第24話 グリゴリ、襲来

 雷鳴と共に、手に剣を携え、フードを目深に被った天使たちが次々と姿を現す。その数、凡そ二百余名。


 天使たちは、セラフィナたちを包囲するかのように部隊を展開しており、少しずつではあったがその包囲網を狭めているのが見て取れた。


 やがて部隊を率いる長と思しき、眉目秀麗なる天使が指を鳴らすと、天使たちは一斉にその動きを止めた。長は一歩前に進み出ると、セラフィナを見つめてニヤリと笑いながら、


「──実に良い戦いを見させてもらったよ、異教の地ハルモニアより来たる、凄腕の剣士殿……まさか、こんな年端もいかぬ麗しいご令嬢だったとは、正直驚いているよ」


「……貴方は一体、何者なの?」


「異教徒と会話する舌など持たぬが、単身でベルフェゴールを撃破したその実力を称え、特別に教えてあげようか。私は天使シェムハザ……地上監視部隊"グリゴリ"の長だ」


 自らをシェムハザと名乗ったその天使は、胸に手を当てて恭しく頭を下げる。


「本来は、君とベルフェゴールの共倒れ……或いは、漁夫の利を狙っていたのだが、事情が変わった。どうやら最優先で君の首を取らねばならぬらしい」


「漁夫の利……なるほど、私たちが王都に辿り着いた時から今の今まで、襲う機会は幾らでもあったのに敢えて傍観に徹していたのは、それが理由だったんだ」


 感情が凪いだような目で、シェムハザの顔をじっと見つめるセラフィナ。彼女の足元では、ベルフェゴールが怒りに身を大きく震わせ、血が出るほど強く拳を握り締めていた。


「この……腐れ外道が……!」


「──負け犬の遠吠えなぞ、このシェムハザには聞こえぬ。そもそもの話、最終的に戦いに勝利さえすれば、その過程で行われし如何なる非道も必要なものであったと肯定される、これが世の摂理である。我らが漁夫の利を狙うことに、一体何の問題があろうか」


 シェムハザはまるで汚物でも見るかのように、ベルフェゴールの痩けた顔をギロリと睨み付ける。


 シェムハザが指を鳴らすと同時に、虚空より無数の鎖が飛来したかと思うと、ベルフェゴールの四肢を瞬く間に拘束した。満足に抵抗することも出来ぬまま、ベルフェゴールの痩せ細った身体は徐々に宙へと持ち上がってゆく。


「お前を殺すのは最後だ、ベルフェゴール。そこで、大人しく見ているが良い。己の無力さを噛み締めながら。自らに理解を示し、情けを掛けた者たちが死にゆく様を」


 歯軋りするベルフェゴールを見やり、何処か小馬鹿にした様子で嗤うと、シェムハザは抜剣しながらセラフィナの方へと向き直った。


 その動きに応じるかの如く、セラフィナもまた無音で抜剣する。シェムハザの背後に控えていた何名かの天使が、神速で飛来した斬撃に首を刎ねられ、一言も発することなく血飛沫を上げながらその場に倒れ込んだ。


 セラフィナの放った不可視の斬撃を弾き返すと、シェムハザの顔から笑みが消えた。


「その剣筋には……見覚えがあるぞ。嘗て剣聖と謳われたアレスのものと、非常によく似ている」


「それはそう。だって、アレスは私の養父だから。子が色々な面で親に似るのは、至極当然だと思わない?」


「やはり、お前は危険な存在だ──我が全身全霊を以て、その首を刎ねてくれよう」


「やってみなよ──小賢しい卑怯者風情が、果たして私の首を取れるのかどうか」


 シェムハザとセラフィナ──両者は一気に間合いを詰めると、互いの首目掛けて剣を素早く振り下ろした。剣と剣とが激しくぶつかり合い、甲高い金属音が鳴り響くと共に、赤い火花が周囲へと飛び散る。


 天使シェムハザ率いる、地上監視部隊"グリゴリ"との死闘が幕を開けた。











 シェムハザとセラフィナ──両者の剣が激しくぶつかり合ったことによって生じた火花は、やや離れた位置にいたシェイドたちの目でも十分確認出来た。


 マルコシアスと目が合う。どうやら彼女も考えていることは同じようで、シェイドの考えに同意するかの如く尻尾を振りながら、小さく鳴き声を発した。


「よし──行こうか」


 シェイドとマルコシアスは、セラフィナに助力すべく勢い良く駆け出す。如何にセラフィナ強しと言えども、二百名の天使が相手では多勢に無勢。その上、隊長格のシェムハザの実力はかなりのものだ。少しでも露払いをし、連戦で疲れているであろうセラフィナにとって、有利な状況を作り出さねば。


