第56話 死闘、嘆きの女王
シェイドたちが、セラフィナを奪還すべく大精霊パズズと対峙していた丁度その頃──
シェイドたちとは別行動を取っていた聖教騎士団長レヴィと大天使ガブリエルもまた、精霊教会本部へと足を踏み入れていた。
本部の中には、足の踏み場もないほどに将兵や巫女たちの遺体が転がっている。息絶えた巫女の中にはまだ年端もいかない少女の姿もあり、虚ろに見開かれたその目は苦痛と哀しみに彩られていた。
大広間へと通ずる巨大な扉を、レヴィはいとも簡単に蹴り破る。破壊された扉の先──大広間の最奥に彼女はいた。
──巫女長ラマシュトゥ。
追い詰められた状況であるにも関わらず、彼女は一切動じることなく、軽薄な笑みを浮かべ、優雅に足を交差させながら玉座に腰を下ろしていた。
泰然自若とは、正にこのことを言うのであろう。眼前のラマシュトゥからは、精神的な余裕さえ感じられた。
「──派手にやってくれたのぅ? 聖教会の犬どもよ」
「──先に手を出したのは、そちらの方だろう? 巫女長ラマシュトゥ。否……嘆きの女王ラマシュトゥ」
言い終わるや否や、レヴィは被っていた制帽を、円盤投げの要領でラマシュトゥ目掛けて投擲した。ラマシュトゥの首が音もなく宙を舞い、赤黒い血が噴水の如く噴き出した。
だが──
「……くっくっくっ」
地面に転がるラマシュトゥの頭部が、レヴィを見つめてニヤリと笑ったかと思うと、頭部を失った身体ともども黒い液体となって融合し、何事もなかったかのように元の姿で再構築される。
「……よもや、妾の正体を聖教徒が看破するとは思わなんだ。その一点のみは敵ながら天晴れ、よくやったと褒めてやろうぞ。じゃが──」
ラマシュトゥの輪郭が、不規則に変化する。見る見るうちに彼女は、本来の人ならざる者へとその姿を変えてゆく。
引き締まった体躯のパズズとは異なり、巨体ではあるものの痩せ細った体躯の、背に翼を生やした黒き巨獣。大きく裂けた口には無数の牙が生えており、真っ赤な血を思わせる涎が、ぽたぽたと口端から滴り落ちている。
──"子を亡き者とする嘆きの女王ラマシュトゥ。その魔手は娘とその子に迫り、その抱擁は抗いようのない死へと、哀れな子らを誘うであろう"。
流行病をもたらす大精霊ラマシュトゥ……それが、長きに渡り精霊教会を恐怖で支配してきた、妖艶なる巫女長の正体だった。
「──妾の正体を知ったとて、其方らが明日の陽を拝むことなどないわ」
ラマシュトゥの口から、レヴィたちを焼き尽くさんと青白い火焔が放たれる。常人ならば為す術なく焼き尽くされるであろうほどの威力を秘めたるその業火はしかし、レヴィたちに届くことはなかった。
「……こんなもの、躱すまでもない」
レヴィの足元にぼうっと、正五芒星の描かれた魔法陣が姿を現す。レヴィはそのまま左手を前へとそっと伸ばし、無詠唱で自らの目の前に堅固な防御結界を構築すると、ラマシュトゥの放った火焔を容易く受け止め、そして弾き返してみせたのだ。
弾き返されて行き場を失った火焔が大広間の壁に着弾し、耳をつんざくほどの轟音が鳴り渡る。その時既に、レヴィはラマシュトゥの方へとスタートを切っていた。
「──ガブリエル様を害そうとした。それだけで、貴様を討つ理由は十分だ」
「……ほぅ?」
魔力を纏ったレヴィの剛拳──音速で繰り出されたそれを軽々と受け止めながら、ラマシュトゥはすっと目を細める。
「──人間離れした威力じゃ。油断していたら、流石の妾でも無事では済まなかったろうな?」
