第31話 セラフィナとラミア

 ガーデンチェアにゆったりと腰掛けながら、セラフィナは今朝届いたばかりの新聞記事に目を通していた。


「──帝国軍、涙の王国に進駐……ふぅん?」


 セラフィナの目が、すっと細められる。ただでさえ、ストレスが溜まっていると言うのに、追い討ちをかけるように嫌なことが起こるのは何故なのだろう。


 記事によると、涙の王国に進駐したのは帝国第三軍。堕天使エリゴールが率いる、精鋭揃いの帝国軍の中でも屈指の戦力を有する大部隊である。


 指揮官であるエリゴールとは、嘗てベリアルやゼノンに呼ばれて帝都アルカディアに赴いた際、何度か顔を合わせたことがあった。反対に彼自身が、グノーシス辺境伯領を訪れたことも何度かある。


 帝国軍の将官服が良く似合う、切れ長の目が特徴的な爽やかなる好青年と言った風貌の貴公子で、会う時は決まってにこやかに笑っていたのを、今でもよく覚えている。


 声を荒げるようなことはなく常に態度は穏やかで、セラフィナが小さかった頃には、彼女やマルコシアスの良き遊び相手にもなってくれた。


 親切で非の打ち所が全くないようにも思えるが、そんな彼にも、ただ一つ致命的な欠点があった。


 エリゴールの抱える致命的な欠点──それは彼が、戦争というものをこよなく愛していることである。


 エリゴールは、生まれながらにして戦の天才だった。それ故に自らの存在意義を、常に戦場に求めていた。


 死天衆の一柱バアルが強者との血湧き肉躍る戦いを求める戦闘狂であるならば、エリゴールは計略や奇策、用兵術などをフル活用して、敵の大軍を蹂躙することに快楽を見出している、さしずめ戦争狂と言ったところであろうか。


 そんな彼が率いる帝国第三軍を、涙の王国に進駐させるなど正気の沙汰とは思えない。"崩壊の砂時計"が終末までの秒読みを刻み続けているこの状況で、聖教会と再び世界全土を巻き込む大戦争を始めようとでも言うのだろうか。


「──"お前たちを生かして帰せば必ずや、死天衆がハルモニア帝国軍本隊を率いてこの地に進駐する"、か」


 今は亡きベルフェゴールが、自分に向けて言い放った言葉を、セラフィナは噛み締めるように口にする。結局は、彼の言った通りになってしまった。


 ベルフェゴールという脅威が消え去った涙の王国に、死天衆の腹心とも言うべき戦の天才が、帝国軍の主力部隊を引き連れて進駐したのだから。


「──お嬢様、お茶とお菓子をお持ちしました」


「……うん。ありがと、ラミア」


 ラミアが淹れてくれた紅茶を口に含むと、セラフィナはほっと一つ溜め息を吐いた。


「……浮かないお顔を、していらっしゃいますね。何か、嫌なことでも御座いましたか?」


「……少し、ね」


 少し前まで自分が目を通していた新聞記事を、そっとラミアに手渡す。ラミアは首を傾げながら記事を受け取り、内容に目を通していたが、やがて心の底から不快そうに眉をひそめると、手にした新聞記事を無駄に丁寧な手付きでビリビリに破り捨てた。


「──紙が勿体ないよ、ラミア」


「構いません──何ですか、あの記事の内容は。このご時世に、戦争でも始めるおつもりですか」


「聖教会が仕掛けてきた"最終戦争ハルマゲドン"を、未だに根に持っている人々が相当数いるのは事実だからね。彼の地に進駐する大義名分は、幾らでもあるんじゃないかな?」


 小動物のようにクッキーを少しずつ食べながら、セラフィナはラミアをやんわりと宥める。


「しかし、進駐すれば聖教会も黙ってはいないでしょう」


「だろうね──面白くないのは、事実」


 だが──エリゴールが相手では、流石の聖教騎士団も迂闊に手は出せないだろう。聖教会から見れば、一番来て欲しくない相手が進駐してきたことになる。誰を送り込めば聖教会に一番ダメージを与えられるか理解している辺り、指示したであろうベリアルの性格の悪さが垣間見えた。


