第18話 垣間見る、古の忌憶

 涙の王国某所──


 人気のない町……その中心部に建てられた、寂れた教会に足を踏み入れたセラフィナは、不気味なステンドグラスを目にして眉をひそめた。


「……これは、何?」


 雄々しき牛を彷彿とさせる二本の巨大な角を生やし、筋骨隆々たる複数の腕を持つ異形の像。像の中からは焔が噴き出しており、泣き叫ぶ子供たちがその焔の中へと、次々と投げ込まれている。


「──そいつはだよ、セラフィナ」


 少し遅れて入ってきたシェイドが隣に立ち、同じようにステンドグラスを見つめながら答える。


「シェイド──町の中に、生存者はいた?」


「駄目だな。全員、凍死していた。生きているのは、死体に集るマゴットと、野良犬の群れだけだ。マルコシアスが馬そりの傍に陣取って、奴さんたちが馬そりに近寄らないように見張っているよ」


「そう、ありがと。それで、モレクって?」


 小首を傾げながらセラフィナが尋ねると、


「嘗て、涙の王国で神の如く崇拝されていた大精霊だ。聖教会からは邪教認定され、徹底的に弾圧されたがな」


「弾圧……」


「このステンドグラスを見れば分かるように、大精霊モレクの信仰と生け贄は、切っても切り離せぬ関係にあったらしい。元々、涙の王国はお世辞にも土地柄が良いとは言えないからな。作物の育ちにくい痩せた土地で生きてゆくためには、大精霊モレクの加護がどうしても必要だったんだろう」


「つまり涙の王国の人々はモレクから恩寵を賜わり、見返りとして子供たちの魂をモレクに捧げていた……ってことだね」


 ハルモニア皇帝ゼノンが国を守るため、死天衆に最愛の妻ソフィアの魂を捧げたように。


 ふと養父たる剣聖アレスのことを思い出し、セラフィナはわずかに表情を曇らせた。彼もまた、モレクの信仰者やハルモニア皇帝ゼノンと似たようなことをした男なのだから。


「……セラフィナ?」


 俯いてしまったセラフィナを見て不審に思ったのか、シェイドが心配そうな様子で声を掛ける。


「──ううん、何でもない。大丈夫だよ」


「……なら、良いが。それで、どうする?」


「そうだね……シェイドは、町の長の屋敷に行って、当時の資料がないか調べてくれる?」


「分かった。セラフィナは?」


 シェイドの問いに対し、セラフィナは少し困ったような顔をしながら、


「私は……ちょっと、大精霊モレク信仰について引っ掛かりを覚えたから、このまま教会で何か気になるものがないか探ってみるよ」


「分かった──じゃあ、また後でな」


 シェイドが片手を上げながら立ち去ると、教会の中は静寂に包まれる。聞こえてくるのは風の哭く声、そして恐らくはマルコシアスに返り討ちにされたであろう、逃げ惑う野良犬たちの悲しげな遠吠えのみである。


「──さて、と」


 セラフィナは白い吐息をほっと一つ吐き出すと、コツコツと足音を立てながら、床に倒れ伏している修道女や神父の凍死体を踏まないよう慎重に、教会内を散策し始める。


「何処かに、書庫はないかな……」


 目に付く扉を開けては閉め、開けては閉めの繰り返し。何度かそれを繰り返し、ようやくお目当ての書庫を引き当てると、セラフィナは迷うことなく書庫内へと足を踏み入れた。


「……意外と、保存状態が良いね。何らかの魔法でも、掛かっているのかな」


 それが、セラフィナの率直な感想だった。


「さて、モレク信仰に関する著書は──」


 本のタイトルを見て、モレク信仰に関連がありそうなら開いて読んでみる。単調な作業だが、時間は掛かる上に外れを引いた際の虚無感は大きい。瞬く間に、セラフィナの眼前には本の巨塔が築かれていった。


