第46話 狂王が残した爪痕

 それから数日が経過した、ある日の夕暮れのこと。


 アッカドまでの旅路、その最後の中継地点とも言える、少し前までオアシス都市だった場所。死の街と化したその都市の中心部、広場となっている場所にセラフィナたちは立っていた。


 煌々と燃え盛る家々、飛び交う羽虫、鼻の曲がるような強烈な異臭、街の至る所で血を流して倒れている変わり果てた姿の人々。


 そしてセラフィナたちの視線の先では、複数体の堕罪者の生首が、無惨にも幾重もの槍の穂先に突き刺された状態で晒し者となっていた。


「……この街で、一体何が起こったというの?」


 その場に腰を下ろし、目を見開いたまま事切れている幼い少女の瞼をそっと閉じてやりながら、セラフィナはポツリとそう呟く。少女の身体には何箇所も銃創がある他、槍によるものと思われる深い刺し傷が胸部に刻まれていた。


「……こんな、小さな子まで。可哀想に……」


 セラフィナの隣に腰を下ろし、涙の痕が残る少女の頬を憐れむように指先で撫でながら、キリエが沈痛な面持ちで目を閉じる。


「……まだ、生前の温もりが残っています。恐らく、何者かに襲われてから、それほど間もないのでしょう」


「だろうね。問題は"誰が何の目的で、この惨劇を引き起こしたのか"だけど。堕罪者だけなら兎も角、無辜の民まで容赦なく手に掛けるのは、とても正気の沙汰とは思えないね」


「そうだな……堕罪者を割とあっさりと殺していることを考えると、自警団か若しくは国の正規軍か。何にせよその辺の馬賊程度に、こんな大規模な殺戮は不可能だ」


 シェイドの言葉に小さく頷きつつ、セラフィナはゆっくりと立ち上がる。澄んだ青い瞳の奥に、仄暗い怒りの焔が宿っているのが見えた。


「──気になることは色々あるけど、取り敢えずは生存者がいないか、手分けして探そうか」


 反対する者は、一人もいなかった。セラフィナ主導で担当区域を決めると、各々は即座に散開し、生存者がいないか捜索を開始した。


「──さて、と」


 各々の様子を一通り確認し、ほっと一つ小さな溜め息を吐くと、セラフィナは自分の担当区域に足を踏み入れる。人だけでなく、家畜や愛玩動物まで念入りに余さず殺されていることからも、相手の殺意の高さが窺える。


 一人一人の傍に腰を下ろし、胸に耳を当てて息があるか否かを丁寧に確認し、駄目ならば胸の前で手を組み、静かに哀悼の意を捧げる。その繰り返し。


 一体何度、それを繰り返しただろうか。セラフィナが一人の生存者を見つけた時には既に、陽は西の方へと沈み、夜の帳が下りつつあった。


「──大丈夫?」


 弱々しく胸を上下させている生存者の元へと駆け寄ると、セラフィナは慣れた手付きで傷の具合を確認する。服装からして、シェヘラザードと同じく精霊教会の巫女のようだ。


「……あ……貴方は……」


「──喋らないで。傷に響くから」


 苦悶の表情を浮かべながらも何とか言葉を発しようと試みる巫女を、人差し指を口に当てながらセラフィナは穏やかに制する。


 二十歳前後と思われるその巫女の傷は深く、既に命へと届いている様子であった。右足には大きな銃創があり、白を基調とした巫女装束の裾は血で赤黒く染まっている。胸や腹には槍による刺突と思われる深い傷が複数刻まれ、傷口から緋色の血が滾々と溢れ出していた。


