第23話 悲闘、ベルフェゴール
三日後──
王都に辿り着いたセラフィナたちの目に飛び込んできたのは、原型を留めぬほどに破壊され、瓦礫の山と化した街並みだった。
上空には巨大な暗雲が渦巻き、風の哭く声が、雷鳴に混じって聞こえてくる。全てを拒絶するかの如く、天よりひらひらと舞い降りる雪は、本能的に死を連想させた。
至る所に転がる瓦礫の所為で、足場が非常に悪い。これより先は徒歩で進む他ないだろう。
「──馬はここに置いていくよ、シェイド。必要な武器と信号弾だけ持って、なるべく装備を身軽にして」
そう言うや否や、セラフィナはマルコシアスを伴い、軽やかな動きで馬そりから飛び降りると、王都の中心を目指して足早に駆けてゆく。
「了解──セラフィナ」
言われた物を素早く用意すると、シェイドはセラフィナの背に続いた。
王都の中心へと近付くにつれて、風が少しずつ強くなってゆく。それに混じって、人間ではない何者かの視線を感じるようになった。進めば進むほどに、こちらを見つめる何者かの数は増えてゆく。雪で視界が悪く、残念ながら相手の姿を確認することは出来ない。
ただ、こちら側に対する明確な殺意と敵意だけは、向けられる視線からひしひしと伝わってきた。
ふと、セラフィナが足を止めた。無表情のまま、正面をじっと見つめている。
「──どうした?」
シェイドが尋ねると、セラフィナは無言で、自らの視線の先をそっと指差した。
雪でぼんやりと霞む視線の先──黒い襤褸きれの如きローブを纏った、痩せ細った男が音もなく姿を現し、こちらへと向かってくるのが見えた。背には巨大な黒い翼を生やし、頭上には
男はセラフィナとシェイドの顔を交互に見やると、口角をわずかに上げて笑みを浮かべながら、
「遠きハルモニアの地より、よくここまで辿り着いた。招かれざる者たちよ、死天衆の犬どもよ。だが──」
刹那──男の双眸に、怒りの焔が宿る。
「──この地に足を踏み入れる者は、全て敵だ。我が恩人キリエの安らかなる眠りを妨げる者よ、唾棄すべき邪悪よ。お前たちのその命……このベルフェゴールが貰い受ける」
臨戦態勢に入るベルフェゴール……敵意を剥き出しにしており、話し合いは出来そうにない。そんな彼の動きに呼応するかの如く剣を按じながら、セラフィナが一歩前に進み出た。
「おい、セラフィナ……!」
「シェイド──攻撃に巻き込まれたら危険だから、君とマルコシアスは後ろに下がっていて。大丈夫、負けるつもりなんて微塵もないから」
「しかし……!」
「お願い──私を、信じて」
「……分かった」
セラフィナの意を汲んだマルコシアスに促され、シェイドは力なく項垂れたまま、彼女の邪魔にならないよう後方へと引き下がる。
「──自己を犠牲にして、仲間を生かそうとするとは……随分と、泣かせてくれるではないか?」
セラフィナはベルフェゴールの方へと向き直ると、感情のこもらぬ淡々とした口調で、
「本当は、貴方と戦いたくはなかったのだけれど──貴方がそう来るのであれば、悪いけど私も強硬手段に訴えることにするね」
セラフィナが、無音で抜剣すると同時──ベルフェゴールの胸部に深い斬り傷が刻まれ、赤黒い血が噴き出した。
「ぐっ……!?」
「動揺したね、ベルフェゴール──動揺は、戦いに於いて命取りになるよ?」
ベルフェゴールに生じた隙を見逃さず、セラフィナは一瞬で間合いを詰める。
「──させるかぁ!!」
ベルフェゴールは、咄嗟に翼を盾にしてセラフィナの繰り出した一撃を防ぐと、勢いそのままに体当たりし、彼女を後方へと弾き飛ばした。
ほんの一瞬、華奢な身体がくの字に大きく折れ曲がるも、セラフィナは表情一つ変えずにベルフェゴールの追撃をバックステップで容易く躱し、間合いを取り直す。
「やってくれる……!」
ぽたぽたと血が滴り落ちる、半ば千切れ掛かった自らの片翼を見やりながら、ベルフェゴールは大きく舌打ちをした。
「──"氷よ、刃となりて我が怨敵を斬り裂き給え"」
ベルフェゴールが詠唱すると、彼の周囲に複数の魔法陣が形成され、その中より鋭利な氷の刃が次々と姿を現す。
「──"グラキエース"!!」
音速で飛来する氷の刃──セラフィナはそれを見ても取り乱すことなく、流麗なる動きで剣を振るう。弾き返された氷の刃を器用に手で受け止めると、今度はベルフェゴールが一気に間合いを詰めてくる。
