第48話 謁見、そして再会

 シェヘラザードの案内で大広間へと足を踏み入れると同時、最奥に座す妖艶なる乙女と目が合った。


 フェイスベールで口元を覆い隠しており、どのような表情を浮かべているかまでは、遠目からではよく分からない。しかしながら切れ長の両目には光がなく濁っており、まるで底なし沼のようであった。


 恐らく……否、間違いなく彼女こそが、精霊教会の最高指導者たる、巫女長ラマシュトゥその人。周囲に侍る巫女たちの佇まいや乙女に対する態度などから、セラフィナはそのように見当をつける。


「──ラマシュトゥ様。ハルモニアより、死天衆アモン様がお見えになりました」


「ご苦労、シェヘラザード」


 極力ラマシュトゥと目を合わせないようにしつつ、セラフィナはその場に片膝を付き、胸に手を当てながら深々と頭を下げた。


 表向き、セラフィナたちは来賓たるアモンの従者という立場にある。公の場では、アモンに恥をかかせないよう振る舞わなければならない。


 隣で牙を剥き出しにしつつ、大きな唸り声を発するマルコシアスを宥めつつ、セラフィナは許しが得られるまでハルモニア式の敬礼のまま待機する。


 暫し静寂に包まれる大広間。静寂を破り先に口を開いたのは、巫女長ラマシュトゥであった。


「──久しぶりよのぅ、アモン? 最後に其方に会うたのは、今から何年前のことであったか」


「最後に顔を合わせたのは、今から二十年前。休戦協定が結ばれた時であるな、ラマシュトゥよ」


 昔を懐かしむかのように、両者は言葉を交わす。


「先の大戦を受け、アッカドも変わった。妾たち精霊教会としては、ハルモニアとはこれからも、良き関係を築いていきたいと思うておる」


「ふむ……願っても無いこと。我らハルモニアとしても、未だ聖教会と敵対関係にある。若し、万が一聖教会と事を構える事態へと発展した場合に備え、予めアッカドを含む砂漠地帯の諸国家と親密なる関係を構築しておきたいと、常々思っていたところよ」


「それは、皇帝ゼノンの意思ということかの?」


「他ならぬ、ハルモニア皇帝ゼノンの意思である」


「それは、それは……実に、喜ばしきことよ」


 上品ではあるものの、何処か悍ましさを感じさせるラマシュトゥの笑い声が、アモンの左斜め後ろで跪き深々と頭を下げているセラフィナの耳に届く。


「──長旅で、疲れておるであろう? 執り行う祭儀の日程は追って知らせる故、今日はゆっくりと旅の疲れを癒し休まれるが良い。アッカドで一番良い宿を、其方等のため貸切にしてある」


