第11話 艶麗にして酷虐なる者 前編
夕刻──
シェイドが大神殿へと戻ってくると、ドレスに着替えたセラフィナが、ちょうど客室から出てくるところだった。
「…………!」
「ほぅ……これは、これは」
セラフィナは端正な顔に薄化粧をし、シンプルなデザインの黒いドレスを優雅に着こなしていた。髪型も普段とは異なりハーフアップにしており、華奢な体躯も相まって、深窓の令嬢という言葉が良く似合う、蝶のように何処か儚げな姿へと大変身を遂げていた。
「──おかえり、シェイド。マルコシアスは、ちゃんと良い子にしていた?」
「あぁ……まるで、借りてきた猫のようだった」
普段のあどけなさが鳴りを潜め、そればかりか艶やかな雰囲気を醸し出す彼女の顔から目を逸らしつつ、シェイドは何度か首肯した。
マルコシアスは尻尾を振りながらセラフィナの元へと駆け寄ると、彼女の脚に何度も身体を擦り付ける。
「もう……駄目だよ、マルコシアス。ストッキングが毛だらけになっちゃうし、このドレスも借り物なんだから」
くすっと笑いながら、セラフィナはマルコシアスの頭を愛おしそうに撫でた。
「セラフィナよ──これから、皇帝陛下との謁見か?」
マルコシアスと戯れるセラフィナを微笑ましそうに見つめながらアモンが尋ねると、セラフィナはこくりと頷く。
「そうだね……予定より、ちょっと早めてもらったけど」
「左様か。まぁ、気持ちは分からんでもないが」
皇帝──ゼノンの傍には大抵の場合、死天衆のリーダー格である堕天使ベリアルが控えている。彼を蛇蝎の如く毛嫌いしているセラフィナとしては、なるべく顔を合わせたくはないのだろう。
「それじゃ、行ってくるよ。用事が済むまで、マルコシアスの相手をお願い出来る? 後で部屋に寄るから」
「それくらいなら、お安い御用だが……」
「ありがと。君は何時も、私に親切にしてくれるね」
口元を片手で軽く押さえると、セラフィナはころころと可愛らしい声で笑った。これまで静かに微笑むことは何度かあったが、彼女が声を出して笑ったのを見たのはこれが初めてであり、シェイドは何故だか、少しずつ自分の顔が火照ってゆくのを感じていた。
何名かの巫女たちを伴って、セラフィナがその場から立ち去ると、シェイドはぼうっと、半ば夢見心地な状態でアモンに客室へと案内された。
「──ここが、君に宛てがわれた客室だ。若し何か用があれば、部屋の外に出ると良い。衛兵や巫女が絶えず行き来しておる」
「──うん? あ、あぁ……」
正気に戻ったシェイドが慌てて返事をすると、アモンは訝しげな視線を向けながら、
「帝都を歩き回って、疲れておるだろう。セラフィナが戻ってくるまで、仮眠でも取ったらどうだ?」
「気持ちは有り難いが……マルコシアスの相手を頼まれてるから、遠慮しておくよ」
「そうか。では、な」
アモンはわずかに口元を歪めると、悠然とした動きで身を翻し、客室から退出していった。
特にやることもなく、手持ち無沙汰な状態──セラフィナが戻ってくるまで、マルコシアスは律儀に大人しくしているだろうし、ハルモニアの経典を読むのにも、流石に飽きた。
「……アモンを引き止めて、話し相手にでもなってもらえば良かったかな」
シェイドの言葉に同意するかの如く、マルコシアスが大きな欠伸を一つする。アモンならば快く引き受けてくれただろうし、話の引き出しが豊富なので、恐らく話題には事欠かなかっただろう。
「……どうしたものかな」
そう呟いた直後、扉をノックする音が耳に届いた。
「──どうぞ」
シェイドが応えると、ゆっくりと扉が開かれ、ハルモニアの将官服を身に纏った長身痩躯の堕天使が、部屋の中へと入ってきた。
その堕天使はデスマスクで素顔を隠してはいたものの、艶やかな銀の長髪と、デスマスクの奥より漏れるくぐもった笑い声から、シェイドはよりにもよって、一番顔を合わせたくない相手を招き入れてしまったことを悟った。
「ベリ、アル……!」
「やぁ、シェイド。失礼しますよ」
デスマスクを外し、テーブルの上に置くと、ベリアルはシェイドを見つめてにこりと笑った。
セラフィナがそのまま大人になったかのような容姿は神々しく、世に存在するありとあらゆる芸術品が、全て陳腐な瓦落多に見えてしまうほどに美しい。思わず兄妹なのではないかと疑ってしまうほどに……見れば見るほど、その顔はセラフィナと瓜二つだ。
「……何の用だ?」
「セラフィナに、如何なる悪口雑言を吹き込まれたのかは存じ上げませんが、そう身構えないで下さいよ。ハルモニアの民として受け入れた以上、君に危害を加えるつもりはありませんから」
ベリアルはそう言いながら腰を下ろすと、マルコシアスの頭を何度か撫でる。マルコシアスは牙を剥き出しにして唸り声を発していたが、明らかに腰が引けており、ベリアルに対して恐れを抱いていることが一目瞭然だった。
「そうですね……まぁ、君の暇潰しに付き合いに来たと、そう思って頂いて構いませんよ」
「そうか。ところで、ありがた迷惑って知ってるか?」
「知っていますよ。だからどうしたって話ですが」
