第36話 新たなる任務
帝都アルカディア──大神殿の敷地内にある竜舎前に着陸するや否や、セラフィナたちはアザゼルに、大神殿の地下にある部屋まで案内された。
大神殿内の他の場所とは異なり、その部屋は光源が蝋燭の薄明かりしか存在しないため、何と言い表せば良いのか分からぬ不気味さを醸し出している。
「──失礼するよ」
「──どうぞ、入って頂いて構いませんよ」
アザゼルが扉をノックすると、部屋の中から聞き覚えのある声が耳に届き、セラフィナはわずかに眉をひそめる。その隣では、シェイドがセラフィナ以上に、露骨に嫌そうな顔をしていた。
扉がゆっくりと開いてゆく。広々とした空間の中央には大きな作戦卓が設置されており、その上に広げられた世界地図を見ながら、バアルとアスモデウスが何やら不穏な会話をしている。
その少し奥では、ベリアルが机の上に大量に積み上げられた資料に目を通しつつ、グラスに注がれたワインを優雅な所作で口に含んでいるのが見えた。
「──おやおや……誰かと思えば、セラフィナたちも一緒でしたか。呼びに行く手間が省けて何よりです」
「それもまた、君の想定の範疇だろう?」
「否定はしませんよアザゼル。複数のパターンを常に想定しておけば、予想外の事態などそうそう起こりませんからね」
グラスを机に置き、椅子から立ち上がると、ベリアルはにこやかな笑みを湛えながら、セラフィナたちの元へと音もなく歩み寄ってくる。
「療養生活は楽しかったですか、セラフィナ?」
「……悪くはなかったわ。貴方から届いた、あの召集令状のお陰で全てが台無しになったけれど」
「それは良かった──新月の翌日に届くよう、わざわざタイミングを計った甲斐があったというもの」
ベリアルはそう言うと、応接用と思われるスペースへとセラフィナたちを案内する。黒色のソファーやテーブルは何れもシンプルなデザインでありながら、良い素材が使われているであろうことが見て取れる。
「……本題に入る前に聞いておきたいのだけれど、この部屋は一体何?」
ソファーに腰掛けながらセラフィナが尋ねると、向かい合う形で対面のソファーに腰を下ろしたベリアルはニヤリと笑いながら、
「元々は空き部屋だったのですが、使わずにそのままというのも勿体ないと思いまして。皇帝陛下の許可を得て、私たちが普段常駐する部屋にしてみました」
「なるほど、ね……"死天衆が悪巧みをする部屋"と」
「その言い方だと、語弊がありますよセラフィナ。悪巧み以外も、きちんとしていますので」
悪巧みをしていること自体は否定しないのか。セラフィナは肩を落としながら、大きな溜め息を一つ吐いた。傍に控えるマルコシアスも、何とも言えない表情を浮かべている。
「……おや、随分と居心地が悪そうですね? 両手に花で、普通の殿方なら喜びそうなものですが……どうやら思いの外、君は初心だったようですね?」
真正面に座っているシェイドを見つめ、ベリアルは心底愉快そうに含み笑う。左側にはセラフィナ、そして右側にはキリエ……二、三人用のソファーなので、丁度ぴったりと両側から挟まれている彼の顔は、極度の緊張のあまり今にも魂が抜けてしまいそうであった。
「今にも昇天してしまいそうな彼は放っておいて、早速本題に入るとしましょう」
「──そうだね。私だって、貴方とこんな場所で、長時間顔を合わせていたくないし」
同意を示しながら、セラフィナが頷くのを確認すると、ベリアルは一枚の招待状を取り出し、セラフィナへと差し出した。
「……これは?」
「精霊教会の最高指導者、巫女長ラマシュトゥから届いた招待状です。大精霊パズズが降誕してから今年で二千年になるということで、盛大なる祭儀を執り行うので来賓として是非とも来て欲しいと」
「珍しいね。精霊教会に属する諸勢力は、かなり排他的だと言うのに。それで?」
セラフィナの問いに対し、ベリアルはにやにやと笑みを貼り付けたまま、
「最初は皇帝陛下を来賓に、とのことでしたので丁重にお断りしました。ですが、向こうもかなり諦めが悪くてですね……何度も何度も、招待状を送り付けてくるのですよ」
