第33話 エリゴール来訪

 セラフィナとラミアが庭園で午後のティータイムを楽しんでいると、一陣の風と共に一人の堕天使が、転移魔法を用いて姿を現した。


 帝国軍の、それも上層部所属であることを示す黒の将官服を身に纏い、ハルモニアの国章が装飾されている制帽を目深に被っているその堕天使は、セラフィナのよく知る存在であった。


 目深に被っていた制帽を脱ぐと、短く切られた銀髪と、涼やかな深紅の瞳が特徴的な、爽やかな好青年といった風貌が露わとなる。


「──久しぶりだね、セラフィナ」


 堕天使がにこやかに微笑みながら挨拶すると、セラフィナはゆっくりと椅子から立ち上がり、右手を胸に当て、足を軽く交差させながら丁寧に一礼した。


「──久しぶりだね、エリゴール」


 黒を基調とした帝国軍の将官服が良く似合う、彼の堕天使の名はエリゴール。死天衆に次ぐ実力を有する強者。槍の名手にして、常に数手先の未来を見通す力を持った、生粋の兵法家である。


「──涙の王国の調査で、君が結構酷い怪我をしたと上から聞かされてね。何とか時間を作って、見舞いに行きたいと前から思っていたんだよ」


 セラフィナと向かい合うような形で、対面の椅子に腰掛けると、エリゴールはラミアが淹れた紅茶を口に含みながらほっと溜め息を吐いた。


「何にせよ、思ったより元気そうで良かったよ」


「ありがと、エリゴール。でも良いの? こんなところで呑気に油を売って。上から叱られない?」


 数日前の新聞には、エリゴール率いる帝国第三軍が涙の王国に進駐したと書かれていた。今の彼は本来、進駐先の涙の王国にいるのが普通であり、そんな彼がグノーシス辺境伯領にいるのは明らかに異常だった。


 そんなセラフィナの心配を余所に、エリゴールはラミアの焼いたクッキーを美味しそうに食べながら、


「……正直、今の段階では、僕が率先してやらないといけないことは、殆どないんだよね。周辺に跋扈する下級魔族や堕罪者の駆除、速やかなる陣地の構築に加えて本国と陣地とを繋ぐ安全な補給路の確保……」


「だから、私のところに油を売りに来たと」


「その言い方だと語弊があるよ、セラフィナ。忙しい中で何とか空き時間を捻出して、こうして君の見舞いに来たんだから」


 指先で頬を掻きながら苦笑するエリゴール……戦争狂の彼が、愛して止まない戦争をするための下準備を放り出してまで見舞いに来てくれたことを、セラフィナは少し嬉しく思った。


「……外の様子はどう?」


 セラフィナが紅茶を口に含みつつ尋ねると、エリゴールは困ったように眉をひそめながら、


「──阿鼻叫喚、だね。僕たちが涙の王国に進駐した件について、聖教会から苦情が幾つも入っている」


「だろうね──苦情を入れてきたのは? やっぱり教皇グレゴリオとか、聖女シオンとか、聖教騎士団長レヴィとか? それとも、天使のトップである天使長ミカエルや、大天使ガブリエル辺り?」


「うーん……その辺りは意外なことに、黙りこくっているんだよね。穏健派の聖女シオンは兎も角、聖教騎士団長レヴィまでもが何も言ってこないのは、些か肩透かしを食らった気分だね」


 では、誰がハルモニアの動きに対し苦言を呈したのか。セラフィナやラミアの抱いた疑問を見透かしたように、エリゴールはすっと目を細める。


「──枢機卿クロウリーだよ、セラフィナ」


 枢機卿クロウリー……聖教会という組織に於いて、教皇に次ぐ地位を有する稀代の怪物。異端審問官たちを率いて、数多の無辜な命を奪ってきた悪名高き男。


 枢機卿という立場にありながら、自らも最前線に赴く武闘派であり、剣の腕前は剣聖アレスにも引けを取らぬと言われている。それに加えて超一流の魔術師でもあり、"最後の魔術師"の異名を持つ。


 "最終戦争ハルマゲドン"の際も、武器を持たぬ女子供も含めた大勢の異教徒を自らの手で殺害しており、積み重なった死体の山の上に立ち、返り血に塗れた顔に不気味な笑みを浮かべる彼の姿を目にして、トラウマを植え付けられた者は数知れない。