返礼と言わんばかりに、鞭のようにしなやかなラマシュトゥの尻尾が、大きく唸りを上げてレヴィに襲い掛かる。レヴィはそれを右腕で受け止めると、ラマシュトゥに軽く蹴りを入れて間合いを取り直す。
「──流石に、一筋縄ではいかないか。では、攻め方を変えてみるとしよう。ガブリエル様──」
「──お任せ下さい。レヴィ」
ガブリエルは胸の前で手を組み目を閉じると、透き通った声で歌い始める。
──"世の罪を除き給う、神の仔羊よ。彼等に安息を与え給え。永久の安息を与え給え"。
「──させぬわ!」
レヴィたちの意図に気付いたのか、ラマシュトゥが一気に間合いを詰めてくる。
だが──最早、手遅れだった。
「──遅いな。止まって見える」
目の前にいたはずのレヴィの姿が掻き消えたかと思うと、背中に強い衝撃を感じ、ラマシュトゥの巨体が地面に大きくめり込んだ。
それまで余裕綽綽といった態度だったラマシュトゥの顔が、怒りの余り激しく歪む。
「──やってくれるっ……!!」
レヴィが目にも留まらぬ疾さで背後へと回り込み、がら空きとなった背中に強烈な踵落としを決めたのだと気付くまでに、そう時間は掛からなかった。
「……ガブリエルの歌声で、自らの身体能力を異常なまでに強化。更には感覚を極限まで研ぎ澄ましたか」
憤怒に打ち震えながらも、冷静に分析するラマシュトゥ。それに対するレヴィの反応は、実に冷ややかなものだった。
「……だから、どうした?」
ラマシュトゥの攻撃を躱しながら無音で間合いを侵略すると、レヴィはラマシュトゥの鳩尾に強烈な三日月蹴りを放つ。ラマシュトゥは瞬時に腕を挟み込んでそれを受け止めるも、直後に骨の砕け散る音が響く。
近接戦では不利と判断したのか、ラマシュトゥは翼を広げて大広間の天井近くまで飛翔すると、遠距離から青白い火焔弾を次々に口から撃ち出した。
その射線上には──今も尚、胸の前で手を組み、目を閉じて歌うガブリエルがいた。
「──間に合うか!? ガブリエル様!!」
「……きゃっ!?」
レヴィは咄嗟にガブリエルを抱きかかえながら回避行動を取り、着弾によって生じる爆風や降り注ぐ瓦礫から彼女を守った。
「……ご無事ですか、ガブリエル様」
「……えぇ。貴方は?」
頭から血を流すレヴィを、心配そうに見つめるガブリエル。レヴィは不安そうな様子の彼女を安心させるかのように、ふっと笑ってみせる。
「ご心配なく──この程度、傷のうちには入りません故。引き続き、ご支援を宜しくお願い致します」
そう言って立ち上がり、額から流れる血を右手の甲で拭いながら、レヴィはラマシュトゥの顔をギロリと睨み付ける。その背中には大きな爆傷が刻まれ、じわじわと赤い血が滲み出していた。
ガブリエルの美しい歌声が再び、大広間全体に響き渡る。
鷹を思わせる鋭い目が細められた次の瞬間──
レヴィは音もなく、空中という安全地帯にいるはずのラマシュトゥの目の前へと移動していた。
「……なっ!?」
狼狽するラマシュトゥの顔面に、魔力を纏った貫手が深々とめり込んだ。血飛沫を上げながら、ラマシュトゥは勢い良く地面へと叩き付けられる。
「一度ならず二度までも、ガブリエル様を害そうとした。覚悟は出来ているのだろうな?」
「覚悟、じゃと……? 面白い。何の覚悟じゃ?」
受けた傷を瞬く間に再生させつつ、ラマシュトゥは馬鹿にしたような調子でレヴィに尋ねる。
「教えてくれぬかのぅ? 人の子よ。一体、妾に何の覚悟を決めることを求めておるのじゃ?」
