第25話 死闘、シェムハザ
最早、何合目かも分からぬ激しい打ち合いを演じると、シェムハザとセラフィナは互いに間合いを取り直す。
「──少々、お前の力を見くびっていたかもしれぬな」
物言わぬ骸と化した天使たちと、端麗なるセラフィナの顔とを交互に見やり、シェムハザは大きく舌打ちをする。剣聖アレスの子と言うだけあり、セラフィナの実力は正に次元が違っていた。
「まさか、この私が押されることになろうとは……」
とはいえ、彼らの死は決して無駄などではなかった。物量にものを言わせ、出鱈目な強さを誇るセラフィナに、幾つかの傷を負わせることが出来たのだから。
「…………」
セラフィナは無表情のまま、シェムハザの顔をじっと見つめている。力なく垂れ下がった左腕には痛々しい斬り傷が刻まれており、傷口からは鮮やかな紅い血が、止めどなく溢れ出していた。
シェムハザは、生き残っている天使たちに目配せすると魔法陣を無詠唱で展開し、セラフィナ目掛けて鎖を次々と発射した。
セラフィナはわずかに眉をひそめながら、飛来するそれらの鎖を手にした剣で容易く弾き返す。それと同時、背後へと回り込んでいた天使たちが、セラフィナの小さな背中目掛けて次々と得物を振り下ろした。
鎖によるシェムハザの攻撃は囮だった。本命は生き残った天使たちによる不意討ち……流石のセラフィナも、四方八方からの攻撃全てを躱すことは不可能だ。
これで、終わりだ──自らの勝利を確信し、シェムハザの顔に笑みが浮かぶ。
だが──天使たちの振り下ろした刃が、セラフィナの背に届くことはなかった。
「来てくれると、信じていたよ──マルコシアス」
セラフィナが、くすっと笑うと同時──風の如き疾さで駆けて来たマルコシアスが、勢いそのままに天使たちをまとめて吹き飛ばした。
マルコシアスはセラフィナの足に擦り寄ると、ポタポタと血が滴り落ちる彼女の指先を、不安そうな鳴き声を発しながら何度か舐める。
「……大丈夫だよ、そんなに心配しないで。幸いなことに、骨には届いていないから」
天使たちが、再び間合いを詰めてくる。
「さぁ──狩りの時間だよ、マルコシアス」
セラフィナは血塗れた左腕をぎこちなく動かすと、高らかに指笛を鳴らした。指笛の音に呼応するかの如く、マルコシアスが天使たちに襲い掛かる。
「たかが狼だ、取り囲んで首を取れ!」
混乱状態に陥った天使たちに対し、シェムハザが怒号交じりに指示を出す様子を見つめ、セラフィナは目を細めながら冷たい笑みを浮かべる。
「──マルコシアスをただの狼だと思っているのなら、即刻その認識を改めた方が良いよ?」
「何だと……?」
天使たちの断末魔が、虚しく木霊する。信じられない光景を目の当たりにし、シェムハザは大きく目を見開いた。
相手の喉元を的確に狙い、牙を剥き出しにして飛び掛かるマルコシアス──天使たちも負けじと剣を振るうも、マルコシアスに当たる直前、まるで見えない壁に阻まれたかの如くその一撃は大きく弾かれ、そればかりか歪な角度に刃が捻じ曲がった。
「な、何だ……今のは……?」
「生半可な攻撃は一切、マルコシアスには通用しない。寧ろあの子の殺意と戦意を、大きく引き出す結果になる」
「ちっ……主が出鱈目なら、その下僕もまた出鱈目か……!」
「──さて、これで邪魔者はいなくなったことだし、心置きなく貴方に集中出来るね。覚悟は良い?」
セラフィナは瞬時に間合いを詰めると、シェムハザの脳天を目掛けて剣を振り下ろす。シェムハザは間一髪のところでその一撃を受け止めるも、セラフィナの攻撃はそれだけでは終わらない。
「ぐっ……!?」
シェムハザの視界が真っ赤に染まる。セラフィナが、自らの左腕から溢れ出る血を目潰し代わりに用いたのだと気付くまで、そう時間は掛からなかった。
「ほら──お返しだよ?」
セラフィナの斬撃が、ガラ空きとなったシェムハザの脇腹を大きく斬り裂いた。
「──畜生がっ!!」
「何処を狙っているの?」
シェムハザの反撃を容易く躱すと、そのまま流れるような動きで背後へと回り込み、今度は背中を大きく斬り裂く。
「ぐおっ……!?」
