第10話 受付嬢ルビィ
大神殿内にある食堂で少し早めの朝食を摂った後、アモンの案内でシェイドが訪れたのは、行政区画にある自警団
「──本当に、良いのだな?」
アモンが問うと、シェイドは小さく頷いた。
「……俺には学者のような知識もなければ、軍人のような人を殺す覚悟もない。剣を振るうしか取り柄のない俺には、自警団の仕事が性に合ってる」
「しかしなぁ……シェイドよ、君はまだ若い。そう一つの考えに、固執する必要もなかろう? それに自警団は、常に死と隣り合わせ。何時死んでも、可笑しくない危険な仕事だ。悪いことは言わぬ、考え直さないか」
「確かにそうかもしれないが、生憎これ以外の生き方を知らないものでね」
「……そうか。そこまで言うなら、止めはすまい」
ここに来るまでの道中で、何度もアモンと話し合って決めたことだ。今更、考えを改めるつもりはなかった。
「──失礼するぞ」
「はい──」
書類の整理をしていた、二十代そこそこと思われる若い受付嬢が、アモンの声に顔を上げる。黒い髪に黒い瞳。ハルモニア人と比較すると、少し濃い肌色。聖教徒によく見られる身体的特徴を、眼前の可愛らしい受付嬢は余すことなく備えていた。
「あら、アモン様。その節はどうも、お世話になりました」
「元気そうで何よりだよ、ルビィ。ここでの仕事には慣れたかね?」
「ええ、アモン様のお陰で。それで、本日はどのようなご要件でしょう?」
ルビィと呼ばれた受付嬢が首を傾げながら尋ねると、アモンはシェイドの肩に手を置きながら、
「──この青年を、自警団組合に所属させたい。君と同じく聖教会からの迫害を受けたようでな、この度ハルモニアが受け入れることになった」
「なるほど。確かに、自警団は慢性的な人手不足ではありますが……宜しいのですか?」
「剣の腕前は申し分ない。
「そうですか。畏まりました」
一旦奥へと引っ込んだかと思うと、ルビィは何枚かの書類を携えて姿を現し、カウンター席に座るようシェイドたちを促した。
「何か、飲み物はお召し上がりに?」
シェイドが腰を下ろすと、ルビィは愛想よく笑いながら訊いてくる。
シェイドが答えに窮していると、隣の席に腰を下ろしたアモンが、
「──生憎、大神殿で朝食を摂ってきたばかりでな」
「左様ですか……それは残念です」
ルビィは髪をかきあげると、シェイドを見つめながら、
「初めまして……ハルモニアにようこそ。私、自警団組合アルカディア支部で受付嬢をしております、ルビィと申します。どうぞ宜しくお願いしますね」
「シェイドだ、こちらこそ宜しく。君も、"元"聖教徒?」
「はい。シェイドさんはどちらの出身ですか?」
「聖地カナン」
「カナンと言うと、聖教会の本部があるところですよね。私は生まれも育ちも田舎でしたから、昔は一度で良いからカナンに行ってみたいなぁなんて、思っていたんです」
ルビィは丁寧に相槌を打ちつつ、流れるような手付きで書類にシェイドについての情報を書き込んでゆく。
「孤児院育ちだから、そんないいものでもなかった」
「そうですか……ハルモニアへは、どのような経緯で?」
「…………」
言いたくない──シェイドは本能的に、答えることを拒絶していた。自分が守ってきた村人たちの本性が、余りにも醜かったこと。恩人であるシスターが自分たちを逃がすために教会に留まり、惨たらしく殺された後、筆舌に尽くし難い辱めを受けたこと。
「…………!」
俯いて身を震わせるシェイドの手を、傍にいたマルコシアスが優しく舐めた。無理に思い出さなくても良いと、まるで慰めてくれているかのように。
その様子を見ていたアモンが、シェイドの代わりにルビィに対して、
「──"迫害を受けた"ということにしてやってくれ。さぞ、辛い思いをしてきたと見える」
「アモン、様……畏まりました。そのように致しましょう」
「すまぬな、ルビィ。恩に着る」
「いえ……」
ルビィも恐らく、似たような思いをしてきたのだろう。彼女はそれ以上追及することはせず、アモンの言う通りに書類へと記入した。
ルビィはその後、淡々と年齢や元の職業などについてシェイドに尋ねると再び奥へと引っ込み、数分後ギルドライセンスを携えて戻って来た。
「どうぞ、シェイドさん。国境の関所などでこのライセンスを提示すれば、手続き不要で通ることが出来ますので、是非とも有効活用して下さい」
「……ありがとう」
「でも、一つだけ約束して下さい」
ルビィはシェイドの手を握ると、真剣な面持ちで、
「私には、シェイドさんがどんな辛い体験をしてきたかは分かりませんし、シェイドさんの抱く苦しみや悲しみを理解することは出来ません。ですが──」
「…………」
「……ですが、決して自暴自棄にならないで下さい。貴方を今日まで生かしてくれた人も、貴方が自暴自棄になってしまわれては、きっと悲しむことでしょう。このような時代だからこそ、どうか生を諦めないで。私たちは、苦しむためだけに生まれてきたのではない。希望は必ず、何処かにあるはずです」
「……そうだな。肝に銘じておくよ」
ルビィの手を握り返しながら、シェイドは少しだけ口元を歪めて笑った。
自警団組合の支部を後にし、行政区画から商業区画へと移動する際──アモンはルビィの境遇について、簡潔にシェイドに教えてくれた。
ルビィは数年前、目の前で最愛の姉を焼き殺され、命からがらハルモニアの国境まで逃げてきたという。彼女の姉を魔女として告発したのは、何と彼女の両親であった。
生活が困窮していたルビィの両親は、同様に生活が困窮していた村人たちと結託し、実の娘を──ルビィの姉を魔女として告発することで、聖教会から多額の褒賞金を得ようとしたのだ。
当時のルビィが抱いた絶望や悲しみ、苦しみは、想像を絶するものであったことだろう。事実、ハルモニアに保護されてから、ルビィは何度か自殺未遂を起こしたという。
「……決して不幸を比較するわけではないが、シェイドよ」
「……分かってるよ、アモン」
笑顔を浮かべるシスターの姿が、脳裏を過ぎる。シスターならきっと、ルビィと同じことを言ったに違いない。
「生命ある限り、足掻いてみせるさ──この世界で」
「うむ──それで良い」
シェイドやアモンに同意するように、マルコシアスが尻尾を振りながら嬉しそうに一声吠えた。
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