間断なく繰り出されるレヴィの素早く重い一撃を躱しながら、ラマシュトゥは重ねて彼女に訊く。
「決まっているだろう──貴様が今まで犯してきた愚行や罪の数々と、向き合う覚悟だ。大精霊ともあろう者がそんなことも分からないのか?」
レヴィの剛拳が再び顔面を撃ち抜き、ラマシュトゥの巨体が大きくよろめく。だが、ラマシュトゥは倒れない。
「罪、じゃと……? 笑わせてくれるわ。妾は二千年もの長きに渡り、パズズと共に自らの役目を全うしてきた。生命の循環を促す、それはそれは重大なる使命をな。それを、貴様ら人間が全て踏み躙ったのじゃ」
ラマシュトゥはレヴィを見つめて嘲笑する。
「人は皆、罪の子よ……簒奪者ソルが生み出した、世界を蝕み死へと誘う害悪そのもの。それを駆除するのは果たして罪であるか? 否、罪にあらず。貴様ら人の子は、常に自らの都合だけを考え、草木や獣を排してきた。じゃが、妾たちは違う。世界を蝕む膿を取り除くことが、妾たち大精霊に課せられた使命。罪の子を駆逐する妾たちにこそ、大義はあるのじゃ」
「……大義? 何を馬鹿なことを。この世とは、常になるようにしかならない。起こり得る事象全てが、大いなる天の定めたる摂理であることは自明の理。始まりがあれば、何れ終わりはやってくる。ただ、その時が来ただけではないか」
「……果たしてそうかの? 現に、貴様ら人の子がその生息数を大きく増やすと同時に、美しかったはずのこの世界は荒廃し始めたではないか。貴様らは世界を蝕む病。世界を死に至らしめる毒よ」
ラマシュトゥの鋭い爪の一撃が、レヴィの脇腹を掠める。両者共に譲らない。正に、一進一退の攻防を繰り広げていた。
嘆きの女王と謳われる大精霊ラマシュトゥ、そして聖教騎士団創設以来の傑物と称される才女、当代騎士団長レヴィ。両雄の死闘は、何方かが膝を付くまで永遠に続くかと思われた。
しかし──
「──おやおや。随分と、楽しそうではありませんか。私も混ぜて下さいよ」
突如、耳に心地好い中性的な声が大広間中に木霊する。
次の瞬間──
轟音と共に大広間の天井が崩れ落ち、大小様々な瓦礫が次々とレヴィたちに襲い掛かる。
「──っ!?」
「──ちぃっ!!」
レヴィとガブリエルは防御結界を、ラマシュトゥは自らの翼を用いて降り注ぐ瓦礫から身を守る。
辛くも難を逃れたレヴィたちが天を見上げると、そこにはハルモニア帝国軍所属であることを示す黒の将官服を優雅に着こなし、素顔をデスマスクで覆い隠した一人の堕天使が、背に生やした翼を羽撃くことなく宙に静止し、こちらを見下ろしているのが見えた。
堕天使が、悠然とした動きでデスマスクを外す。露わとなったその顔を見て、ガブリエルの顔に初めて怯えの色が浮かぶ。
「──ベリ、アル……"無価値な者"……!」
「──さぁ、楽しませて貰いましょうか?」
銀色に輝く艶やかな長髪を夜風に靡かせ、涼やかな青い瞳の奥に仄暗い焔を灯しながら、この世のありとあらゆる芸術品が全て、陳腐な瓦落多に見えてしまうほどに神々しく美しいその堕天使は……死天衆のリーダー格であるベリアルは、白い歯を見せてにこやかに笑う。
風の慟哭に混じって、ハルモニア帝国軍の掻き鳴らす高らかなる角笛の音……地鳴りを彷彿とさせる、ハルモニア将兵たちの歌う凱歌が、徐々に遠方から聞こえてくる。
それはまるで、この戦いの行く末を……都市国家アッカドのそう遠くない未来を、暗示しているかのようであった。
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