第47話 巫女長ラマシュトゥ
都市国家アッカド中心部、精霊教会本部──
「──大天使ガブリエル様。並びに、聖教騎士団長レヴィ様がお見えになりました」
「…………」
ガブリエルと共に大広間へと通されたレヴィは、最奥に座す女の顔を、不快感も露わに睨み付ける。
妙齢の妖艶なるその女は、女性としては長身の部類に入るレヴィよりも更に背が高く、フェイスベールに覆われた口元に不敵な笑みを湛えながら、蔑んだ目でレヴィたちを見下ろしていた。
「──よく来たのぅ、大天使ガブリエル。そして聖教騎士団長レヴィよ」
腰まで届く、黒蝶真珠の如き艶やかな長髪──その毛先を細い指先で弄りながら、女は小馬鹿にした調子で言葉を発する。
「──とてもではないが、客人に対する態度とは思えんな。巫女長ラマシュトゥ──どうやら、噂に聞く以上に野蛮で礼儀を知らんらしい」
「ほぅ……?」
「──レヴィ、控えなさい。ここは公の場です」
ガブリエルが穏やかな態度で、それでいて有無を言わせぬ口調でレヴィを窘める。
聖教会に往時の勢いなし。侮られても致し方ない。ガブリエルの態度からは、そのような意図が見て取れた。
「……御意」
不服そうに引き下がったレヴィを見て、女──巫女長ラマシュトゥは、心底愉快そうに声を上げて笑う。
「流石は、"簒奪者"に過ぎたる者ガブリエル。飼い犬の躾をしっかりとしておるわ。妾も少しばかり、其方の姿勢を見習わねばなるまいのぅ」
「──口に気を付けることです、ラマシュトゥ。天に坐す主を"簒奪者"などと口にすることは、たとえ主が許そうとも私は決して許しませんよ?」
にこりと笑いながら圧を放つガブリエル──その場にいる精霊教会の巫女たちが気圧され怯む中、ラマシュトゥだけは独り平然としていた。
「おぉ、怖いのぅ……そこに控えたる狂犬は、なるほど飼い主に似たのじゃな」
「下衆が──人を見てからものを言え。今この場で貴様の首を斬り落とし、シャフリヤールに手土産としてくれてやっても良いのだぞ?」
レヴィが吐き捨てるように言うと、ラマシュトゥはわざとらしく両手を軽く挙げ、まるで降参と言わんばかりに、挙げた手をそのままひらひらと左右に振り始めた。
「……何だそれは。馬鹿にしているのか?」
「いやいや、まさか。親の七光りで聖教騎士団長になったレヴィという小娘は、ちょっとした冗談さえも通じぬほどに堅物であったと知り、少しばかり自己の認識の甘さを痛感しただけじゃ」
「…………」
「いや──レヴィという小娘の親は確か、先の大戦でハルモニアの軍勢に叩きのめされ、敗戦の責を問われて精神を病んだ無能な働き者であったな。長かった戦が終わり、やっと無能が消えたと思ったら、その愛娘が後釜としてやって来た……聖教騎士団に属する聖騎士たちも振り回されて気の毒よな?」
刹那──レヴィの目から、光が消える。
本来、
敗戦の責を問われた父は精神を病み、自室にて自らの首を刎ね、血溜まりの中で果てた。空席となった聖教騎士団の地位。父の後任として推薦されたのが、当時まだシスター見習いに過ぎず、軍人としての訓練も一切積んでいないレヴィだった。
何故、レヴィに白羽の矢が立ったのか。その理由は至極単純なものであった。先代である父の血を、唯一引いているのがレヴィだった。部下たちからの人望"だけ"はあった先代の娘なら、聖騎士たちからの反発も少ないだろう。ただ、それだけの理由である。
「……遺言は、それで良いのだな?」
醒めた目で剣を按じながら、ラマシュトゥの目をじっと見つめるレヴィ。何時、彼女が剣を抜いても全く可笑しくない状況に、ラマシュトゥも目を細める。
一触即発の状況に陥った、正にその時──
「二人とも──そこまでです」
ガブリエルの凛とした声が、大広間に響き渡った。
「今日はこれにて、失礼させて頂きます。これ以上レヴィと貴方を同じ場に留めていては、何時流血沙汰となっても可笑しくありませんから」
レヴィの背中を優しく叩き、退出するよう促しながら、ガブリエルはラマシュトゥを咎めるように睨み付ける。
