第15話 出発前の一波乱
ハルモニア国境守備隊野営地──
支給された防寒服に着替えたシェイドは、セラフィナの待つ広場へと足早に向かった。防寒服は黒を基調とした色合いとなっており、色合いだけに関して言えばセラフィナの普段着とお揃いであった。
広場に着くと、丁度セラフィナがゴブリン族の守備隊員と物資の最終確認をしているところだった。
近付いてくるシェイドに気が付いたのか、マルコシアスが尻尾を振りながら何度か吠え声を発する。その声を聞いてシェイドが来たのを察したのだろう。セラフィナは顔を上げると髪をかきあげながら、シェイドへと向き直った。
「シェイド……ぷっ!」
「どうした、セラフィナ?」
「そ、その……何と言うか……暖かそうだなって思って……」
セラフィナは口元を片手で押さえ、今にも笑ってしまいそうなのを必死に堪えている。
「……笑いたきゃ、笑えよ」
支給された防寒服は保温性が高く、機能面に関しては申し分ないと言えた。だが──
「──冬眠前に、脂肪を蓄えた熊みたいだね……」
「脂肪を蓄えた熊、ね……」
セラフィナの言葉は、言い得て妙である。普段のひょろりとしたシェイドの姿を見慣れているからこそ、余計にそう見えてしまうのだろう。
「……それで、必要な物資はちゃんと揃っていたか?」
気を取り直してシェイドが尋ねると、セラフィナは白い吐息をほっと一つ吐き出しながら、小さく頷く。
「うん──ばっちりだね」
そう答えるセラフィナの服装は、黒いフード付きのマントに、これまた黒い上衣に黒い膝丈のスカート、厚手の白いストッキングに黒いブーツ。初めて会った時と一切変わらぬ格好である。どうやら、同じ衣類を複数所持しているようだ。
お世辞にも厚着とは言い難い、見るからに寒そうな服装であり、凍えてしまわないか些か心配になるが、彼女は至って平気そうである。
見ているだけで寒くなりそうな彼女から目を逸らし、シェイドは馬そりへと視線を移す。今回の調査に当たり、主な移動手段となる極めて重要な存在だ。
馬は寒さに強い品種で、軍馬よりも遥かに大きい。黒鹿毛の立派な馬体には、力強さが漲っている。
「……本当は、ドラゴンで行ければ楽だったんだけどな」
帝都アルカディアから、涙の王国国境と隣接するこの野営地まではドラゴンでやって来た。そのまま調査の際の移動手段にドラゴンを使えれば良かったのだが、そうもいかない事情があったのである。
「そればっかりは、仕方ないね。ドラゴンだと、余りにも目立ち過ぎるから。もし移動中に魔族や堕罪者たちに見つかって撃墜されようものなら、そのまま現世とさよならだよ」
「だよなぁ……徒歩じゃないだけ、マシと思わないとな」
「──うん。まぁ、地上も決して安全とは言い難いけど……」
セラフィナがポツリと呟いた直後──
突如、家々の屋根に留まっていた鳥たちが、悲鳴にも似た声を発しながら次々に逃げ出す。
一体、何があったのだろう。その場にいた誰もが、首を傾げていると──
「……うん?」
ラッパのような音が、遠くから聞こえてくる。それも一つや二つではない。しかも、徐々に近付いてきているのは決して気の所為などではないだろう。
「まさか──」
非常事態を報せる鐘の音が、高らかに響き渡る。武器を手に、素早く各々の配置に就く守備隊員たちをちらりと見やりながら、セラフィナは落ち着いた様子で、シェイドの言葉に首肯する。
「──アバドン、だね」
人間サイズの巨大な
「──彼らを助けるよ、シェイド」
「ああ……そっちは任せたぞ!!」
二つ返事で了承し、マルコシアスと共に風となって走り去ってゆくセラフィナを見送ると、シェイドは剣を抜きながら彼女が向かった場所とは逆の方向へと向かい、その先にいたアバドンの群れへと突っ込んだ。
「──さようなら、だ」