追い返したいことを察しているのか、ベリアルは笑顔のまま逆に煽り返してくる。シェイドは大きく溜め息を吐くと、仕方なくベリアルを話し相手として時間を潰すことにした。
「……暇潰しに付き合いに来たんなら、当然面白い話の一つや二つは持ってきているんだろうな?」
「勿論ですよ、シェイド」
「へぇ……例えば?」
シェイドが訊くと、ベリアルは目を細めてニヤリと笑いながら、
「──セラフィナは、何故ハルモニアから出奔したのか」
「──っ!?」
何だ、こいつは──シェイドは戦慄した。まるで、こちらの心の内を読んだかの如く、ピンポイントで気になっていたことを話の種に出してきた。
「おや……目の色が変わりましたね。なるほど、やはり気になりますか。良いでしょう、聞かせてあげますとも。私から聞いたことは、本人には内緒にして下さいね?」
床に伏せて小さく震えているマルコシアスと、呆然としているシェイドとを交互に見やると、ベリアルは耳に心地好い声で語り始めた。
「今から、二年前でしょうか──剣聖アレスが、グノーシス辺境伯領から忽然と、姿を消してしまったんです」
「忽然と……?」
「はい──捜索隊が結成されましたが、未だに見つかっておりません。一部では、"彼は死んだのでは"なんて声も囁かれています」
「じゃあ……セラフィナは、失踪した養父を探すために?」
「うーん、どうでしょう? それも目的の一つではあるでしょうが、私は別の目的もあると考えてます」
ベリアルはそこで一旦言葉を区切ると、
「──"三日月の魔女"アスタロトの捜索」
「三日月の魔女……アスタロト……」
「はい。君はもうご存知でしょうが、セラフィナの左胸には正五芒星状の"
「……あぁ」
初めて会った日の夜──セラフィナがスティグマータからの大量出血で苦しんでいる姿を、実際に目の当たりにしていたシェイドは、ベリアルの言葉に深く同意する。
「剣聖アレスに保護された当初──セラフィナは、常に虫の息でした。新月の夜に限らず、毎晩のように、夜になるとスティグマータから血が溢れ出していたのです。その状態を緩和したのが、偶然グノーシス辺境伯領に来訪していた、三日月の魔女アスタロトでした」
「…………」
「アスタロトはアレスの死後、彼の魂を自分のものにするという条件で、セラフィナの身体を蝕むスティグマータの力を抑え込みました。残念ながら彼女の力を以てしても、スティグマータの力を完全に抑えることは出来なかったようですが……少なくとも今にも消えてしまいそうな、セラフィナの命を現世に繋ぎ止めることには成功しました」
その言葉を聞きシェイドは、セラフィナからアレスについて話を聞かせてもらったのを思い出す。本当の娘のように、愛情を込めて自分を育ててくれた命の恩人……彼女はそのように語っていた。
「セラフィナは、養父アレスが失踪したのはアスタロトとの約束を果たすためだと考えているようですね。それ故にハルモニアを飛び出し、彼らの行方を追おうとした」
「……セラフィナ」
ベリアルの言葉が正しければ、彼女はあの小さく華奢な身体で必死に、突如として行方を眩ませた養父の痕跡を捜そうとしていたことになる。
「蛇蝎の如く嫌われている私が言うのも何ですが、セラフィナは健気で良い子ですよ。ええ、本当に」
余裕の笑みを崩さぬまま、ベリアルはわざとらしく何度か頷いてみせる。
「どうです、シェイド? 彼女を、助けたいとは思いませんか?」
「……あぁ、思う」
「そんな君に、私から一つ提案があります」
刹那──ベリアルの目に、仄暗い焔が宿る。
「ここだけの話なのですが……皇帝陛下からの依頼で、近々セラフィナは"涙の王国"へと調査に赴くことになるでしょう」
「なっ……!?」
涙の王国──聖教会勢力に属する国の中でも、トップクラスの軍事力を有していた大国だ。
「皇帝陛下は、自分が出す依頼に応えてくれるならば、ある程度の行動の自由を許すと仰せでして。恐らく今、玉座の間にてセラフィナに伝えている頃合いでしょうか。セラフィナなら間違いなく、その条件を呑むことでしょう」
「馬鹿、な……幾ら何でも、危険過ぎる……」
「そうなんですよ、セラフィナの身体というかスティグマータの性質上、一人で行かせるのは余りにも危険でして。護衛が狼だけというのも心許ないですし。ですから、セラフィナの護衛を引き受けるつもりはありませんか?」
ベリアルはシェイドの肩に手を置き、耳元に顔を近付けると、心地好い声で囁く。甘い匂いが漂い、鼻腔を程よく刺激する。アモンが言っていた通り、帝都を歩き回って疲れているのだろうか、少しずつ意識が朦朧としてくる。
「……どうです? 勿論、報酬はしっかりお出ししますよ? 何よりセラフィナの傍にいられるし、彼女の願いを叶える手助けも出来る。君にとって、決して悪い話ではないでしょう?」
シェイドに抗う術など、あるはずがなかった。生気の感じられぬ、虚ろな表情で頷くシェイドを見下ろしながら、ベリアルは白い歯を見せて笑った。
「──契約、成立ですね」
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