「ほぅ……左様か。ならばお言葉に甘えて、暫し休ませて貰うとしようか。では──」


「……少し待つのじゃ、アモン」


「まだ、何か?」


「否……じゃが、少し気になる者がおってのぅ」


 コツコツと、足音が近付いてくる。ラマシュトゥが立ち上がり、階段を下りながら此方へと歩を進めているのだと気付く。


 マルコシアスが黒い体毛を逆立て、セラフィナに近寄るなと言わんばかりに低い声で唸る。それでも尚ラマシュトゥの足音は止まない。


 やがて、踵の高いサンダルを履いた足が、セラフィナの目の前で立ち止まる。香水の匂いに混じり、濃厚な死の香りが漂い始める。


「──面を上げよ」


「…………」


「──アモンの従者よ。面を上げよ」


「……仰せのままに」


 セラフィナがゆっくりと顔を上げると、ラマシュトゥはすっと目を細め、フェイスベールに覆われた口元に微笑みを浮かべる。


「其方……名を何と言う?」


 白磁を思わせるセラフィナの頬を慈しむように、細い指先で優しく撫でながら、ラマシュトゥは穏やかな声音で問い掛ける。


「……セラフィナと申します」


「ほぅ……? セラフィナ、か……良き名ぞ」


 青く澄んだセラフィナの瞳の奥を覗き込みながら、ラマシュトゥは含み笑う。


「実に清らかで、可愛らしい子犬じゃ。ベリアルには勿体ないほどの、な……其方とは一度、時間の許す限り語らってみたいものよ」


 セラフィナの頭を何度も優しく撫でながら、ラマシュトゥは彼女の耳元でそっと囁く。甘い吐息が耳にかかる度、寒くもないのに全身が粟立つのをひしひしと感じる。


「おっと……妾としたことが。長旅で疲れておるであろうと自分で言っておきながら、ついつい引き止めてしもうたわ」


 セラフィナから音もなく離れると、ラマシュトゥは悠然とした動きで身を翻しつつ、


「──シェヘラザード」


「はい、ラマシュトゥ様」


「客人たちを、宿まで案内せよ。くれぐれも、シャフリヤールの目に触れさせるでないぞ?」


「畏まりました、ラマシュトゥ様。細心の注意を払って、アモン様たちを宿までお連れ致します。では皆様方、どうぞ此方へ……」


 シェヘラザードに促され、セラフィナたちはやや足早に大広間を後にする。大広間から出るや否や、重厚な音を響かせながら、巨大な扉が徐々に閉じてゆく。


「……?」


 幻聴だろうか。それとも、気の所為だろうか。完全に閉じられた扉の向こうから、ラマシュトゥの笑い声が聞こえたような気がした。











 精霊教会本部を後にすると、セラフィナたちはそのままシェヘラザードの先導で、宿泊予定の宿へと向かった。


 各々の足取りは重く、まるで夢遊病にでもなったかのようである。


 巫女長ラマシュトゥとの謁見……お世辞にもラマシュトゥのこちらに対する態度は決して良いとは言えず、好印象とは程遠い。先導するシェヘラザードも、何処か気まずそうな様子だった。


「……人を呼びつけておいて、何だあの態度」


「止めなよ、シェイド」


 かなり苛立っている様子のシェイド……大広間を出た時からずっとこの調子である。


「外交って言うのはさ、力関係が拮抗していて初めて成立するんだよ。相手に隙を見せてはいけない。相手に格下だと思われてはいけない。だから彼女は、敢えてあんな態度を取ったんだよ」


「いくら何でも、限度ってものがあるだろ」


「それはそう。でもさ、愚痴をこぼしたところで、何かしら現状が変わると思う?」


「…………」


「……セラフィナ様の仰ることは尤もですし、シェイドさんの仰ることも一理あると思います」


「よさぬか、キリエ。終わった話を、態々また蒸し返そうとするでない」


 事態がややこしくなると判断したのか、アモンが即座に止めに入る。そのままキリエに喋らせ続けたならば、黙り込んだシェイドが再び口を開きかねない。


「……長旅で疲労が蓄積し、それが原因で苛立ちやすくなっておるのだろう。今はただ、疲れを癒し身を休めることだけを考えよ」


 シェイドとキリエの顔を交互に見やりながら、諭すような口調でアモンは二人に語り掛ける。


 毒気を抜かれたかのように、途端に二人は大人しくなる。先程までの剣呑な雰囲気が、まるで嘘のようである。


「……ありがとう、アモン。私には、止められる自信がなかったよ」


 助け舟を出してくれたアモンに対し礼を述べると、


「何……気にするな、セラフィナ。誰にでも得意、不得意はある。それに私は、喧嘩の仲裁や興奮した相手を宥めるのには慣れておるからな」


 セラフィナの肩をポンポンと優しく叩きながら、アモンはそう言って小さく笑った。


「──到着しました。此方です」


 案内されたその宿は、シェヘラザードと最初に会った、親善外交の場に用いられる高級宿にも引けを取らぬ豪奢な建物だった。


 小綺麗な衣装に身を包んだメイドたちが、客室の清掃に勤しんでいるのが窓越しに薄らと見える。これほどの宿を貸切にするのに、精霊教会は一体どれほどの費用を投じたのだろうか。


「では、私はこれで──短い間でしたが、皆様とご一緒にこうして旅が出来たこと……とても良き思い出となりました」


 シェヘラザードはそう言ってにこりと笑うと、ゆったりとした足取りで、元来た道を戻ってゆく。心做しか、その背は少し寂しげであった。


 宿の扉が開き、中から何名かのメイドが姿を現す。


「アモン様、皆様方──当宿にようこそいらっしゃいました。従業員一同、皆様方がいらっしゃるのを、心よりお待ち申し上げておりました」


 濃紺のロングワンピースの裾を軽くつまみ、黒のストッキングに包まれた細い足を軽く交差させながら、メイドたちは丁寧に一礼する。


「では、どうぞ此方に──」


 メイドたちに案内され、エントランスホールへと足を踏み入れる。そこには──


「……おや?」


 ──そこには、聖教騎士団所属であることを示す白い将官服を身に纏った、二十歳前後くらいの見た目をした若い女性軍人が立っていた。


「……!?」


 眼前に佇む彼女の存在を認識するや否や、シェイドの顔が見る見るうちに青ざめてゆく。


「やぁ、シェイド──久しぶりだね」


 そんな彼の様子を面白可笑しそうに、それでいて微笑ましそうに見つめながら、彼女は……聖教騎士団長レヴィは、白い歯を見せて屈託のない笑みを浮かべた。


 シェイドとレヴィ……実に、三年ぶりの再会であった。

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