一匹目の顔面を勢い良く蹴り飛ばし、続く二匹目の触角を空いた手で引きちぎる。三匹目の口に剣を突き刺し、四匹目に肘鉄をお見舞いする。まるで川の流れの如く、シェイドは襲い来るアバドンたちを次々に返り討ちにしてゆく。
そんなシェイドの姿に鼓舞されたのだろう、士気の上がった守備隊員たちは、我も我もとアバドンに飛び掛かり、その身に刃を突き立てる。戦闘の主導権は、シェイドの加勢によって早くも、アバドンから国境守備隊へと移りつつあった。
一方、セラフィナは──
「──させない、よ!!」
剣を按じることさえなく、彼女は蹴り技だけでアバドンを次々と瞬殺していた。蹴りの威力が強過ぎるのだろう、彼女の足元には不気味な色をした泡を吐きながら、末期の痙攣を繰り返すアバドンたちが転がっている。
一体、その細く華奢な脚の何処に、そんな力が秘められているのだろう。周囲の守備隊員たちは、鬼神の如き彼女の強さを見て恐れ慄いた。
そんな彼らを余所に、セラフィナは粛々と、襲い来るアバドンたちを蹴り殺してゆく。その傍らでは、マルコシアスが何処かはしゃいだ様子で、羽音を立てて飛び交うアバドンを器用に叩き落としていた。
戦闘を開始して数分──身の危険を感じたのか、アバドンの群れは羽音を立てて何処かへと飛び去っていった。
「ふぅ……どうやら、何とかなったみたいだな」
安堵の溜め息を一つ吐くと、シェイドは剣に付いた返り血を布で丁寧に拭い、鞘へと収める。
そのまま別れたセラフィナの姿を探すと、彼女は自らが倒したアバドンの亡骸を見下ろし、顎に手を当てながら何やら考え事をしていた。
「セラフィナ──無事か?」
シェイドが声を掛けると、セラフィナは考えるのを中断して顔を上げる。
「シェイド──君も、無事そうで何よりだよ」
「何か気になることでもあったか? 何やら、考え事をしているように見えたが」
シェイドの問い掛けに対し、セラフィナはこくりと頷きながらその場にしゃがみ込む。
「見て、ほら──」
彼女に促されるままに覗き込むと、一匹のアバドンの亡骸が目に映り込む。その亡骸には──
「……これは、矢じゃないか」
「そう──誰がどう見ても矢だよね、これ」
そのアバドンの亡骸には、何本かの矢が刺さっていた。それは死屍累々たるこの惨状の中にあって、かなり異質であると言えた。
何故なら──ハルモニア国境守備隊は、誰一人として弓矢など用いていないのだから。そもそも銃が主流となった今の時代に於いて、弓矢は余りにも時代遅れだ。
「……このアバドンたちは、もしかして」
「うん──堕罪者でも魔族でもない何者かに襲われて、命からがら逃げてきた先が不運にも、偶々この国境守備隊野営地だった。その可能性が、極めて高いと思う」
「堕罪者でも、魔族でもない何者か……まさか──」
「──"天使"」
セラフィナの答えに、シェイドは絶句する。
天使たちが、動いている──決して、全くの予想外というわけではないが、予想しうる限り最悪の展開だ。魔族や堕罪者だけでも、非常に厄介な存在だと言うのに。
「……全く、勘弁してくれよ」
「泣き言を漏らしたところで、どうしようもない。言ってしまえば脅威が一つ増えただけ。難しく考えるだけ時間の無駄だよ、シェイド」
「いや、まぁ……それは確かに、そうなんだけどな」
前途多難……そう思わずには、いられない。セラフィナの護衛という役目を遂行出来るのか、些か不安になってくる。
「一先ず、死体を片付けるのを手伝おう。出発するのは、それからでも遅くはないから」
「……そう、だな」
暗澹たる思いを抱きつつも、シェイドはセラフィナの意見に同意を示し、重い足取りで彼女の背に続く。
そんな彼らの後ろ姿を、マルコシアスが何やら物言いたげな様子でじっと見つめていた。
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