「祭儀の予定は後日手紙を寄越すなり、遣いを寄越すなりして、追って知らせて下さい。では──」
ガブリエルがレヴィを伴って立ち去ると、大広間の中は途端に静寂に包まれる。
周囲に控えていた巫女たちの安堵の溜め息がちらほらと聞こえる中、ラマシュトゥは独り面白くなさそうに大きな欠伸をした。
「全く、ガブリエルめ……興が醒めるようなことを」
「ラマシュトゥ様……流石にお戯れが過ぎたかと」
「其方にはあれが、戯れに見えたのか?」
くくっと笑いつつ、ラマシュトゥは苦言を呈した巫女の方へと視線を向ける。
名状し難い音を響かせながら、巫女の華奢な身体が糸の切れた操り人形の如く、力なく倒れ込む。何が起こったのか分からないという表情を浮かべ事切れている巫女の首は、あり得ない角度に捻じ曲がっていた。
「──さて、死体を片付けるとするかの」
足元に倒れ伏し、末期の痙攣を繰り返す巫女の身体を入念に踏み躙りながら、ラマシュトゥは黒い異形へと徐々に姿を変えてゆく。
異形──ラマシュトゥが大きく口を開くと、無数の牙が露わとなる。巫女の死体が、ラマシュトゥの口の中へと放り込まれた直後、先ほどとは異なる不気味な音が響き渡り、巫女たちは顔を引き攣らせた。
人骨を噛み砕き、血肉を咀嚼する音。それは、猫が鼠を捕食する際に発する音にも似ていた。
ラマシュトゥは食事を終えると異形の怪物から妖艶なる乙女の姿へと戻り、すらりと伸びた細い脚を優雅に交差させながら椅子へと腰掛ける。
「……スラム生まれの凡愚め。誰が身寄りのない其方を拾って、今日まで育てたと思っておる?」
足元に転がるサンダルの片方を見下ろしながら、ラマシュトゥは底冷えのするような声でそう呟く。
「人は皆、生まれながらにして罪の子よ。この地が不毛の大地と化したのも全て、人が増え過ぎたのが原因じゃ。簒奪者ソルが人を創造しなければ、今頃この世界は楽園であった」
吐き捨てるようにそう言うと、ラマシュトゥは頬杖をつきながら、
「──まぁ、良い。砂時計が出現した時点で、滅びは確約されたようなものじゃ。妾たちが何もせずとも、そう遠くない未来に世界は終わる」
だが、ラマシュトゥはこの土地を不毛なる砂漠へと変貌させた人間たちに、穏やかな最期を迎えさせるつもりなど毛頭なかった。
たとえ砂時計のもたらす破滅が穏やかなものではなかったとしても、それ以上の絶望と苦痛を、自分たちの手で人間たちに与えて滅ぼしたかった。
それほどまでに、ラマシュトゥは人間という種族のことを激しく憎んでいた。そして、人間という種を創造した天空の神ソルのことも──
「──ラマシュトゥ様」
聞き覚えのある声が耳に届き、ラマシュトゥは我に返る。見ると、シェヘラザードがちょうど大広間へと入ってくるところだった。
身に纏う装束は返り血などで少し薄汚れてはいたものの、その美貌は全く損なわれていない。
「シェヘラザード、只今帰還致しました」
「ご苦労じゃった、シェヘラザード。アモンは連れて来たかの?」
ラマシュトゥが問うと、シェヘラザードはこくりと頷く。
「はい。お連れの方々共々、大広間の外にてお待ち頂いております。このまま、お会いになられますか?」
「そうじゃのぅ……早速、会うてみるとするかの。シェヘラザード、アモンたちを連れて参れ」
「畏まりました。では、そのように──」
シェヘラザードが一旦退出するのを見送ると、ラマシュトゥはその身を捩り、背後に鎮座する巨大なパズズ像へと顔を向ける。
蝋燭の薄明かりに照らし出されたパズズの顔は、笑っているようにも怒っているようにも見える。
「──実に楽しみじゃのぅ、パズズ?」
パズズ像の顔を見つめながら、フェイスベールに覆われた口元に、屈託のない笑みを浮かべるラマシュトゥ。その笑顔は、先ほどまでレヴィたちに見せていたものとは異なり、まるで無邪気な子供のようであった。
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