第8話 竜の背に乗り

 帝都アルカディアからドラゴンがやって来たのは、概ねセラフィナが予想した通り、二日後の夕刻であった。


「──こ、これが……ドラゴン……」


 鈍い光を放つ黒い鱗……引き締まった巨躯。太陽を背に翼を大きく広げた、威風堂々たるその姿は、見る者に畏敬の念を抱かせる。


 生まれて初めて見るドラゴンという生き物に、シェイドは興奮を抑えられない様子であった。まるで、面白いものを見つけた少年のように目を輝かせている。


 大地の女神シェオルが、大地に満ちる生命の循環を促すために創造したと言われる生物──ドラゴン。彼らは上位魔族に分類されており、人間にも引けを取らぬ高い知性と、恵まれた身体能力を有している。


 巨体に見合わず俊敏で、空を自在に飛べることから汎用性が極めて高く、今回のように最短距離で帝都に行きたい時などは非常にありがたい存在である。


「──やっぱり本物は、迫力が違うな……」


「──準備は出来た、シェイド?」


 背後にいたセラフィナが声を掛けると、シェイドはセラフィナへと向き直り、こくりと頷いた。


「あぁ──出来たよ、セラフィナ」


「じゃあ、今からドラゴンに乗る際の注意点を教えるね」


 セラフィナはシェイドの手を引き、ドラゴンの目の前までゆっくり歩を進めると、


「ドラゴンは誇り高い種族。少しでも誇りを傷付けられたと感じると、暴れ出して手が付けられなくなるから、彼らの方が目上であることを、乗る前に示す必要がある。見ていて」


 セラフィナはそこで一旦言葉を区切ると、すらりと伸びた細い脚を軽く交差させ、胸に右手を当てながら深々とドラゴンに対して頭を下げた。


 ドラゴンは数秒ほど、お辞儀をしているセラフィナをじっと見下ろしていたが、やがてセラフィナの頭に軽く前足をかざした。


「──こんな感じ。ドラゴンが頭上に前足をかざしたら、背に乗ることを許された合図だから、許しが得られるまではお辞儀を止めないこと」


「……難しそうだな」


「そこまで、難しく考えなくても良いよ。乗せてくれる相手に敬意を払う……それだけのこと。さ、やってみて」


 セラフィナに促されるまま、シェイドは胸に手を当ててドラゴンに対し一礼する。


 ドラゴンはシェイドに顔を近づけると、牙を剥き出しにして唸り声を発する。熱い鼻息が顔に掛かり、冷や汗が背筋を伝う。


「……これ、大丈夫なのか? 嫌な予感しかしないんだが」


「そのまま続けて。間違っても、途中で礼を止めては駄目」


「……分かった」


 セラフィナの言葉を、信じる他ない。シェイドは更に深く頭を下げ、自分の方がドラゴンよりも格下であることをアピールした。


 唸り声は止んだものの、ドラゴンは未だ警戒を解かない。


 ──ええいままよ。


 シェイドは地面に膝を付き、頭をこれでもかと言わんばかりに深々と下げた。


 どれくらい、時が経っただろう。


「──おめでとう。認められたみたいだね」


 セラフィナの声が聞こえ、恐る恐る顔を上げると、ドラゴンが穏やかな表情で、頭上に前足をかざしているのが視界に飛び込んできた。


「これで、君も背に乗ることが許された」


「……危うく、死ぬかと思った」


「そう? じゃあ──早速乗ってみようか」


 セラフィナは軽やかな動きでドラゴンの背に飛び乗ると、細い二の腕からは想像も付かないほど強い力で、シェイドを軽々と引き上げる。


「……凄い腕力だな。正直驚いた」


「そう? ありがと」


 背の上は乗合馬車のようになっており、ドラゴンの御者が座る席とは別に、乗客用と思われる座椅子が幾つか設けられていた。


「操縦は私がするから、シェイドは帝都アルカディアに到着するまでの間、ゆっくり身体を休めていて。そうだね、空を飛んでいる間は結構冷えるから、マルコシアスを抱いて寝ると良いかも」


「そう言えば……マルコシアスはどうやって乗るんだ?」


「あの子は、自力で登ってこられるよ。ほら──」


 セラフィナの指す方を見ると、マルコシアスがドラゴンの尻尾の方から勢い良く駆け上がってくるのが見えた。


「……中々やるな、お前」


 苦笑いを浮かべるシェイドとは対照的に、マルコシアスは何処か誇らしげである。


 シェイドたちが座椅子に腰を下ろしたのを確認すると、セラフィナは軽く鞭を打って合図を出した。


「──行くよ」


 合図を受けたドラゴンが飛翔すると同時、周りの景色が目まぐるしく変化してゆく。大地はどんどん遠ざかり、家々が豆粒のように小さくなってゆく。


「お……おぉ……」


 飛ぶ鳥は何時も、こんな美しい景色を見ているのか。シェイドは思わず、セラフィナにも聞こえるほどの大きな溜め息を漏らす。


 空から見下ろす大地は、とても壮大で美しかった。蜃気楼の如く、不規則に輪郭を変化させている巨大な砂時計さえなければ、感動のあまり涙を流していたことだろう。


 崩壊の砂時計──何処に視線を動かそうとも、それは必ず視界に映り込んでくる。何とも忌々しい。


 セラフィナが身体を休めていろと言った理由が、何となく分かったような気がした。嫌でも存在を主張してくる崩壊の砂時計が、壮大な風景を目の当たりにした感動を台無しにしてしまう。


「……砂時計アレさえなければ、な」


「君も、そう思う?」


「……あぁ」


 セラフィナに同意しつつ、シェイドは大きな欠伸をする。


「──さっきも言ったけど、到着するまでの間、ゆっくり身体を休めていなよ。帝都アルカディアに到着したら、起こしてあげるから」


「帝都までは、どれくらい掛かる?」


「そうだね──このまま順調にいけば、明日の夜明け頃に着くだろうから、凡そ半日といったところかな」


 地平線に沈みゆく夕日を見ながら、セラフィナは呟くような調子でそう答える。


「そうか──じゃあ、お言葉に甘えようかな」


 セラフィナと御者を交代したい気持ちはあるが、ドラゴンに乗ったのはこれが初めてであり、とてもではないが御せる自信がない。潔く、彼女の言葉に従った方が良さそうだ。


 シェイドが横になると、マルコシアスが寄ってくる。何となく抱きしめてみると、セラフィナの言う通り、確かに暖かく心地好い。


 マルコシアスの温もりに包まれながら、シェイドはゆっくりと、微睡みの中に落ちていった。


「──おやすみ、シェイド。良い夢を」


 寝息を立て始めたシェイドをちらりと見やり、セラフィナは穏やかな声音で、そう彼に言葉を掛けた。

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