「──疾く死ぬが良い!」
ベルフェゴールの振り下ろした一撃を、セラフィナは無表情のまま紙一重で躱す。そのまま振り終わりでガラ空きとなった脇腹目掛け、返礼とばかりに強烈な三日月蹴りを放った。
「──情で動けば当然、隙が生まれる。貴方は一体、何をそんなに焦っているの?」
「お前の……知るところではない……!」
ベルフェゴールの反撃を軽々と受け止め、鍔迫り合いへと持ち込むと、セラフィナは努めて穏やかに声を掛ける。
「私たちは別に、貴方を討ちに来たわけではない。ただ、上から命じられて、王国滅亡の原因を調べに来ただけ」
「なれば尚更、生かして帰すわけにはいかぬ。この国を一夜にして滅ぼしたのは、他ならぬこの私ベルフェゴールであるからな……!」
口から大量の血を吐きながら、ベルフェゴールが鬼気迫る表情で叫ぶ。
「お前たちを生かして帰せば必ずや、死天衆がハルモニア帝国軍本隊を率いてこの地に進駐する……! あの凶悪無比なる者たちがキリエの身を脅かさぬと、果たして誰が保証してくれようか!?」
「そうだね。でも、今こうして私と剣を交えている状況も無意味だと思わない? どのみち貴方を私が倒せば、第一王女キリエの身を護る者は、誰一人として居なくなるわけだし」
「ほざくな……! 貴様のような何も知らぬ小娘風情に、この私が後れを取るとでも思うのか!?」
怒号を発するベルフェゴールに対し、セラフィナの態度は冷ややかなものだった。
ベルフェゴールが鍔迫り合いを制そうと力を込めて強く押すと同時に、セラフィナは軸を外して側面へと回り、流れるような動きでいなしてしまった。
「なっ──」
「後れを取ったね、ベルフェゴール」
セラフィナは目をすっと細めながら、ベルフェゴールの手首を音もなく掴むと、細い腕からは想像も出来ぬほどの強い力で彼を投げ飛ばした。
ベルフェゴールは動揺から大きく反応が遅れ、受け身を取ることさえ満足に出来ぬまま、背中から地面へと勢い良く落下した。
「──貴方の負けだよ」
全身を強打し、苦痛に呻くベルフェゴール──彼の喉元に剣を突き付けながら、セラフィナは静かな口調で告げる。
「どうやら、そのようだな……殺したければ、殺すが良い。敗者はただ虚しく、勝者を見上げるだけだ」
「さっきも言ったけど、私たちは貴方を討つために来たわけじゃないから」
セラフィナは剣を鞘へと収めると、仰向けに倒れているベルフェゴールを助け起こす。
「……何の真似だ。要らぬ情けを、掛けるつもりか?」
「そうだね。"勝った方が負けた方を好きにして良い"、というのは古来からの習わしだから」
「…………」
「私が質問をしたとしても、答えるつもりは毛頭ないって顔をしているね。でもお生憎様、情報を聞き出すために生かしたわけじゃないよ。貴方と剣を交えて、大体の事情は察することが出来たから」
「……ならば何故、私を殺さない?」
その問いを聞いたセラフィナは大きく溜め息を吐くと、ベルフェゴールの頬を平手で打った。
「あのさ──貴方が死ぬのは勝手だよ。私に止める権利はないし、止めるつもりもない」
「…………」
「でも、一つだけ言わせてもらうよ……貴方が死んだら、誰がキリエを守るの?」
「──っ!?」
ベルフェゴールの目が、大きく見開かれる。狂気と怒りに彩られていた瞳には、少しずつ理性の光が戻りつつあった。
「本当にキリエのことを想っているならさ、そんな無責任なこと言えないはずだよね?」
「キリエ……私は……」
「無関係の人間を大勢殺したという事実は消えないし、その事実については擁護のしようもないけれど、キリエの命を救いたいという"想い"は、本物だったんじゃないの?」
「そう、だ……私は、キリエを……彼女の命を、救うために……」
光を取り戻したベルフェゴールの両目に、透き通った涙が浮かび上がる。セラフィナは表情を和らげると、ベルフェゴールの痩けた頬に優しく触れ、嗚咽を漏らしながら震える彼を慈しむように、そっとその身を抱きしめた。
「いやはや──実に、見事な戦いだった」
そんな彼らを嘲笑うかのように、何処からともなく拍手の音が響き渡った。
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