第一章

第6話 帝国の支配者

 今から二十五年前──"崩壊の砂時計"が出現した直後。


 崩壊の砂時計の出現を、天空の神ソルからの天啓と解釈した聖教会が、全ての異教徒たちの断罪と、全ての聖教徒たちの救済を声高に叫び、ハルモニアを始めとする諸国家に宣戦を布告した。


 聖教会側が"最終戦争ハルマゲドン"と呼称したこの世界大戦は当初、技術力に優れるハルモニア帝国軍が優位に戦を進めていたが、天使長ミカエルたちが聖教会側に助力、更には剣聖アレスが登場したことにより、わずか半年ほどで戦局を覆されることとなった。


 天使という究極の脅威に対し、異教徒たちが助力を求めた者たち。それは神にも匹敵する力を持った、魔族たちを束ねる五人の堕天使──"死天衆"だった。


 ハルモニア帝都──アルカディア。


 神殿内の至る所に、巫女の格好をした少女たちの遺体が転がっていた。まだ息絶えて間もないのか、殆どは純白のストッキングに包まれた爪先を、ピクピクと痙攣させている。


 彼女たちは全員、ハルモニア国教会に所属する巫女であった。死天衆の召喚という、国家の存亡を賭けた、それでいて危険極まりない儀式に臨んだ勇敢なる者たち。


 死天衆の一柱が召喚に応じて顕現した直後──彼女たちは顕現によって生じた暴風に吹き飛ばされ、神殿の壁や柱に身体を強く打ち付けられ、そして命を落とした。無事だったのはただ一人、逆五芒星の描かれた魔法陣の中にいた男だけであった。


「──私を呼んだのは、貴方ですね?」


 死天衆が、穏やかな声音で問い掛ける。男性とも女性ともつかぬ中性的な声。だが、長い銀髪を風に靡かせ、涼やかな青い瞳で男を見つめる様は、世に存在するありとあらゆる芸術品が、全て陳腐な瓦落多ガラクタに見えるほど神々しく、そして美しい。


「……あぁ。この私だ」


 周囲の惨状に胸を痛めているのか、或いは必要な犠牲だったとはいえ、未来ある少女たちの命を奪ってしまったことに罪悪感を覚えているのか、男は何処か辛そうな顔で、死天衆の問いに応じた。


「大地の女神シェオルの使徒よ……"簒奪者"ソルの魔の手からハルモニアの民たちを守るべく、貴公の力を借りたい。どうか我らを救ってはくれまいか」


「ふむ……」


「頼む……天使どもが、あの簒奪者の犬どもが、聖教会に力を貸している現況では、我らハルモニアや連合軍に勝ち目など存在せぬ……! どうか!!」


 死天衆は必死に頭を下げる男の様子をじっと観察していたが、やがて端正な顔に不気味な笑みを浮かべると、


「──貴方の最も大切なものを、この私に差し出しなさい」


「何、と……?」


「言葉通りの意味です。貴方にとって最も大切なものを、贄として私に捧げるのです。そうすれば、貴方やハルモニアの民のために、力を振るって差し上げましょう」


「……これ以上、更なる贄を欲すると言うのか……! 神殿内のこの惨状を見ても、尚……!!」


 周囲で事切れている巫女たちを見回しながら、男は死天衆に対して訴えかける。だが、死天衆からの返答は冷たいものであった。


「彼女たちは、国と民を愛する貴方にとって、確かに大切なものには違いないでしょうが──少なくとも、一番大切なものではない」


「何、と……それでは、彼女たちの犠牲は……」


 耳に心地好い声で、死天衆は男をフォローするように、


「いえいえ、全くの無駄ではありませんよ。こうして、私を奈落の底から呼び出すことに成功していますからね。ですが彼女たちは、あくまで私を呼び出すのに必要な贄……私が貴方に協力を約束するために必要な、契約の対価とは異なります。ですから、その対価を頂きたいのですよ」


「……何が、望みだ」


 死天衆の顔を睨み付けながら、男は尋ねる。どのみち、聖教会を打ち破るためには、死天衆の力を借りなければならない。元より国と民を守るためならば、如何なるものも差し出す覚悟だった。


「そうですね──」


 雷鳴が響き渡り、死天衆の声を遮る。だが、男には死天衆が何を言ったのか聞き取れたらしい。


「……分かった」


 生気の感じられない、虚ろな表情で頷く男……そんな男を見下ろしながら、死天衆は白い歯を見せて笑った。


「──契約、成立ですね」











 時は流れ、現代──


「……陛下。数ヶ月前、グノーシス辺境伯領より行方をくらませたセラフィナ・フォン・グノーシスを、先日ハルモニア国境守備隊が保護したそうに御座います」


 玉座の間へと入ってきた、デスマスクで素顔を隠した死天衆の一柱の言葉に、男はわずかに眉を動かす。


「……セラフィナは、無事であるのか?」


「はい、セラフィナ自身は至って健康で、服が土埃や返り血で汚れていることを除けば、特に問題はなさそうとのこと」


「そうか。それは良かった。だが、その口振りだと、どうやらがいるらしいな」


「仰る通りで──如何なさいますか?」


 死天衆の問いに対し、男は口元を歪めながら、


「──会ってみようではないか。あのセラフィナが気に入ったという者に」


「然れば……」


「うむ……セラフィナとそのとやらを、帝都アルカディアへと連れて参るよう、国境守備隊に伝えよ」


「──畏まりました。では」


 翼を広げ、飛翔する死天衆──飛び去る彼には目もくれず、男は壁に掛けられている肖像画を見つめて、ニヤリと笑う。


「──たとえ、お前がどのような選択をしようとも、結局は私の手元へと戻ってくる運命にある。お前がどれほど、本当の幸せとやらを求めようとも、な。幸せは我が国ハルモニアにしか、存在せぬのだから。なぁ──?」


 そこに描かれていたのは、銀髪と青い瞳、そして無表情が特徴的な、黒衣が良く似合う幼い少女の姿だった。

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