第35話 再び帝都へ

 帝都アルカディアからの迎えが来るのを、シェイドは戦々恐々としながら待っていた。


 隣では負のオーラを纏ったセラフィナが、ゾッとするような無表情のまま一言も発さず佇んでおり、傍に控えるマルコシアスもそんな彼女に何処か怯えた様子である。


 セラフィナがあからさまに不機嫌なのには、当然相応の理由があった。


 数日前──新月の夜を乗り越えて疲弊していたセラフィナの元に、帝都アルカディアから召集令状が届いた。差出人は、死天衆のリーダー格ベリアル。


 一晩中、"聖痕スティグマータ"から発せられる激痛と出血に苦しめられ、過剰とも言えるストレスを抱えていたところに、追い討ちをかけるかの如く届けられた、ベリアルからの召集令状。


 療養が終わったら養父アレスの捜索を再開しようとしていたセラフィナにとって、タイミングを計ったように届けられたベリアルからの召集令状は、正に嫌がらせ以外の何物でもなかった。


 故に、セラフィナは機嫌を著しく損ねてしまい、何が切欠で怒りが爆発しても可笑しくない状態となってしまったのである。尤も、そのような状態でも、周囲に当たり散らすような真似だけは、決してしなかったのだが。


 緊迫した空気が漂う中、転移魔法で帝都からの使者が、巨大なドラゴンと共に姿を現す。黒を基調としたハルモニアの将官服を優雅に着こなし、不気味なデスマスクで素顔を隠した堕天使。間違いなく、死天衆の一柱だった。


「──死天衆が一柱アザゼル。ハルモニア皇帝ゼノンの命を受け、貴卿を迎えに参った……セラフィナ・フォン・グノーシス」


 ドラゴンの背から軽やかに飛び降りると、アザゼルと名乗った堕天使はわざとらしく丁寧に一礼した。


「……残念。アモンじゃないんだね」


 底冷えのするような声でセラフィナが呟くと、アザゼルは自らの顔を象ったデスマスクの奥より、くぐもった笑い声を発しながら、


「生憎アモンは私と違って、暇ではないのでね……私が迎えの使者では不服かな?」


「かなりね。ベリアルじゃないだけ、マシだけど」


 この世の終わりの如き雰囲気を醸し出すセラフィナとは対照的に、アザゼルは何処か嬉しそうである。


「──帝都までは転移魔法で? それとも、ドラゴンの背に乗って、優雅な空の旅を楽しみたいかな?」


「後者で。楽しめそうにはないけど」


「……なぁ、セラフィナ。転移魔法なら、一瞬で帝都まで行けるんだよな。何故、そんなに転移魔法で移動するのが嫌なんだ?」


 前々から気になっていたことを恐る恐るシェイドが尋ねると、セラフィナは無表情のまま淡々と、


「──転移魔法はね、移動する時に一度身体の全てを分解して、到着地点で分解された身体を再構築する魔法なんだよ。つまり、移動する時に一度死亡して、この世から存在が消え失せるわけ」


「……でも、再構築されるなら問題ないのでは?」


「再構築された身体が、本当にそれまでの自分だと証明出来ないでしょ? 同じ身体、同じ思考、同じ性格の別人かもしれない。だから転移魔法は嫌なんだよ」


 分かったような、分からないような……兎も角、転移魔法というものに対して彼女が非常に懐疑的であることだけは、とても良く理解出来た。


「──と、言うわけで、また暫く留守にするから」


 セラフィナがナベリウスたちへと向き直り、表情を和らげながらそう言うと、ナベリウスもまた柔和な笑みを皺だらけの顔に浮かべながら、


「──はい、セラフィナお嬢様。留守はこのナベリウスたちにお任せ下さい。どうか、ご無事で……またのご帰還を、従者一同心待ちにしております」


「……うん。ありがと、ナベリウス」


 セラフィナが、アザゼルの御するドラゴンの傍へと歩み寄ろうとしたその時──


「──私も、連れて行って下さい!」


 屋敷から飛び出してきたキリエが、息も絶え絶えと言った様子で、肩で大きく息をしながら、セラフィナの顔を必死の形相で見つめる。


「キリエ……」


「お願いします、セラフィナ様……どうか、このキリエも連れて行っては頂けませんか……? 戦いは不得手ですが、治癒魔法の心得はあります……絶対に、セラフィナ様の足手まといにはなりません! どうか……」


