第45話 星は廻る

 道中何度か戦闘を挟んだことで予定よりも時間が掛かってしまったため、最寄りのオアシス都市に辿り着いたのは翌日の正午前のことであった。


 広場の片隅に腰を下ろしたアモンの身体を、シェイドは黙々と洗い続けていた。パピルサグの返り血に塗れ、青く染まっていた彼の身体は、シェイドが時間を掛けて丁寧に洗った結果、殆ど元通りの状態にまで戻っていた。


 セラフィナとキリエの二人は、汗をかいた身体を清めるべく着替え片手に水場へと向かい、シェヘラザードはパピルサグの犠牲となった駱駝の代わりを買いに厩舎へと足を運んでいるため、今この場にいるのはシェイドとアモン、マルコシアス、そして現地の子供たちや人の良さそうな行商人といった面々である。


 特に現地の子供たちは、異形の大男であるアモンを見ても臆することなく、そればかりか返り血に塗れた彼の身体を一緒になって洗ってくれるなど、非常に献身的かつ親切であった。


 小さな共同体だからこそ、助け合いの重要性をよく理解しているのだろうか。一緒にアモンを洗ってくれる子供たちに感謝の意を述べつつ、シェイドはそのようなことを考えた。


「……こんなところ、かな」


 見違えるほど綺麗になったアモンの身体を見て、シェイドは額の汗を拭いつつほっと溜め息を吐く。臭いがまだ少し残っているが、気にするほどではない。


 子供たちはどうやらアモンと遊びたかったらしく、口々にアモンに高い高いをして欲しいとせがむ。アモンも満更ではないらしく、心做しか嬉しそうである。


 シェイドはマルコシアスと共に少し距離を取り、日陰からその様子を見ることにした。黄色い声を上げて喜ぶ子供たちと、保護者かと見紛うような優しい笑みを湛えているアモン。何とも微笑ましい光景だった。


 マルコシアスの毛繕いをしてやりながら、ぼうっとその光景を眺めていると、人の良さそうな行商人が食べやすくカットした西瓜をそれぞれ両手に持ち、片方をシェイドに差し出しながら隣に腰を下ろす。


「──お疲れ様、異国から来たお兄さん」


「……これは?」


「西瓜っていう果物だ。水分を多く含んでいるから、何かと重宝する作物だよ」


「へぇ……値段は?」


「代金は要らないよ。特別サービスだ」


 行商人は笑いながらそう言うと、美味しそうに西瓜を食べ始める。曰く、見栄えが悪く商品にならないものをカットし、シェイドに渡したらしい。


「……見た目が悪いと、商品にならないのか?」


「そうなんだよ、味は全く変わらないんだけど……中々買い手が付かないんだよね、これが。ほら、毒なんか入ってないから、勢い良くガブッといきなよ」


 促されるまま、シェイドは西瓜を口に含む。齧ると同時、口の中に大量の仄かに甘い果汁が溢れ出す。ふと気が付くと、綺麗さっぱり平らげてしまっていた。


「……うん、美味しかった」


「それは良かった。作った奴らも、それを聞いたらきっと喜ぶだろうな」


 煙草を吹かしつつ、行商人は遙か彼方に揺らめく"崩壊の砂時計"を、ぼんやりとした表情で見つめる。


「──お兄さん、聖教会の人間だろ?」


「分かるのか?」


「そりゃあ、な? さっきまで一緒にいた、可愛らしい連れのお嬢さん方とは、明らかに見た目とか雰囲気が違うからな」


 マルコシアスの顎を優しく撫でながら、行商人は続けて、


「都市国家アッカドまで行くんだろ?」


「正解。心を読むのが得意なのか?」


「いや、これっぽっちも」


 屈託のない笑みを浮かべる行商人。どうやら、嘘は吐いていないようだ。


「二、三日くらい前だったかな。アッカドに向かうっていう二人連れのお嬢さんがいたものでな、もしかしたらお兄さんたちもって思っただけだ」


「女二人で、護衛もなしに砂漠を渡ってきたのか……それは凄いな」


 マルコシアスに顔を舐め回されつつシェイドが感嘆の声を漏らすと、行商人もまた頷きながら、


「ああ、この目で見たが確かに凄かった。その二人がここを訪れた時、丁度アバドンの群れがやって来たんだよ。それが、ざっと数えて千匹くらいの大群で」


「……絶望的な数だな」


「誰もがそう思ったんだけどな、その時お嬢さんの片方が剣を抜きながら、一人で迫り来るアバドンの大群の前に立ちはだかったんだよ」


 その麗人は無詠唱で魔法陣を展開したかと思うと、瞬く間に半数以上、つまり五百匹以上のアバドンを消し炭にしてしまったという。凄まじい手練れである。


 人の身でそれほどの芸当が出来るのは、世界でも数えるほどしかいないだろう。それこそ、武芸と魔術双方に秀でている枢機卿クロウリーや、聖教騎士団長レヴィくらいのものではないだろうか。


