第39話 未知なる土地を目指して

 晴れ渡った空の下、セラフィナたちを乗せたドラゴンは、ハルモニアと精霊教会の勢力圏との国境に位置するハルモニア国境守備隊の駐屯地を目指し、帝都アルカディアを出立した。


 帝都アルカディアから国境守備隊の駐屯地までは丸一日、駐屯地から精霊教会本部がある都市国家アッカドまでは駱駝ラクダで一週間ほど。これはあくまで予定通りに移動が出来た場合の話なので、実際は予定より遅くなることが大いに予想される。


「…………」


 大きな欠伸をするマルコシアスの顎の下を優しく撫でてやりながら、セラフィナは遙か遠方に聳え立つ、蜃気楼の如く不規則に輪郭を変化させる巨大な砂時計を、何処か感情の凪いだような目で見つめていた。


「──浮かない顔をしているな?」


 ドラゴンを慣れた手付きで御しながら、アモンが見向きもせずにそう問い掛けると、セラフィナは風に吹かれて大きく靡く、艶やかな銀色の長髪を片手で押さえつつ、


「──まぁ、ね。正直なところ、今回の依頼は気が進まないんだよね」


「ベリアルからの依頼内容が基本的に碌でもないものしかないのは、今に始まったことではなかろう?」


「それはそう。出来ることなら、彼からの依頼なんて引き受けたくないけれど」


 小さな溜め息をほっと一つ吐くセラフィナ……草臥れたその様子からは、まだ齢十六の清らかで可愛らしい少女とはとても思えない、何とも言えない哀愁が漂っている。


 セラフィナの隣では、やや寝不足気味なのかキリエが彼女の肩に寄り掛かりながら静かな寝息を立てており、対面では目の下に隈を作ったシェイドが黙々と愛用する武器の手入れをしていた。


 この場に存在する全員が草臥れているのは、最早呪いか何かの類ではなかろうか。物理的、精神的の違いはあれど、全員が草臥れているとは、悪い意味で奇跡的なメンバー構成である。


 果たしてこのメンバーで無事に役目を終え、生きて再び故郷の土を踏めるのだろうか。既に草臥れている面々を見ていると、些か不安になってくる。


 恐らく、全く同じことをシェイドやアモンも思っていることだろう。否、傍から見れば呑気に眠っているようにしか見えないキリエでさえも、同じことを憂いているかもしれない。


 その時──突撃を告げるラッパの音が複数、高らかに響き渡る。見ると地上に、黒の軍装で統一された大軍勢が、互いに対峙するような形で展開しているのが視界に飛び込んでくる。軍勢が両方ともハルモニア帝国軍であることは、誰の目にも明らかだった。


「──アモン、あれは何?」


 不審に思ったセラフィナが尋ねると、アモンは落ち着いた様子で淡々と、


「帝国第一軍と第四軍が四日ほど前より、長期に渡る大規模な軍事演習をしている。使用期限切れが近い弾薬の処理と実戦とを兼ねているようだな」


 突撃ラッパの音が再度響き渡ると同時、黒の軍装と芦毛の軍馬で統一された騎馬隊が突撃を開始する。騎馬隊の数は凡そ一万だろうか。土煙を上げながら、ラッパの音と共に敵陣へ突っ込んでゆく様は、遠目に見ていても途轍もない迫力である。


「あの突撃の仕方……見覚えがあるぞ。聖教騎士団の主戦力である白馬騎兵の突撃方法と、殆ど同じだ」


 眼下で繰り広げられる約一万の騎兵たちによる大規模な突撃を、嘆声を漏らしながらシェイドが見つめている。まるで子供のように目を輝かせながら。その様子は見ていて何処か微笑ましい。


「うむ──あれは、聖教騎士団が実際に先の大戦で仕掛けてきた戦法を再現している。時代遅れだと思われていた騎兵が思いの外、先の大戦ではその高い機動力を生かして戦場にて猛威を振るった。如何にして敵の主戦力たる騎兵を無力化するのか……時が流れた今でもこうして、試行錯誤が続いておる」


「でも、今の聖教騎士団が、昔のように騎兵を主戦力にしているとは限らないんじゃない? 相応に近代化している可能性もあると思うんだけど」


 確かに、火砲が主流となった現代に於いて、何時までも騎兵のみを主戦力にしているとは考えづらい。セラフィナの指摘は、至極尤もである。


「今の聖教騎士団長であるレヴィは、積極的に組織改革を推し進めていると聞く。もしかすると、騎兵に代わる新たな兵科を主戦力としているかもしれぬな」


「どうだったかな……確かに、砲兵の数を増やすだとか重装騎兵を廃止するだとか、常日頃からぼやいていたような気もするが」


「随分と、聖教騎士団の内部事情に詳しいんだね。もしかしてだけど、君と聖教騎士団長レヴィってお知り合いだったりするの?」


 セラフィナの何気ない一言を受け、シェイドの顔が見る見るうちに青ざめてゆく。どうやら、彼は自ら墓穴を掘ってしまったらしい。


 とは言え、シェイドが聖教騎士団長レヴィと知り合いであろうとなかろうと、セラフィナにとってそれは些事、割とどうでも良いことである。


 気にならないのかと問われれば嘘になるが、根掘り葉掘り聞いて相手の機嫌を損ねるくらいなら、知らないままで別に良い。これまで構築してきた信頼関係を破壊してまで聞こうとは、微塵も思わなかった。


「……冗談。今のは、聞かなかったことにして」


 セラフィナは表情を和らげながらそう呟くと、再び眼下で繰り広げられる軍事演習の様子を見つめる。


「それにしても──第一軍と第四軍の総兵力を合わせると、十万を超えるんだっけ。こんな時期に、精霊教会勢力との国境からそう離れていない場所で大規模な軍事演習をするなんて、軍上層部は何を考えているんだろうね」


 帝国軍の総指揮権を現在有しているのは、ハルモニアの当代皇帝ゼノンその人である。実際は死天衆が握っているに等しいが、表向きはまだ皇帝が権限を持っているはずだ。


 "崩壊の砂時計"が今も尚、終末までの残り時間を刻み続けているこの状況下。わざわざ仮想敵である精霊教会を刺激しかねない軍事行動を取るなど、とても正気の沙汰とは思えない。


 エリゴール率いる帝国第三軍が涙の王国へと進駐した事件もそうだが、俄に世界情勢がきな臭くなってきているのは、恐らく気の所為ではないだろう。


「軍事演習をするにも、場所が必要であるからな。民間人が立ち入らない場所で、尚且つ大軍同士の模擬戦が可能な広々とした場所を探した結果、偶然にも精霊教会勢力との国境の近くになっただけであろう」


「そう……要は、私の考え過ぎってこと?」


「身も蓋もない言い方をすれば、そうなるな」


 考え過ぎ……本当に、そうなのだろうか。眼下で不気味に蠢く無数の黒を見ていると、とてもそうとは思えない。


「…………」


 尚も不安に駆られている様子のセラフィナを見やると、アモンは優しく微笑みながら、


「……到着までは、まだ暫く掛かる。怪我明けで、体調もそれほど良くはなかろう。少し休んではどうだ」


「……うん。お言葉に甘えて、そうしようかな」


 マルコシアスの頭を撫でながら、セラフィナはゆっくりと目を閉じる。直ぐ隣で静かに眠っているキリエの柔らかな温もりが、衣服越しに伝わってくる。


 キリエとマルコシアス、双方の温もりに包まれながら、セラフィナは少しずつ微睡みの中へと落ちていった。

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