 縋るような目で訴えるキリエ……そんな彼女を突き放すように、シェイドが反論する。


「何を馬鹿なことを──折角手に入れた穏やかな日々を、みすみす手放すつもりなのか?」


「そ、それは……」


「それに第一、君はお世辞にも身体能力が高いとは言えないだろう。何もないところで躓いて転ぶ、どう考えたって足手まといだ。悪いことは言わない、君はここに残るべきだ」


「……で、でも……私、は……」


 口調は厳しいが、シェイドもまたキリエの身を案じているであろうことは、彼の発する言葉の端々からひしひしと伝わってくる。


 恐らく、今回ゼノンから──厳密にはベリアルから与えられるであろう任務も、危険極まりないものとなる可能性が極めて高い。死と常に隣り合わせの危険な任務に、キリエを連れて行くわけにはいかない。


 シェイドの考えは尤もだ。しかし──彼女の自由意志を尊重してやるのもまた、正しいのではないか。


「──そこまでにしなよ、シェイド」


 力なく項垂れるキリエに対し、尚も厳しい言葉を浴びせるシェイドをやんわりと窘めると、セラフィナは彼女の元へと歩み寄り、顔を上げるように促した。


 シェイドから厳しい言葉を浴びせられ、キリエは今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。セラフィナはそんな彼女の頬をそっと撫でると、


「──私たちと一緒に来るということは、何時死んでも可笑しくないということ。若し、見知らぬ土地で落命することになっても……後悔はしない?」


「……はい。覚悟は、出来ています。たとえ死ぬことになろうとも、後悔は絶対にしません」


 ルビーを思わせるキリエの紅い瞳の奥を、セラフィナはじっと覗き込む。その様子を、アザゼルを除く周囲は固唾を呑んで見守っていた。セラフィナが果たして、どのような判断を下すのか。


「…………」


 やがて、セラフィナはくすっと笑うと、キリエの身体をそっと抱きしめながら、


「──良いよ、キリエ。私たちに付いて来ても」


「えっ……本当、ですか?」


「その代わり──最低限、護身用の武器を人並みに扱って、自分の身だけでも守ることが出来るようにはなってもらうからね。分かった?」


 涙で潤んでいたキリエの瞳が、見る見るうちに輝きを増してゆく。喜びの余り興奮していることが、頬を紅潮させて今にもはしゃぎそうな彼女の様子から見て取れた。


「……セラフィナ」


「悪いね、シェイド。君の意見は至極尤もだった。でも、私は彼女の自由意志を尊重しようと思ってね」


「いや……別に、構わんさ。君のその選択も、あながち間違ってはいないからな」


 喜びを全身で表現しているキリエの姿を何処か微笑ましそうに見つめながら、シェイドはセラフィナの言葉に何度か軽く首肯した。


「──纏めた荷物、急いで取ってきます!」


 心做しか軽やかな足取りで、キリエはナベリウスの後ろに控えていたエコーと共に、屋敷の入り口を目指して駆けてゆく。


「──そういうことだから、帝都に到着するのが、予定より遅れるかもしれないけど良い?」


「あぁ……別に構わないよ、セラフィナ。こうなることも、全て──ベリアルが予想した通りだからね」


 屋敷の中へと姿を消すキリエたちの後ろ姿を見つめながら、アザゼルは口元を不気味に歪めて笑った。

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