第44話 死を追う異形

 翌日──


 シェヘラザードに先導されつつ、セラフィナたちは駱駝の背に乗り、アッカドへと続く道なき道を進み続けていた。


「…………」


 水筒の水をほんの少し口に含みながら、セラフィナはそれとなく周囲の顔色や様子を窺う。


 先導するシェヘラザードは、些細な変化も見逃すまいと集中力を高めているのか、セラフィナの視線に気が付く様子はない。


 キリエは環境の変化に戸惑っているのか、忙しなく顔を動かしており、殿のアモンはそんなキリエを安心させようと数分に一度、彼女の隣に自らの乗る駱駝を寄せて肩を軽く叩いている。


 そしてセラフィナの直ぐ隣にいるシェイドは、やや警戒した様子でシェヘラザードの小さな背中を睨み付けていた。懐に忍ばせている暗器を何時でも投げられるように体勢を維持しており、彼女が少しでも怪しい動きを見せたならば、恐らくは躊躇することなく暗器を投擲するのではないだろうか。


 誰も一言も発することなく、ただ前へ前へと進むその様はさながら、死者の行軍のようであった。


「…………」


 ほんの少し息苦しさや、居心地の悪さを感じる。慣れない環境に置かれてストレスを感じているのは勿論のこと、若干ではあるが不和が生じているのもまた息苦しさを感じさせる要因となっているのは否めない。


 セラフィナたちが宿を発ち、数多の危険が待ち受ける広大なる砂漠へと足を踏み入れたのは、夜明け前のことだった。


 宿を発って間もない内は、セラフィナやアモンが先導するシェヘラザードに声を掛け、何気ない世間話をしていた。


 が、さして親しい間柄もないために話すことは直ぐになくなり、日が昇った頃には誰もがすっかり口を閉ざしてしまったのである。


 ふと、先導していたシェヘラザードが手綱を引いて駱駝の動きを止め、右手を軽く挙げる。"要警戒"を示すハンドサインである。


 キリエやシェイドの顔に緊張が走る。シェヘラザードは続けて"その場から動くな"とハンドサインを出すと、駱駝の背から飛び降りる。


 何かを見つけたのだろうか。セラフィナは駱駝からマルコシアスの背へと軽やかに飛び移ると、じっと何かを見下ろしている様子のシェヘラザードの元へと向かう。


「……シェヘラザード」


「──見ない方が、良いですよ」


 シェヘラザードの忠告を無視し、セラフィナは砂上に転がっているへと視線を向ける。


 シェヘラザードが見下ろしていた"モノ"……それは巡礼者と思われる若き母と幼き子の、見るも無惨に変わり果てた姿だった。


 両者とも苦痛に顔を歪ませており、腹部には大きな穴が穿たれていた。まるで、鋭く大きなにその身を貫かれたかのような……それに加えて生きたまま食害もされたようで、所々に不気味かつ不自然な傷が幾つも刻まれていた。


「──人、ではないね」


 セラフィナの言葉に、シェヘラザードは落ち着いた様子でこくりと頷く。


 その時だった。


 突然、砂の中から音もなく、黒光りする槍の穂先のようなものが突き出された。


 それは、異常に大きい蠍の尻尾だった。


 セラフィナやマルコシアス、シェヘラザードは咄嗟にその一撃を躱して難を逃れるも、シェヘラザードが乗っていた駱駝がその身を貫かれ、断末魔の叫びすら上げることも出来ず砂中へと引きずり込まれる。


「──やはり、パピルサグでしたか」


 駱駝と入れ替わるような形で砂の中より現れた異形の怪物を見つめながら、眉一つ動かさず淡々とシェヘラザードが呟く。


 パピルサグ──"射手"を意味する名を持つ、蠍に似た姿形を持つその黒き怪物は、砂漠地帯で最も恐れられていると言っても過言ではない存在。


 下級魔族に分類されてはいるが高い知性と機動力、そして並外れた防御力を持っている、砂漠の生態系の頂点に君臨している捕食者にして暗殺者。


 鋏の一撃はちょっとした岩程度なら軽々と砕き、尻尾の一撃は石造建築の家屋の壁さえ貫通する。


 だが、何よりも恐ろしいのは、"射手パピルサグ"たる所以……即ち精度の高い遠距離攻撃である。


 尻尾の先端にある鋭利な毒針……そこから何と、毒液を噴射することが可能である。射程距離は長く、それでいて毒性も強い。正に、神がお巫山戯で創ったとしか思えない悪夢の産物。


