第41話 邂逅、シェヘラザード

 竜舎前の広場にセラフィナたちを背に乗せたドラゴンが降り立つと、親善外交の場としてよく使われている高級宿の方から数名の護衛を伴い、精霊教会の巫女装束に身を包んだ若い女が現れる。


「──綺麗……」


 こちらへと歩み寄ってくる女の姿を見つめ、キリエが思わずといった様子で嘆声を漏らす。


 年の頃は二十歳前後、日焼けしている護衛の兵たちと比較すると明らかに肌が白く、ハルモニア人によく見られる身体的特徴がちらほらと散見される。


 丁寧に薄化粧の施された顔は目鼻立ちがくっきりとしており非常に可愛らしいが、身に纏う落ち着いた雰囲気の所為だろうか、可愛さよりも綺麗さの方が優っているように感じられた。


「──出迎え、ご苦労」


 ドラゴンの背から軽やかな動きで飛び降りたアモンが、穏やかな声で労いの言葉を掛けると、巫女はその場に片膝を付き、胸に片手を当てながらアモンに対して深々と一礼した。


「ハルモニア式の敬礼で応えるとは見事であるな、シェヘラザード」


「有り難きお言葉、痛み入ります」


 シェヘラザードと呼ばれた巫女は、端正な顔に柔和な笑みを浮かべると、再度丁寧に一礼をする。


「──彼女は何者?」


 ドラゴンの背からマルコシアスと共に、軽やかな動きで飛び降りてきたセラフィナが尋ねると、アモンはシェヘラザードに近くまで来るよう促してセラフィナたちと対面させつつ、


「紹介しよう。精霊教会所属、巫女長ラマシュトゥの腹心、シェヘラザードだ。彼女は若いながらもハルモニアとの親善外交の取次役も担っていてな、今回我らを精霊教会本部のある、都市国家アッカドまで案内してくれることになった」


「──初めまして。シェヘラザードと申します」


 シェヘラザードはくすっと笑いながら、巫女装束の裾を軽くつまみ、細い足を交差させて優雅にお辞儀をする。どうやら彼女は、ハルモニア式の儀礼に造詣が深いらしい。ハルモニアとの親善外交の取次役を任されるのも納得である。


 アモンは続けてシェヘラザードに対し、


「──それでだ、シェヘラザード。この銀髪の少女がハルモニアの地方貴族グノーシス辺境伯の令嬢、セラフィナ・フォン・グノーシス。ベリアルの指示で急遽、彼女も来賓として都市国家アッカドへと赴くことになった。どうか宜しく頼む」


「まぁ……こちらのご令嬢が、あの……」


 シェヘラザードは興味津々といった様子で、セラフィナの顔を様々な角度からまじまじと見つめる。


「なるほど噂通り……いえ、噂以上の……」


「ふぅん……噂、ねぇ……」


 自分のあずかり知らぬところで、一体どんな噂を立てられているのだろう。セラフィナの表情が、俄に険しくなる。


「…………」


 警戒を強めるセラフィナを宥めるように、アモンが苦笑混じりに再び口を開く。


「──セラフィナよ。小さい頃から君はよく、宗教画のモデルとなっているであろう?」


 アモンの言う通り、宗教画で大地の女神シェオルを題材にした絵を描く際、セラフィナはよくシェオルのモデルに抜擢されている。


「君が大地の女神シェオルのモデルとなった絵は非常に耽美的だと、貴族階級や富裕層から絶大な支持を得ていてな。モデルとなった少女はきっと、大地の女神シェオルの生き写しに違いないと、彼らの間で噂になっているのだよ」


「あぁ……そういう。それで、君は噂がどうのこうのと言ったわけだ」


「はい……私の父が画商でして、貴方が大地の女神シェオルのモデルに抜擢された宗教画を目にする機会が多く。これほどまでに完成された美貌をお持ちのご令嬢は一体どのようなお方なのか、是非とも一度お会いしたいと宗教画を見る度に常々思っておりまして」


 やや照れくさそうな様子で、シェヘラザードは指先で頬を掻きながら笑う。


「……まさか、斯様な形でお会いすることが出来るとは思いませんでした。この出会いに感謝、ですね」


「この出会いに感謝……そうかも、しれないね」


 シェヘラザードからは、少なくとも今の所は、こちらに対する敵意や害意は全く感じられない。過度に警戒する必要は、どうやらなさそうだ。


「──初めまして、シェヘラザード。セラフィナ・フォン・グノーシス……都市国家アッカドに辿り着くまでの間、暫し貴女のお世話になります」


 セラフィナはそれまで険しかった表情をわずかに和らげると、黒のスカートの裾を軽くつまみ、白のストッキングに包まれた細い足を交差させながら、シェヘラザードに対して優雅に一礼した。