「それと私たちを召集したことに、何の関係が?」
「関係ならありますよ。君たちにはこれから、精霊教会の本部がある大都市アッカドまで赴いてもらいます」
ベリアルの言葉に、セラフィナは耳を疑った。ベリアルは続けて、
「ラマシュトゥと何度か書状でやり取りした結果、皇帝陛下の代理人として、アモンがアッカドへと赴くことに決まりましてね……なので、君たちはアモンの従者として、彼に同行してもらいます」
「何故? アモン一人でも、問題ないでしょう?」
「聖教会からは、大天使ガブリエルと聖教騎士団長レヴィが招待に応じることが分かっています。それでも君は、問題はないと思いますか?」
大天使ガブリエル、聖教騎士団長レヴィ……確かに二人ともかなりの大物である。それでも、アモンが後れを取るとは到底思えないのだが。
そんなセラフィナの心の内を見透かしたのか、ベリアルはすっと目を細める。
「ここだけの話──君たちを従者として同行させるよう願い出たのは、他ならぬアモンなのですよ」
「アモンが……? 私を?」
「行方不明となった剣聖アレス……今も、ハルモニア国内では懸命なる捜索が続いておりますが、成果は芳しくありません。だからと言って、聖教会の支配する土地に彼が戻るとは考えられない。見つかれば即刻死刑なのは確実ですし、見つかっていれば何らかの形で耳に届くでしょう」
確かに、ベリアルの言う通りではある。聖教会からすればアレスは、祖国や組織を裏切った大罪人。彼が見つかり身柄を拘束されれば、大々的に報じられることだろう。
それがないということは、アレスは聖教会の支配する土地にも、ハルモニアにもいないということだ。
「ハルモニアにはいない、聖教会の支配する土地にいるとは考えられない。そうなると必然的に、精霊教会の影響下にある砂漠地帯が怪しくなりますよね?」
「……えぇ、確かに」
「あくまで可能性の話になりますが、若しアモンに従者として同行すれば、失踪した養父の痕跡を見つけられるかもしれません。必ずとは言い切れませんが、少なくとも可能性はゼロではない」
わずかでも可能性があることを、殊更に強調するベリアル……セラフィナは断りたくても断れない状態へと追い詰められていく。
「どうです、セラフィナ? 一縷の望みに、賭けてみるつもりはありませんか?」
「……分かったわ」
何処か諦めたような表情で、セラフィナは小さく頷いた。ベリアルに上手く言いくるめられたような気はしていたものの、わずかな望みに賭けてみたいという想いがあったのもまた、紛れもない事実だった。
「──決まり、ですね」
ベリアルは不敵に笑うと、何体かの小さな像をセラフィナたちに手渡した。獅子を思わせる頭部と腕、猛禽類を彷彿とさせる足と、背に生やした四枚の大きな翼……そして
「……何、これ」
「大精霊パズズを象った像です。精霊教会の影響下にある土地に入ってから護符として機能しますので、肌身離さず大切に持っていて下さい」
曰く、パズズは病魔をもたらす熱風と、蝗害を司る危険な存在であり、護符なしで土地に入ると外敵としてパズズに認識され、病魔に侵されてしまうらしい。
「──出発は五日後。準備は全てアモンがやっていますので、君たちは出発までの間、ゆっくりと身体を休めて英気を養って下さい。それと──」
ベリアルはそこで一旦言葉を区切ると、
「──国境を越えたその先は、全て大精霊パズズの庇護下にあります。つまりはパズズから常に監視されているものと思って下さい」
「…………」
「良いですか? 国境を越えてからは絶対に、迂闊な行動は取らないように。尤も──死にたいと言うのであれば、話は別ですけどね?」
表情を強張らせながら頷くセラフィナたちの顔を順番に見やると、ベリアルは白い歯を見せてにこりと笑った。
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