 それに加え、眼前に佇む個体はどうやら、人間の血肉の味を覚えてしまっている様子だった。


 パピルサグは巨体に見合わぬ素早い動きでセラフィナの方へと向き直ると、蠍特有の独特な威嚇体勢をとる。尻尾を持ち上げ、両の鋏を振り上げたその姿は何処か滑稽に見えるも、同時に得体の知れない恐ろしさも感じさせた。


 セラフィナは傍に控えるマルコシアスに目線だけで指示を出すと、無表情のまま剣を按じる。


 刹那──パピルサグの尻尾の尖端より毒液が噴射される。セラフィナは後方へと跳躍しつつ抜剣し、パピルサグに不可視の斬撃を飛ばす。


「……やるね。どうやら、一筋縄ではいかなさそうだ」


 セラフィナは淡々とした調子で呟くと、斬撃は無意味と悟ったのか剣を鞘へと収める。先ほどまでセラフィナが立っていた場所からは異臭と共に、幾重もの白い煙が立ち上っている。その視線の先では、無傷のパピルサグが相も変わらず威嚇を続けていた。


「──じゃあ、戦い方を変えるとしようか」


 セラフィナが指笛を鳴らすと同時に、パピルサグの側面へと音もなく移動していたマルコシアスが、勢い良く相手に向かって体当たりを敢行する。


 意識外からの攻撃に怯んだのか、パピルサグの巨体が僅かに揺らめいた。


 生じたその隙を見逃さず、セラフィナはパピルサグの懐へと音もなく飛び込む。


「ほら──お返しだよ?」


 次の瞬間、セラフィナの繰り出した鋭い蹴りが、パピルサグの頭部に炸裂する。パピルサグは大きく後退りをしながら、セラフィナ目掛けて尻尾を突き出す。


 セラフィナは鋭く重い一撃一撃を躱しつつ、再び間合いを詰めようとするも、砂に足を取られる所為か普段よりも動きがほんの少し鈍く、思うように間合いを詰められない。


「……ちょっと、面倒だね」


 マルコシアスがどれほど気を逸らしても、尻尾の方だけは絶えずセラフィナの方を向いている。先ほど一撃を加えてしまったことで、どうやらセラフィナを自らの生命を脅かす存在と認識してしまったらしい。


「……さて、どうしたものかな」


 パピルサグに打撃が有効なのは、蹴った際の手応えから分かった。後は同じ箇所を執拗に狙い、着実に内部を損傷させていけば良いのだが、相手もそれを理解しているのか、セラフィナを間合いに入れさせまいと警戒している。


 このままでは不利と思った矢先──


 何処からともなく飛来した流星鎚が、パピルサグの尻尾の尖端を吹き飛ばした。


「──申し訳御座いません。駱駝と一緒に埋もれた得物を見つけ出すのに、少々手間取りまして」


 華奢な手に見合わぬ武骨な流星鎚を携えながら、シェヘラザードがにこりと笑う。それと同時に、アモンがセラフィナの隣にひらりと舞い降りた。


「──すまんな、セラフィナ。少し揉めた」


「揉めた?」


「うむ。何方が君に助太刀をして、何方がキリエの身を守るかで、な。シェイドと少し揉めていた。結果として君の身を危険に晒してしまったのは、申し訳なく思っている」


 パピルサグが再度、威嚇体勢をとる。それに応じるように、アモンが軽く腰を落とす。


「何にせよ──人の味を覚えてしまった以上、この個体を生かしておくわけにはいかぬ。不憫ではあるが殺すしかあるまい」


 勢い良く突進してくるパピルサグ……その頭部を、神速とも言える疾さで繰り出されたアモンの貫手が貫いた。


 やや遅れてズドンという鈍い音が響き、衝撃波がセラフィナやシェヘラザードの髪や装束を激しくはためかせる。


 パピルサグの巨体が、砂の上に倒れ込む。アモンの繰り出した一撃が致命傷となったのは、誰の目にも明らかだった。


「──二人とも、離れていろ。綺麗な顔や服が、台無しになるぞ?」


 アモンが手を引き抜くと同時、パピルサグの頭部から大量の青っぽい血液が噴き出し、瞬く間にアモンは帰り血塗れとなる。


「……随分と、酷い臭いだね」


「……だな。早く、洗い流したいものだ」


 鼻を摘みながら話し掛けるセラフィナを見やり、アモンは苦笑いを浮かべる。


「──シェヘラザード。最寄りのオアシスまでは、あとどれくらい時間が掛かる?」


 アモンが問うと、シェヘラザードは困ったように眉をひそめながら、


「──大体、半日くらいでしょうか」


 それを聞いたアモンの顔は、まるでこの世の終わりを宣告されたかのようであった。

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