 だが、グリゴリの天使たちとて馬鹿ではない。シェムハザの副官と思しき二名の天使が、それぞれの手勢を率いてシェイドたちの前に立ちはだかった。


「ここから先へは行かせぬぞ、背教者」


「偉大なる主に背いた愚者よ、その血を晒せ」


 牙を剥き出しにしながら、マルコシアスが唸り声を発する。一方のシェイドは何処か落ち着いた様子で、懐から何かを取り出した。


 シェイドの意図を理解したのか、マルコシアスは再びセラフィナの元へと駆け出す。


「行かせぬと言っておろうが──むっ!?」


 シェイドが手にしたは、煙幕だった。シェイドがそれを地面に叩き付けると同時、周囲の視界は殆どゼロの状態となる。


「さて──本気を出させてもらおうか。俺の名前がシェイドたる所以、今ここでたっぷりと見せてやるよ」


 煙の中へと、音もなく姿を消すシェイド──同士討ちを恐れ、グリゴリの天使たちは迂闊に身動きが取れない。


 やがて、煙が晴れると──そこには、何と形容すれば良いのかも分からぬ地獄絵図が広がっていた。


「なっ……!?」


 何名かの天使が、大量の血を流しながら倒れ込み、ピクピクと末期の痙攣を繰り返している。倒れている天使たちの中には、手勢を率いてきた副官、その片割れの姿もあった。全員、左肩口から心臓へ反撃する間もなく、恐らくは飛刀ダガーによるものと思われる強烈な一撃を加えられており、ほぼ即死だった。


 マルコシアスを取り逃し、更にはこの体たらく。生き残った副官の顔が、怒りのあまり大きく歪んだ。


「──この恥辱、忘れ難し……!」


「なら、さっさと死んでくれよ」


 側面から姿を現したシェイドが、愛剣を片手に生き残っている方の副官へと間合いを詰める。シェイドの繰り出した落雷を思わせる鋭い一撃を、副官は咄嗟に手にした剣で受け止めた。


「おのれぇ、貴様ぁ……!」


「その背に生やした立派な翼は飾りか? 飾りだよなぁ……この悪天候では。得意とする戦法が、全く使えない今のこの状況じゃ、正直飾り以下の邪魔ものでしかないかもしれんな」


 嘗て"最終戦争ハルマゲドン"にて、天使が猛威を振るったのは、空から一方的に相手を攻撃出来るという優位性があったからだ。当時の最先端技術を導入していたハルモニア帝国軍でさえ、空への備えは皆無と言っても過言ではなかった。人間に対する備えは万全だったが、天使の介入は全く想定されていなかったのだ。


 だが──シェイドは知っている。悪天候になると、その優位性が消失することを。暗雲で太陽を覆い隠されると、天空の神ソルの加護が届きにくくなり、大多数の名もなき天使たちは自由に飛べなくなることを。聖地カナンで生まれ育った彼は熟知していた。


「死に晒せ、この背教者が!!」


 副官の攻撃をバックステップで回避しつつ、シェイドは隠し持っていた飛刀を相手の顔へと投擲する。副官は回避を試みるも、高速で飛来する飛刀を完全には躱しきれず、彼は頬の肉を深く斬り裂かれた。


「──空を自由に飛べない天使など、人間を相手にしているのと変わらない。意外とあっさり、倒せるものだな。錐刀を以て太山を堕つ覚悟だったんだが、少々あんた等のことを買い被り過ぎたか?」


「この……小癪な卑怯者め!」


「卑怯者で何が悪い? はっきり言って、俺よりあんた等の方が実力が上だからな……正面から戦えば不利だろ? 格上相手に勝つため、知恵を駆使する。そうやって人類はこれまで生き残ってきたんだ。あんた等に兎や角言われる筋合いはないよ」


 シェイドはすっと目を細めながら、返り血に塗れたその顔に不敵な笑みを浮かべる。その手には何時の間にか、再び煙幕弾が握られていた。


「気の毒だが──あんた等には、ここで死んでもらう。セラフィナの命を狙ったのが、運の尽きだ」


 地面に叩き付けられる煙幕弾──シェイドは朧のように、煙の中へと姿を消す。何も見えない。聞こえるのはただ、自分たちの荒い息遣いのみ。


 天使たちの弱点を熟知するシェイドによって、為す術なく蹂躙されるだけの恐怖の時間……惨劇という名の舞台の幕が、今まさに上がろうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る