 その後、キリエやシェイドとも対面し、それぞれ簡単な自己紹介を済ませると、シェヘラザードは全員の顔を順番に見つめながら、


「──時に皆様、護符はきちんとご持参頂いておりますでしょうか」


「護符って、パズズを象ったこの像のことか?」


 シェイドが懐から小さなパズズ像を取り出しつつ問い掛けると、シェヘラザードは頷きつつも人差し指を口に当て、やんわりとシェイドに警告を発する。


「はい、それで合っています。それと……決して怒っているわけではないのですが、ほんの少しの間だけ静かにしていて貰えますでしょうか、シェイドさん?」


「……何故?」


「──貴方が、やらかしたからです」


 風向きが、変わった。シェヘラザードが、ごくりと息を呑む音が聞こえる。


 纏わりつくような熱風が吹き始めたかと思うと、風の哭く音に混じって、巨大な獣の唸り声が、少しずつ此方へと近づいてくる。


 やらかしたシェイド本人は、恐らく全く気付いていないだろう。だが、セラフィナの目にはしっかりと見えていた。


 像と全く同じ姿をした黒き巨獣が、軽々しく自分の名を口にした不敬なる輩の姿を求め、熱風を纏って自分たちの周囲を、獲物を追い詰める捕食者の如く、ゆっくりと動き回っている様子が。


 それも、一体だけではない。その巨獣は何と複数体に分裂して、不敬なる獲物を探し求めていた。


 間違いない。彼の巨獣こそ、パズズ──病魔をもたらす熱風と蝗害を司る、強大な力を有する大精霊。


 時間帯が夕暮れ時ということもあり、徐々に暗くなってゆく中で蠢くパズズの姿は、何と言い表せば良いのか分からぬほどに不気味で恐ろしい。


 パズズは暫くの間、分身体と共に自らの名を口にした者の姿を探し求めていたが、やがて対象への興味を失ったのか、熱風と共に何処かへと去っていった。


「……ふぅ」


 セラフィナが額に浮かんだ冷汗を手の甲で拭いつつ安堵の溜め息を吐くと、シェヘラザードもまた安堵したようにほっと胸を撫で下ろす。


 アモンは相変わらず落ち着いていたが、目の動きなどから察するにセラフィナたちと同様、しっかりとパズズの姿が見えていたようである。


「……どうやら、見逃して頂けたようです」


「そう、みたいだね……姿が見えた時は、内心焦りを覚えたけれど、何とかなって良かったよ」


「あはは……稀にいらっしゃるんですよ……巫女体質、とでも言えば良いのでしょうか。肌身離さず護符を持っているにも関わらず大精霊様のお姿が見える、という方が。斯く言う私もそうでして。セラフィナさんも恐らくは……」


 シェヘラザードはそこで背筋を正すと、キレのある動きでシェイドへと向き直る。


「──"天使の話をすると、翼の音が聞こえる"。この言葉に聞き覚えは?」


「一応、あるが……」


「では、"堕天使の話をすると、その堕天使が直ぐ傍まで寄ってくる"。この言葉に聞き覚えは?」


「あるが……若しかして……」


「はい。その若しかして、です」


 シェヘラザードは何度か大きく深呼吸をすると、


「宜しいですか、シェイドさん。大精霊様の名をみだりに口にしてはなりません。大精霊様は、砂漠地帯の全ての場所に存在しております。迂闊に大精霊様の名を口にしたならば、貴方のみならず他の皆様の命をも危険に晒すこととなります。どうか、分かって頂けますでしょうか」


「……分かった。次からは気を付けるよ」


 シェイドが頷くのを確認すると、シェヘラザードは表情を和らげながら、


「今日はもう遅いです。宿で一番良い部屋をご用意しましたので、ゆっくりと疲れを癒し、そして英気を養って下さい。さぁ、こちらです」


 シェヘラザードに案内され、セラフィナたちは竜舎前の広場を抜け、宿へと続く道を進む。歩を進めるセラフィナの耳に、夕暮れの風に乗ってパズズの咆哮が聞こえたような気がした。

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