「──涙の王国は今も尚、聖教会に属しており、異教徒の畜生たちが足を踏み入れることは即ち、聖教会への宣戦布告に他ならぬ。我はハルモニア皇帝ゼノンに対して、涙の王国からの即時撤兵と、領土侵犯に関わる賠償金の支払いを命ずる」


「……随分と、上から目線だね。ハルモニアという大国の長である皇帝陛下に対して、命令するだなんて。聖教会の重鎮だから、仕方がないのかもしれないけど」


 天空の神ソルを信仰する聖教徒たちは、大地の女神シェオルを信仰するハルモニア国教徒たちのことを同じ人間とは認めていない。ハルモニア国教徒は獣畜生も同然であり、本来は言葉を交わすのもタブーとされている。


 枢機卿であるクロウリーとしては、ハルモニアに対して苦情を入れることすら屈辱的なのであろうが、それでも入れねばならぬということで、尊大なる態度で自分の方が遥かに目上であるとアピールしつつ、ハルモニアに対して即時撤兵と賠償金を要求したと言ったところだろうか。


「……因みに、要求を拒否した場合は?」


「武力を用いた実力行使も辞さぬ……らしいよ。かなり強気な態度だけど、聖教会勢力が現状保有している兵力は、全部合わせてもハルモニアの三分の一程度。それでも武力行使を匂わせるということは──」


「──何かしらの、戦力差をひっくり返せる奥の手があるってことだね」


「察しが良いね、セラフィナ。そう……恐らくクロウリーは、何らかの奥の手を手に入れたに違いない。兵力差をひっくり返せるほどの奥の手……果たして、どのような脅威なんだろうね。実に楽しみだよ」


 げんなりした様子で溜め息を吐くセラフィナとは対照的に、エリゴールは何処か楽しそうである。


 見るに見かねたラミアが、手にしたトレイを振り上げて彼の頭を何度も強く叩く。結構な威力があるのか直撃する度に鈍い打撃音が響くも、エリゴールには全く効いていないのか、彼は呑気に紅茶を飲み、クッキーを食していた。


「エリゴール様──療養中のお嬢様に、余計なストレスを与えないで下さいませ。若しこれ以上、お嬢様に余計なストレスをお与えになるようでしたらこのラミア、本気で怒りますよ?」


「……それだけは、勘弁願いたいね。分かった、もうこの話は止めにするよ」


 尚もトレイで叩くのを止めようとしないラミアに苦笑しながら、エリゴールは降参と言わんばかりに両手を高々と挙げる。


「──そこまでにしてあげなよ、ラミア。エリゴールも反省しているみたいだし。それに、どうやら悪気はなかったみたいだから」


 セラフィナがやんわりと窘めると、ラミアは彼を叩く手を止めて、渋々と言った様子で引き下がった。


「……助かったよ、セラフィナ。叩かれ過ぎて、危うく馬鹿になるところだった」


「別に──それに貴方は、元から馬鹿でしょう? 戦争をこよなく愛する、戦争お馬鹿さん?」


「酷いなぁ……君は。相変わらず、容赦がない。君がまだ小さかった頃、よく遊び相手になってあげたと言うのにこの仕打ち、悲しいねぇ……おいおいと、泣きたくなってくるよ」


 エリゴールはわざとらしく天を仰ぐと、懐から小さな袋を取り出し、セラフィナにそっと手渡した。


「──僕からの見舞いの品だ。痛み止めと、滋養強壮の効果がある薬草を少々。生憎これくらいしか、僕にはしてあげられないが……」


「……その気持ちだけでも、十分だよ。君の爪の垢を煎じて、ベリアルに飲ませてやりたいくらいだね」


 薬草の入った袋を受け取ると、セラフィナはくすっと笑ってみせる。本当に、度し難い戦争狂であることを除けば、親切で気配り上手な、頼れる兄のような存在なのだが。つくづく勿体ない男である。


「では、僕はこれでお暇するとしよう──君が早く元気になることを、心から願っているよ……セラフィナ」


 エリゴールはそう言い残すと同時に指を高らかに鳴らし、転移魔法で瞬く間に姿を消した。その場に残されたセラフィナは、静かに目を閉じ祈りを捧げる。


 何時の日にかまた、彼と再会出来ますように。そう心の中で願いながら。彼とまた何時か会える日に、想いを馳せながら。

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