小さい時から、こ、この話し方で、か、か、揶揄われてきました。な、な、何度も、思いました。こ、言葉さえなければって。で、で、でも、ある人に、ぼ、僕は、す、救われました。そ、そ、その人は、こ、ここ、声で伝えるのが、苦手な僕に、しょ、しょ、小説という手段をくれた。つ、辛い経験も武器になるから、こここ、怖がらなくていいと教えてくれた。か、彼女の言葉が、な、何度も、何度も背中を押してくれました。彼女のおかげで、ぼ、僕は、言葉を紡ぐ楽しさを知ることができました。」

 いつもよりすっと言葉が出てくる。

「な、な、なのに、ぼ、僕は自分のことばかりき、気にして、彼女を傷つけてしまった。心から、申し訳ないと思っています。ごめんなさい」

 頭を下げる。

「か、彼女がこれを聞いてるのか、僕にはわかりません。でも、もし、聞いたうえで、僕を許してくれるのなら。傲慢かもしれないけど、これから僕が言うことを聞いてほしい」

 これだけは、声で伝えたかった。 

「水瀬、彗先輩。先輩のことが、好きです」

 そう告げた瞬間、下で歓声が上がった。男子生徒が囃し立てる声がする。僕は気にせず続けた。

「僕の話を、急かさずに聞いてくれるところも、先輩が紡ぐ言葉も、声も、飾らない笑顔も、全部、好きです」

 顔が爆発するんじゃないかと思うくらい熱くなった。

 実行委員の彼が、にこにこしながら、「つきあってくださいって言わなくていいの?」と言う。僕は首を振った。

 伝えられただけで十分だ。

 先輩みたいな素敵な人に、そんなの言うことさえ烏滸がましすぎる。

 その時。

「私も、好きだよ」

 夕風のような爽やかな声が、はっきりと耳に届いた。歓声が大きくなる。

 頬をつねってみる。痛い。

 勝手に涙が溢れてきた。

 届いた。奇跡みたいだと思った。

 僕の思いは、ちゃんと伝わった。




「せ、せ、先輩、じゅ、受賞、おめでとうございます」

 部室に入ってきた先輩に向けて、僕は拍手をおくる。

 先輩は照れくさそうに頭をかいて、幸せそうに笑った。

「ありがとう」

 先輩は応募していた小説賞で、史上最年少で金賞を受賞し、デビューすることになった。

「ぼ、ぼ、僕も、後に続けるようにが、頑張ります。あ、そ、そうだ。ここ、今度、あ、兄が、顔出しにきてもいいかって」

「え、鳴海部長が!」

 僕は文芸部に入部した。そして。

「鳴海ー! 今日も小説書く? って、水瀬先輩もいる!」

 無駄に元気な彼、佐々木君も、文芸部に入った。何でも、例の未成年の主張を聞いて感動し、自分も小説を書いてみたくなったらしい。

 友達、できてよかったねと彗先輩は言った。どうやら、思っていたよりも世界に優しい人はたくさんいるみたいだ。

 窓ガラスに映る、半透明の自分と目が合った。

 そこにはもう、暗い顔をした少年はいなかった。





 

 


 



 

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声を紡ぐ 吉野なみ @yoshinonami

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