「──強かったなぁ、あの子。肝も据わっていたし、将来かなりの大物になるだろうな」


「へぇ……確かに、若年でそれだけの芸当が出来るなら、将来が楽しみだよな」


「──お、そうだ。お兄さんたちも、都市国家アッカドに向かうんだろ? アッカドに着いて若しその子たちに出逢うことがあったら、"是非とも助けてもらったお礼がしたいから、帰りに立ち寄って欲しい"って伝えてくれないか?」


「うーん……西瓜を馳走してもらった義理もあるし、やれるだけはやってみるが」


 マルコシアスに舐め回され、ベタベタになった顔をタオルで拭いながらシェイドが頷くと、


「そりゃあ、有難い。お礼にもう一玉、お兄さんに奮発しちゃおうかな」


「……いや。代わりに、その二人の特徴を教えてくれないか? 見れば一発で分かる、みたいな特徴があれば、より探しやすくなるんだが」


「特徴? そうだねぇ……強かった方の子は、髪や肌の色がお兄さんとそっくりだったかな」


 何故だろうか。途轍もなく嫌な予感がする。


「……一つ、聞いても良いか?」


「良いとも。何だい?」


「……その子、二十歳前後くらいの見た目で、白を基調とした軍服を着ていなかったか?」


 シェイドの問いに対し、行商人は考える素振りすら見せず大きく頷いてみせる。


「若しかしてその子、お兄さんの知り合い?」


「……多分」


 間違いない。この小さなオアシス都市をアバドンの大群から救ったのは、聖教騎士団長レヴィその人だ。一つ何か突っ込むべき点があるとするならば、彼女の実年齢は三十前後であることか。


 尤も、レヴィはかなりの童顔なので、見る人によっては二十歳前後に映っても仕方がない。


 念のため、もう一人の特徴も聞いてみると、これまた一発で誰か分かるものであった。


「──もう一人の方は、十代後半くらいか? 金髪碧眼に白い肌と、まるで絵画の中から出てきたかのような可愛らしい子だったな。ふわふわしていて掴みどころのない雰囲気だったけど、子供たちからはかなり好かれていたかな。そっちもお兄さんの知り合い?」


「……ほぼ。間違いなく」


 大天使ガブリエル。シェイドがクロウリーの怒りを買った際、レヴィと共に擁護してくれた恩人だ。


 聖教騎士団長レヴィと大天使ガブリエル。精霊教会からの招待に応じ、聖教会が来賓として送り出した超大物。なるほどその二人ならば確かに、護衛もなしに砂漠を悠々と横断することが出来るに違いない。


「どうした、お兄さん? 顔色が悪いぞ?」


「い、いや……何でもない」


 レヴィは厳しく優しい上官ではあったが、何の連絡もなしに聖教騎士団を飛び出した元部下のことを、快くは思わないだろう。


 家族にも等しい大切な者たちを皆殺しにされて、気が動転していたとはいえ、レヴィに何も言わず突然行方を眩ませたのだから、脱走兵として罪に問われても仕方がない。良くて懲罰、最悪の場合は即決銃殺刑になることも、覚悟した方が良いのかもしれない。


 それに加えて、聖教の教えを放棄し、ハルモニア国教に改宗しているのだ。流石のレヴィでも、烈火の如く怒り狂う可能性は否定出来ない。


 行商人に礼を言って別れると、シェイドはそのまま重い足取りでアモンの元へと戻る。


「──顔色が悪いね。何かあった?」


 キリエと共に戻って来ていたセラフィナが、普段と変わらぬ様子で問い掛ける。


「……いや。特には何も」


「ふぅん……」


 セラフィナは音もなく歩み寄ると、シェイドの目の奥をじっと覗き込む。曇り一つない空の如く澄んだ青い瞳は言葉では言い表せぬほどに神秘的で、そのまま吸い込まれてしまいそうになる。


 そよ風が吹く度に、セラフィナの髪や身体から仄かに甘い香りが漂う。ざわついていた心が、少しずつ落ち着きを取り戻してゆくのを感じる。


 時間にして、ほんの数秒ほどだっただろうか。セラフィナは少しだけ表情を和らげると、シェイドの肩を何度か優しく叩きながら、耳元でそっと囁いた。


「──何を不安に思っているかは知らないけど、多分君が懸念しているようなことにはならないよ?」


 シェイドがはっと我に返る頃には、セラフィナはまるで何事もなかったかのように、隣に居たマルコシアスの顔を揉みくちゃにしていた。


 厳しくも優しかった嘗ての上官レヴィと、窮地を救ってくれた恩人ガブリエル……二人との再会の時は、直ぐそこまで迫って来ていた。

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