「──俄に、世界情勢がきな臭くなってきたね」


「えぇ……全くです」


 自らも紅茶を口に含みながら、ラミアは呆れたように大きく溜め息を吐いた。エルフという長命なる種族であり、今年で齢三百になる彼女は、歴史が紡がれる中で同じ過ちが何度も繰り返される様をその目で見てきたこともあってか、厭戦思想にすっかり染まっていた。


 とは言え歴史上、所謂いわゆる平和主義者が戦争を起こした例も多々あるためか、普段はそこまで戦争という言葉に対し嫌悪感を露骨に示すことはない。そんな彼女が思わず不快感を露わにするほど、今回の帝国第三軍進駐の報は衝撃的だったと言える。


 その時──楽しそうな笑い声が耳に届き、セラフィナとラミアは顔を上げた。視線の先では、キリエとマルコシアスが追いかけっこをしていた。


 自分が履いていた靴の片方を奪い、口に咥えてそのまま逃げるマルコシアスを、白のストッキングが汚れることも気にせず、スカートの裾をたくし上げながら、全力疾走で追うキリエ……はしゃいでいる様子の彼女を見ていると、荒んだ心が浄化されてゆくのを感じた。


「キリエ様……可愛らしいお方ですね」


「うん……まるで、大型犬みたいだよね」


 祖国である涙の王国の滅亡と、自らを蘇生させたベルフェゴールの死をセラフィナから伝えられた際、キリエは酷く落ち込んでいた。


 無理もない。自分と何らかの関わりや繋がりがあったものが、この世から全て消滅してしまったと知れば、誰もが彼女と同じ反応を示すことだろう。


 ベルフェゴールの後を追って自殺しないか気掛かりだったが、どうやら彼女は自らを蘇生させてくれた彼の分まで生きることを選択したようだ。夜な夜な啜り泣く声が聞こえるものの、日中はマルコシアスが積極的に絡みに行くこともあって童心に返っているのか、まるで無邪気な子供のように笑っている。


「──今を生きることに楽しさを見出せているのなら、それはとても喜ばしいこと。ベルフェゴールもきっと、今の彼女の様子を見たら、嬉しく思うだろうね」


 転んで倒れたキリエの元に、マルコシアスが駆け寄る。心配そうに手や顔を舐めるマルコシアスを、キリエは満面の笑みを浮かべながら抱きしめた。


「──見て下さい、セラフィナ様! 捕まえました!」


 土埃で汚れた端正な顔をセラフィナの方へと向けると、キリエは嬉しそうに声を上げる。勢い良く転んだことで衣服がすっかり汚れてしまっており、セラフィナとラミアは互いに顔を見合わせて苦笑した。


「……あの服、私のお気に入りだったんだけどね」


「えぇ……結構、派手に転んでいらっしゃいましたし、若しかするともうお召しになることは……」


 取り返した靴を履き直すと、キリエはマルコシアスを伴って駆け寄ってくる。そんな彼女を見つめ、セラフィナはくすっと笑いながら、


「良いよ──何時かは着られなくなる、それが少し早まっただけ。それに、あの子の笑顔に比べたら、私の服なんて安いものだよ」


「──はい。そうですね」


 セラフィナの笑みにつられるように、ラミアもまた柔和な笑みを湛えながら頷いた。


「──うん? セラフィナ様……何か、仰いましたか?」


「ううん、何も──そうだ、キリエもクッキー食べる?」


「……はい! 頂きます!」


 時には何もかも忘れ、こうしてゆっくり過ごすのも悪くない。ラミアやキリエたちとティータイムを楽しみながら、セラフィナは心の中でそう思った。

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