第40話 荒御魂を統べる熱風の王

 セラフィナたちが、国境へと移動している丁度その頃、聖教騎士団長レヴィと大天使ガブリエルの二名もまた、精霊教会の本部がある都市国家アッカドを目指し、旅を続けていた。


 砂漠地帯某所──


 都市国家アッカドに向かうと言う行商人との交渉を終えたレヴィは、広場で現地の子供たちと戯れているガブリエルの元へと足早に向かった。


 レヴィたちが立ち寄っているのは、やや小規模なオアシス都市であった。砂漠地帯の中にはオアシスと呼ばれる、絶えず水が得られる場所がある。そうした場所には人が集まりやすく、場合によっては血で血を洗うような争いに発展することもしばしばあると言う。


「──ガブリエル様。ただいま、アッカドへと向かうという行商人との交渉を終えて参りました」


 レヴィの言葉に、子供たちに御伽噺を語って聞かせていたガブリエルは顔を上げる。天使であることに気付かれぬよう、彼女は魔術で翼を巧妙に隠していた。


「ご苦労様です、レヴィ。それで、如何でしたか?」


「はい。交渉の結果、喜んでアッカドまで我らを同行させてくれるとのことに御座います。代わりに、やや報酬を弾むことになってしまいましたが……」


 若干不満そうに、レヴィは頬を膨らませる。商人という生き物には、強欲な者しかいないのか……そう言いたげな様子である。


 もっと、もっとと子供たちがガブリエルに御伽噺を聞かせてくれとせがむ。どうやら、この短時間ですっかり懐かれてしまったようだ。


 異なる存在を信仰する異教徒が相手でも、聖教徒と同じように接するガブリエル。慈愛と優しさに満ちたその様は正しく、神の代理人に相応しい。あの邪智暴虐なる枢機卿クロウリーでさえ、彼女には頭が上がらないのも納得である。


 そんなガブリエルのことを、レヴィはほんの少し羨ましく思った。先代騎士団長たる親の七光りと、クロウリーを始めとする年寄り連中から小馬鹿にされ、まるで相手にして貰えないレヴィにとって、尊崇を集めるガブリエルは憧れ以外の何者でもなかったのだ。


「──お待たせ致しました」


 恰幅の良い男が、積荷を背負った何頭もの駱駝を引き連れて広場へとやって来る。レヴィが先ほど交渉をした、件の行商人である。


 ガブリエルの周囲に屯っていた子供たちが我先にと逃げ出したところを見るに、彼はどうやら現地民からあまり好かれてはいないようだ。交渉する相手を間違えたかもしれないと、レヴィは自らの目が節穴だったことを内心で恥じる。


「──うら若き女性二人で、ここまで来るのは大変だったでしょう。しかしながら、ご安心下さい。報酬を頂いたからには必ずや、貴女方をアッカドまで無事に送り届けてご覧に入れます」


「…………」


 男の言葉に、レヴィは閉口する。


 実際、このオアシス都市に辿り着くまでの間、高頻度で何かしらのトラブルに見舞われたのは紛れもない事実であった。


 しかしながら、その原因の殆どがガブリエルにあったことを、恐らくこの行商人は知らぬであろう。


 何処からかパピルサグの幼体を拾ってきて、親と思われる巨大な個体に追い回されたり、寄り道してイフリートの縄張りへと迷い込み、怒り狂ったイフリートと戦う羽目になったり、ハイエナの群れに扮したグールたちをガブリエルが追い回したり……最早、枚挙に遑がない。


 好奇心旺盛なガブリエルに日夜を問わず常時振り回され続けたレヴィの心労たるや、想像に難くない。


「──私の顔に、何か付いていますか?」


 何とも言えない表情を浮かべながら自分を見つめてくるレヴィに対し、ガブリエルは不思議そうに首を傾げる。自覚がないというのも考え物である。


 その時──


 何処からともなく、ラッパのような音が連続して聞こえてくる。ラッパのような音は鳴り止まず、そればかりか無数の羽音と共に、徐々にこちらへと近付いてくるのが分かった。


「──アバドンだ!!」


 襲撃を報せる鐘がなると同時、誰かが叫ぶ。人々が悲鳴を上げながら、次々に家の中へと避難するのが見えた。


 餌を求めて巨大な人面蝗アバドンの群れが、このオアシス都市にやって来たのだ。


 少しずつ迫って来る、黒い大群。その数は、恐らく千を優に超えるだろう。あれほどの数のアバドンに蹂躙されれば、この小さなオアシス都市は瞬く間に破滅してしまうに違いない。


 慌てふためく行商人を余所に、レヴィは落ち着いた様子で音もなく剣を抜いた。


「──私が、あの異形たちを迎え撃ちましょう。ガブリエル様たちは自らの身の安全を考慮し、何処かに隠れて頂きたい」


 言うや否や、レヴィは無詠唱で瞬時に魔法陣を展開し、巨大な火球を次々とアバドンの大群目掛けて撃ち出す。一撃で数十匹ものアバドンが焼滅するほどの威力、数秒も経たぬうちに半数以上が討ち取られたにも関わらず、アバドンたちは尚も突っ込んで来る。


「……よもや我が力を、見知らぬ異教徒たちの生命を守るために使うことになろうとはな」


 レヴィが、実年齢より遥かに若く見える端正な顔に不敵な笑みを湛えつつ、迫り来るアバドンの群れに対して剣を構えた次の瞬間──


「──っ!!」


 ──風向きが、変わった。激しい敵意と殺意を剥き出しにしながら、四方八方から強大な力を有した何者かが、熱風を纏ってやって来る。


 猛獣を思わせる、不気味な唸り声が響く。何がやって来たのか、本能的に理解したのだろう。現地民たちが何処か怯えた様子で、手を組み祈りを捧げている。


「──悪には、更なる悪を」


 集中力を高めていたレヴィの耳に、誰とも知らぬ呟きが聞こえた。


 熱風に纏わり付かれたアバドンたちが、甲高い悲鳴を上げながら次々に大地へと落下する。楽に死ぬことすら許されていないのか、悲鳴を発しながら激しくのたうち回っているのが、遠目からでもよく分かる。


 蜃気楼のように、上空に巨大な異形がぼんやりと姿を現したかと思うと、感情の凪いだような目で、レヴィの顔をじっと見つめる。


 雄々しき獅子を思わせる頭部と腕、猛禽類を彷彿とさせる、背中に生やした四枚の大きく力強い翼と脚、そして長大なる蠍の尾を有する、全身が黒く塗り潰されたような外見の悍ましい怪物。


 ──大精霊パズズ。病魔をもたらす熱風と蝗害を司る、荒御魂たちを統べる王。悪霊の支配者。


 パズズは暫くの間、何も言わずに無言でレヴィを見つめていたが、やがて口元を不気味に歪めて笑いながら、霧の如く四方八方へと霧散した。


「…………」


 剣を鞘へと収めながら、レヴィは心の中でパズズに問う。お前は一体、何を考えているのか……と。精霊教会の本部がある都市国家アッカドにて、一体これから何を始めようとしているのか、と。


 何度も何度も、今も大気中に潜み自分たちを見ているであろうパズズに対して問うレヴィ……だが、パズズからの答えが返ってくることは遂になかった。

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