 マントの裾を飛刀で切り裂き、それを包帯代わりにして止血を試みるセラフィナの上衣の袖を血塗れた指先で掴むと、巫女は力なく首を横に振る。


「……この傷ではどのみち、私はもう、助からないでしょう……どうか、お気遣いなく……旅の方……」


「…………」


 巫女の言葉を無視し、セラフィナは止血と応急処置を続ける。


「……誰にやられたの?」


 応急処置をしながらセラフィナが尋ねると、巫女は何度か苦しそうに咳き込みながらも、掠れた声で、


「……"狂王"……シャフリヤール……」


「狂王……シャフリヤール……?」


 セラフィナが念の為に聞き返すと、巫女は咳き込んだ際に口から溢れ出た血を手の甲で拭いながら、小さく首肯する。大量に吐血したということは、内臓に重篤な損傷を負っている証拠。時間はもう、殆ど残されていないに等しい。


 巫女もそれを理解しているのか、意識を手放すまいと懸命に抗いながら言葉を紡ぐ。


「……この街に……堕罪者が……複数、姿を現し……シャフリヤール陛下は、堕罪者の、更なる出現を……危惧されて……」


「…………」


「……街に住まう人々もろとも、堕罪者たちを……」


「──つまりシャフリヤールは、堕罪者へと変貌していない他の民たちも、そう遠くない内に堕罪者へと変貌するだろうと早々に見切りをつけ、軍を出撃させて老若男女問わず皆殺しにした。そういうこと?」


 セラフィナが落ち着いた声音で問い掛けると、自分の伝えたかったことが伝わって安堵したのか、巫女は血の気の失せた顔に微笑みを浮かべながら頷いた。


「……それが真実なら、正に"狂王"だね」


「……は、い。仰る、通りです……」


 殆ど光が失われた巫女の目から、透き通った涙が零れ落ちる。その視線の先には、折り重なった状態で事切れている母娘の姿があった。


「……決して、多くを求めることなく……日々を穏やかに過ごしてきました……ただ、それだけだというのに……」


「…………」


「……陛下……何故、このような、惨い仕打ちを……これでは、まるで……」


 ──"まるで、この世に生を受けたこと自体が、赦されざる罪のようではないか"。


 その言葉を最期に、巫女はピクリとも動かなくなった。セラフィナは何度か心肺蘇生を試みるも、巫女が息を吹き返すことは、遂になかった。


 ──"まるで、この世に生を受けたこと自体が、赦されざる罪のようではないか"。


 巫女の遺した言葉が、何度も何度も脳内に響く。


「……貴方は運が良いよ。どんなに辛く苦しくても……もう、何もかもが終わったのだから」


 開かれたままの巫女の目を、指先でそっと閉じてやると、セラフィナは他の犠牲者たちにもしてきたように、胸の前で手を組み、静かに哀悼の意を捧げる。


「──セラフィナさん」


 セラフィナが祈り終えるのを待っていたのか、すっと音もなく立ち上がると同時に、シェヘラザードが背後から声を掛けてくる。


「……一人、生き残りがいたんだけどね。私が発見した時には、もう手遅れだったよ」


「そう、ですか……」


「ところでさ、シェヘラザード──"狂王"シャフリヤールって誰のことか、知ってる?」


「都市国家アッカドを治める王ですが……まさか」


「そのまさか、みたいだよ」


 遠方にて揺らめく"崩壊の砂時計"をぼんやりとした表情で見つめながら、セラフィナは言葉を続ける。


「……別に、他所様の政策とか思想を、頭ごなしに批判するつもりは毛頭ないんだけどさ──幾ら何でもってものがあるよね」


「──セラフィナ、さん……」


「今から行く場所にいるなら、話は早い。時間がある時にでも彼に直接会いに行って、その真意を確かめれば良い。ただ、それだけ」


 表情一つ変えることなく、淡々と呟くセラフィナ。だが、瞳の奥には、眼前の惨劇を引き起こしたシャフリヤールに対する義憤の情が、青い焔となってめらめらと燃え盛っていた。


 精霊教会の本部がある都市国家アッカド。今回の旅の終着点まで、あと少しのところまで迫りつつあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る