第16話 調査、開始
転がっていたアバドンの死体の量が思いの外多く、処理にも手間取ったため、セラフィナたちが野営地を発ったのは当初の出発予定よりかなり遅れた宵の口であった。
死体の処理が粗方完了した時には、既に陽が沈んでいたので、シェイドは出発を一日ずらすことを提案したが、意外にもセラフィナはそのまま強行することを彼に告げた。
考え直すよう説得を試みたが、セラフィナは首を縦には振ってくれなかった。結局、折れたのはシェイドの方である。
──"シェオルの加護があらんことを"。
そう言って見送ってくれた、国境守備隊の面々……果たして調査を滞りなく終えて、無事に彼らの待つ野営地まで戻って来られるのか。それは、シェイドとセラフィナの運と実力次第といったところであろう。
その日は幸運にも月の明るい夜で、餌を求めて彷徨い歩く鹿の群れに遭遇したり、川辺で水を飲んでいる野生の馬などをちらほらと目にする機会があった。
「……こんな地獄のような環境でも、獣たちは逞しくその日その日を生きているんだな」
馬を器用に御しながら、シェイドは氷の大地で逞しく生きる獣たちの姿に感嘆の溜め息を漏らす。
「──そう、だね」
シェイドの言葉に、相槌を打つセラフィナ──その視線の先では、月明かりに照らし出された"崩壊の砂時計"が、相も変わらず終末までの残り時間を、生きとし生ける者たちに教え続けていた。
「──シェイド、二時の方向にアルコーンが三体。動きを見るにどうやら、狩りをしているみたい。馬そりの進路を、十時の方向に変更してくれる?」
そう遠くない距離にいる魔族の群れを見つけると、セラフィナはシェイドに素早く指示を飛ばす。直後、幼子を思わせる不気味な歌声が、シェイドの耳に届いた。
精霊アルコーン……黒い襤褸きれを纏った死の精霊。それが近くにいる時は、必ず幼子を思わせる不気味で物悲しい歌声が聞こえてくる。
アバドンと同じく、音で接近しているかどうか判別出来るため、危険度は高いものの対処はしやすい部類に入る。
「了解、セラフィナ」
セラフィナの指示を受け、シェイドは彼女の言う通りに進路を変更する。歌声のする方を見やると、群れからはぐれたと思われる一頭の鹿が、無惨にもアルコーンたちに内臓を引きずり出されていた。断末魔の叫びを発する鹿の姿は、何とも言えない哀愁を漂わせている。
「……助かったよ、セラフィナ。一歩間違えたら、俺たちがあの鹿のようになっていたかもしれない」
「どういたしまして」
額に浮かんだ汗を拭いながら安堵の溜め息を吐くシェイドとは対照的に、セラフィナは何処までも落ち着いている。一切の動揺を見せぬその様子は、見ていて何処か頼もしくさえあった。
「可能な限り、魔族や堕罪者との交戦は避けないと、ね。いざという時に備えて、体力を温存しておかなければいけないから」
「あぁ──そうだな」
セラフィナの直ぐ傍では、マルコシアスが借りてきた猫の如く、大人しく座っている。迂闊に吠え声を発すると、魔族や堕罪者たちに存在を勘づかれてしまうことを、どうやら彼女は知っているらしい。
若しかすると、セラフィナと二人で──厳密には一人と一匹で旅をしていた時に、何度かやらかしてセラフィナに叱られたことがあるのかもしれない。神妙な顔をして大人しくしているマルコシアスの顔を見つつ、シェイドはふとそのようなことを考えた。
「それで──具体的には、どのような方法で滅亡の原因を探るつもりなんだ?」
シェイドが尋ねると、セラフィナはマルコシアスの頭を優しく撫でつつ、
「そうだね……死天衆たちが用意してくれた資料に目を通して、ある程度は見当が付いているんだけど」
「そりゃあ、頼もしいね。それで?」
「滅亡の直前……つまり、ハルマゲドン終結からまだ間もない頃に、第一王女キリエが天空の神ソルに背いた叛逆天使を保護した罪に問われていることが、資料には書かれていた」
死天衆の有する情報収集能力の異常なまでの高さに、シェイドは舌を巻く。リーダーが
死天衆が、セラフィナのために用意した資料……それに書かれていることが正しければ──
「──王都を調べれば、原因が分かるかもしれないな」
「察しが良いね。私も、君と同じことを考えていた」
「じゃあ、真っ直ぐ王都を目指すのか?」
「基本的には、ね。途中に村や街があったら立ち寄って、何かないか調べてみるけど」
「分かった、それでいこう」
出発するまでは不安しかなかったが、いざ出発してみるとセラフィナの頼もしさに驚かされる。これなら、無事に調査を終えられるかもしれない。
シェイドは暗闇の中に、一筋の光明が差したような気分であった。
「シェイド、十一時の方向にマゴット多数。どうやら、何かの死体に群がっているみたいだね。馬そりの進路を、二時の方向に変更してくれる?」
巨大な蛆虫の姿をした怪物の大群が、死体に群がっているのが視界に映り込む。
マゴット……恐らくはこの世界で、最も目にする機会の多い魔族であろう。シェイドがまだあの村で自警団の真似事をしていた頃に、村の周囲にいないか見回って、見つけ次第駆除していた魔族もこのマゴットである。
基本的に何処にでも出現するが、動きは鈍重で個々はそれほど脅威にはならない。その一方、圧倒的な物量で押し寄せてくることが多々あるので、油断は禁物だ。
「了解、セラフィナ」
死体を貪ることに夢中になっているマゴットの大群に気付かれないよう、シェイドは素早くセラフィナの指示に従う。
「それにしても──死天衆の奴らが乗り込んだ方が、手っ取り早く事が終わるような気がするのは俺だけか?」
シェイドが愚痴をこぼすと、
「どう考えても、死天衆が動いた方が早く終わるに決まっているでしょう?」
意外にも、セラフィナも同意を示す。
「……だよな。アモンは兎も角、他の連中は何となく暇そうな雰囲気がするしな」
「まぁ……それを指摘したところで、やれ国際問題だの何だのと言い始めるから。大人しく従うのが、最も無難な選択だよ」
確かに、ベリアルに舌戦で勝てるビジョンが見えない。セラフィナの言うように、大人しく従うのが最も無難な選択にして対応なのかもしれない。
「シェイド、四時の方向に堕罪者。まだ、こちらには気付いていないから、気付かれる前に視界から外れるよ」
「了解、セラフィナ」
月明かりの下、二人と一匹を乗せた馬そりが駆けてゆく。
涙の王国……その滅亡の原因を探る旅が始まった。
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