 作業を開始して、どれほどの時間が経っただろうか。


「──うん?」


 とある著書に、セラフィナの目は釘付けとなった。


 ──"母の涙と子の血に塗れし魔王"。


 その著書を手に取ると、表紙にはステンドグラスに描かれていたのと全く同じ、牛のような二本角を生やした不気味な異形の像が描かれていた。


「これが──」


 本を開くと、一頁目には次のように記されていた。


 ──"本著は、聖教に帰依する前の涙の王国にて信仰を集めていた邪悪なる魔縁モレク、その信仰形態の残虐さや醜悪さについて著述したものである。決して聖教の教えに背き、彼の魔縁信仰を奨励するものではないことを承知の上、本著を読み進めて頂きたい"。


「……表題にあった"母の涙と子の血に塗れし魔王"というのは、どうやらモレクのことを指すみたいだね。邪悪なる魔縁って言い方が気に食わないけど」


 ハルモニア国教徒からすれば、聖教会が唾棄すべき邪悪であるように、善悪の概念など見方一つでガラリと変わってしまう、この世界で最も信用ならないものだ。


 善悪の一方的な決め付けは、セラフィナがこの世で最も忌み嫌う行為の一つであった。天空の神ソルが正しいと、果たして誰が証明出来ただろうか。大地の女神シェオルが正しいと、果たして誰が証明出来ただろうか。


 若干の苛立ちを覚えつつも、セラフィナは一頁、また一頁と丁寧に読み進めてゆく。


「──シェイドが言っていた通りだね。元々、涙の王国は作物の育ちにくい土地柄で、生きるために人々はモレクの加護を求めた。モレクは加護を与える見返りとして年に一度、信者の子供を生け贄として捧げることを要求した」


 モレクの加護を受け、土地は徐々に豊かになっていった。しかしモレク信仰は唐突に終わりを迎えることになる。


「──ある時、遙かなる天より涙の王国の惨状を目にした天空の神ソルは、モレクの非道によって命を失った罪なき子を憐れみ、モレクを地の底に封印した。そして、モレクが邪悪なる"母の涙と子の血に塗れし魔王"であると人々に教え、彼らの目を覚まさせることに尽力された……」


 記述を読んで、セラフィナの目がすっと細められる。美談のように仕立て上げて誤魔化してはいるが、要はソルがモレクの力で豊かになった涙の王国を簒奪しただけではないか。しかも当のモレクは、ソルによって封印されているときた。


「聖教会としては、真の創造主が誰なのか教え、彼らの目を覚まさせたという考え方なんだろうね」


 それもまた、一つの真実ではあるのだろう。だが、封じられたモレクからしたらどうだ。手のひらを返して聖教へと改宗した人々を、彼はどう思うのだろうか。


「……想像したくもないね」


 モレクを信仰していた人々が、聖教会に対して何らかの反対運動を行ったという記述はない。時が経つにつれて、何時しか彼らはモレクの加護を受けている状態を、当たり前だと思うようになったのかもしれない。若しくは、生け贄を要求されることに対して不満すら抱いたかもしれない。


 その加護が、モレクの気まぐれな親切心で成り立っていたことを彼らはすっかり忘れてしまったのだろう。


「人々は魔縁モレクの信仰という忌まわしい事実を忘れないよう、戒めの意味を込めて、国名を"涙の王国"に改めた」


 セラフィナは大きな溜め息を一つ吐くと、本を閉じた。


「……私がモレクなら、間違いなく恩を忘れた人間たちに対して復讐することを決意するね」


 実際、モレクは痩せていた土地を豊かにするほどの力を持っていた大精霊だ。彼がその力を行使すれば、恐らくは一夜にして涙の王国を滅ぼすことが出来るだろうし、滅ぼすに値する動機も有している。しかし──


「……何か、引っ掛かるんだよね」


 この惨劇を引き起こしたのは、モレクではない気がする。


 確証はないが、セラフィナはそう思えてならなかった。


「……第一王女キリエと、彼女が保護したという堕天使。こっちもかなりと言うか、大分怪しいんだよね」


 確証がない以上、現時点では保留だ。モレクも滅亡に関係がないと決め付けるのは早計。何かしらの関与は疑っておいた方が良いだろう。


 セラフィナはそれからも書庫にある資料に目を通していったが、それ以上の成果は結局得ることが出来ず、何度も溜め息を吐きながら書庫を後にしたのだった。

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