第12話 艶麗にして酷虐なる者 後編

 刹那──客室の扉が勢い良く開かれたかと思うと、端正な顔を歪め、険しい表情を浮かべたセラフィナが、ドレスの裾をわずかにたくし上げながら、室内へと足を踏み入れる。


「……皇帝陛下との謁見の際に、貴方の姿が見当たらなかったから、何かが妙だと思ったら……やっぱりここに居たのね、ベリアル」


 わなわなと身を震わせるセラフィナを見つめると、ベリアルは目をすっと細めながら、


「おや──思ったよりも、早いご帰還ですね」


 床に伏せて震えているマルコシアスと、茫然自失としているシェイドとを交互に見やり、何が起こったのか大体察したのだろう。セラフィナの表情が、更に険しくなる。


「答えなさい……シェイドたちに、何をしたの?」


「何もしておりませんよ、セラフィナ。ちょっと、彼らの暇潰しに付き合ってあげただけです」


 小馬鹿にした調子で、ベリアルは嗤う。


「それより──皇帝陛下との謁見は、如何でしたか?」


「何もかも、貴方の目論見通りの癖に……!」


 誰が答えるものか。セラフィナが、ベリアルに向かってそう言おうとした瞬間──


「──質問に答えよ。セラフィナ・フォン・グノーシス」


 笑顔を崩さぬまま、ベリアルはその身から不気味なオーラを発し、わずかに語気を強めた。


 直後、喉元に音もなく鋭利な刃を突き付けられたかのような悪寒が全身を駆け巡るのを感じ、セラフィナはその場から一歩も動けなくなった。


 その場に磔にでもされたかの如く、身動きが取れなくなったセラフィナをギロリと睨み付けると、ベリアルはテーブルに置いてあったデスマスクを手にし、セラフィナの元へと歩み寄る。


「口に気を付けることだ、セラフィナ。お前の命など、吹けば飛ぶような軽く脆いものであろう? 育ての父との……アレスとの再会を果たさずに、ここで死んでも良いというのだな?」


「…………!」


「良い表情を魅せるじゃないか。そうだよセラフィナ、私はお前のその可愛らしい顔が、恐怖と絶望に彩られるのを見るのが好きなんだよ……」


 恐怖に引き攣るセラフィナの頬を愛おしそうに撫でながら、ベリアルは声を漏らして笑う。


「その顔が見られたことですし、先程の無礼は許して差し上げましょう。それで? もう一度聞きますよ? 皇帝陛下との謁見は如何でしたか?」


「……"最終戦争ハルマゲドン"終結直後、一夜にして死の国となった聖教会勢力の軍事大国"涙の王国"を調査するよう、皇帝陛下は仰られたわ」


「……他には?」


「……他、には……こちらが不定期に出す依頼をこなしてくれるのであれば、ハルモニア国内に限り、ある程度の行動の自由を許す、と……」


「はい、よく出来ました。素直な子は好きですよ」


 嬉しそうにセラフィナの髪を撫でるベリアル……それとは対照的に、セラフィナは力なく俯き、両目に透き通った涙を浮かべながら、小さく震えていた。


「──出発は五日後の朝。調査にあたり必要な物資やドラゴン等の乗り物は、こちらで用意します」


「……えぇ」


「それと──」


 ベリアルはそこで一旦言葉を区切ると、未だ茫然自失としているシェイドを指差しながら、


「君の護衛をするよう、その青年に依頼してあります。君の実力を疑っているわけではありませんが、何せ調査する場所が聖教会勢力の土地。堕罪者や魔族だけでなく、天使も恐らくは君の命を狙ってくることでしょう」


「シェイ、ド……」


「君の身体の──"聖痕スティグマータ"の性質上、一人で行かせるのは危険なんですよ。新月の夜、無防備となった君を守るのがそこの狼だけでは、些か心許ない」


 マルコシアスを見やると、ベリアルは軽く鼻で嗤う。


「君は、君が思っている以上に、その存在に価値がある。今ここで死なれてしまっては、我々としても困るのですよ。理解してくれますね?」


「……分かっ、たわ」


「宜しい──では、良い夢を……セラフィナ?」


 弱々しく頷くセラフィナの肩に軽く手を置くと、ベリアルは自らの顔にデスマスクを装着し、くぐもった笑い声を発しながら去っていった。


 ベリアルが姿を消すと、マルコシアスが弾かれたようにセラフィナの元へと駆け寄ってくる。


「ごめんね、マルコシアス……君に怖い思いを、させてしまったね」


 マルコシアスは今にも泣き出しそうなセラフィナの顔を見上げ、悲しそうに鳴き声を発する。まるで、セラフィナが泣くところを、悲しむところを見たくないと言っているかのように。


 セラフィナは小さな手の甲で涙を拭うと、精一杯の作り笑いを浮かべながらマルコシアスの頭を撫でる。辛い時や悲しい時、決まってマルコシアスが、何時も傍に寄り添ってくれる。それが、セラフィナにとっては何よりの救いだった。


「ありがと……マルコシアス。うん……もう、大丈夫だよ。それに何時までも、泣いてなんていられないから」


 一先ずは、皇帝ゼノンから依頼された、"涙の王国"滅亡の原因調査を遂行することだけを考えよう。セラフィナは素早く頭を切り替えると、元の無表情へと戻った。


「……シェイド」


「…………」


 シェイドはまだ正気に戻らない。ベリアルの誘惑に負けてしまったことを恥じているのか、うわ言のようにセラフィナへの謝罪を口にしている。


「……馬鹿だね、君は。気に病む必要はないのに。悪いのはベリアルであって、君じゃないのに」


 セラフィナとマルコシアスは、協力してシェイドをベッドまで運ぶと、身体の上にそっと毛布を掛けた。


 暫くはシェイドのメンタルケアもしなくては。いや、彼のメンタルケアはアモンに頼んだ方が良いだろうか。


 そのようなことを考えながら、セラフィナはマルコシアスと共に、シェイドに宛てがわれた客室を後にした。

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