それでも尚、シェムハザは倒れない。そればかりか、身の毛のよだつような声を上げながら、背に生やした翼を大きく羽撃かせ、自らの周囲にあるもの全てを敵と認識し、無差別に吹き飛ばしてゆく。
「……やるね。闇雲だけど、実に効果的だ」
若し翼が直撃すれば、骨が折れるだけでは済まない。そう判断したセラフィナは、それ以上の追撃を諦め、バックステップで再度間合いを取り直した。
その間に、何とか視界を取り戻したシェムハザ──彼の顔は怒りに大きく歪んでおり、血走った目でセラフィナの顔を睨み付けている。
「有り得ぬ……私が……我らが、人間如きに後れを取ろうとは……!」
傘下にあるグリゴリの天使たちは、既に過半数が討ち取られており最早壊滅状態だ。自分もセラフィナの猛攻によって深手を負い、何時死んでもおかしくないような状態に追い込まれている。自分たちは一体、何処で選択を誤ったのだろうか。
指を鳴らし、遠距離から鎖でセラフィナの息の根を止めようとするも、何度も同じ手が通用するほど、彼女は甘くはなかった。
「──万策尽きた?」
次々と飛来する鎖の軌道を見切ると、セラフィナは一気に間合いを詰めてくる。
「では──
セラフィナの斬撃が、シェムハザの胸部を大きく抉る。血飛沫を上げながら、シェムハザは仰向けに倒れ込んだ。
手応えで致命傷と確信したセラフィナは、これ以上の攻撃は不要と判断し、布で刃に付いた血を丁寧に拭うと、剣を腰の鞘へと収めた。
「……終わったのか?」
地面に音もなくふわりと降り立ち、手足から血を流しながら、ベルフェゴールがセラフィナの元へと歩み寄ってくる。どうやらシェムハザの力が弱まったことで、自力で拘束を解くことが出来たようだ。
「……どうだろう、ね」
自らの左腕に簡易的な止血処理を施しつつ、セラフィナは倒れ込んだまま起き上がらないシェムハザを見つめる。
その時、不気味な笑い声を発しながら、シェムハザがゆっくりと身を起こした。目の焦点が定まっておらず、誰の目にも間もなく彼が死ぬであろうことは明らかだった。
「……ただでは、死なぬぞ……お前たちも、道連れだ……」
ゴボッと音を立て、大量の血を口から吐き出しながら、息も絶え絶えといった様子でシェムハザは言葉を紡ぐ。
「さぁ……出でよ、大魔縁モレク。母の血と……子の血に塗れし魔王よ……神を騙りし、涙の王国の支配者よ」
空中に巨大な魔法陣が、ぼんやりと姿を現す。地の底から響くような唸り声を発しながら、巨大な異形の怪物が顕現する。
雄々しき牛を彷彿とさせる二本角、筋骨隆々たる複数の腕を有するその巨獣はセラフィナたちを見下ろすと、無数の牙を剥き出しにして激しい怒りを露わにする。
「大精霊、モレク……」
「切り札は……最後まで取っておくものだ……」
シェムハザはニヤリと笑うと、最後の力を振り絞り、モレクを拘束している鎖に強烈な電撃を放った。モレクの咆哮が周囲へと響き渡る。
「……惨めに、死ぬが良い。罪深き者どもよ──」
言い終わらぬ内に、シェムハザはモレクに叩き潰された。
自身を拘束していた鎖から解き放たれたモレク……その目に理性の光はなかった。シェムハザたちによって精神を破壊された彼は最早、嘗て人々の信仰を集めた大精霊ではなく、目に付いた全てを破壊する生ける災厄と化していた。
「──全く、碌でもない置き土産を遺してくれたね」
「アレスの娘よ……まだ、戦えるか?」
「そうだね。まだ、辛うじて動けるよ。あと、私にはセラフィナという名前がちゃんとあるから。何か頼みたいことがあるんだったら、きちんと名前で呼んでくれる?」
「……頼む、セラフィナ。シェムハザの置き土産を……大精霊モレクの暴走を止めるために、君の力を私に貸してはくれまいか?」
恐る恐る、右手を差し出すベルフェゴール……セラフィナは穏やかな笑みを湛えながら、その手を優しく握り締めた。
「うん──良いよ」
「……感謝する、セラフィナ」
モレクはセラフィナたちをギロリと睨み付けると、黒い巨体を大きく震わせながら、暗雲渦巻く天を仰ぎ、何処か物悲しげな雄叫びを上げる。
涙の王国に於ける、最後の戦いが始まろうとしていた。
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