第5話 ハルモニアへ

 松明の火が、ゆらゆらと揺らめく。獲物を探す捕食者の如く、忙しなく四方へと向けられているのが分かる。


 暗がりの中で息を潜めつつ、セラフィナとシェイドは追っ手の動きを観察していた。松明の数から察するに、追っ手の数は凡そ五名ほどだろうか。


「──見つけたか?」


「いや──見当たらない」


「……どうする? このまま、捜索を続行するか?」


「いや……今は、魔族や堕罪者の活動が活発化する時間だ。流石に危険過ぎる。口惜しいが、追跡は断念しよう」


「出来れば、あの小娘を生け捕りにしたかったのだが……致し方ない。多少、褒賞金の額は下がるが、あの女の"死体"を異端審問官に突き出せば、暫くはそれで食べていける」


 死体と聞いて、シェイドの額に癇癪筋が浮かび上がる。


「…………!」


 抜剣して襲い掛かろうとするシェイド──セラフィナは咄嗟に彼の腕を掴んで、それを阻止した。


 そんなことは露知らず、追っ手たちは呑気に会話を続ける。


「それで妥協するしかないか。だが、若し奴が処女だったらどうする? 異端審問官たちに疑われやせぬか?」


「何……今頃、奴の死体を物好きな連中が、貪るように抱いているだろう。いくら生前が良い女だったからって、俺なら流石にを抱こうとは思わんがね。変な奴もいるもんだ」


「違いない。あそこまで変わり果てた姿だと、な……流石に不快感と嫌悪感が勝る」


 追っ手たちはそのまま、村のある方角へと去ってゆく。やがて松明の火が完全に見えなくなると、セラフィナは掴んでいたシェイドの腕を放した。


「……どうやら、やり過ごせたみたいだね」


「……悪い、セラフィナ」


「シェイド……何故、謝るの?」


 セラフィナが問うと、シェイドは項垂れたまま、


「若し、君が止めてくれていなければ……あのまま危うく、奴らを斬り捨てるところだった」


「ううん……気にしなくても、良いよ」


「セラフィナ……」


「シスター……良い人、だったのにね……」


「……あぁ。そう、だな……」


 別れ際、悲しそうな笑みを浮かべていたシスターの顔が思い浮かぶ。恐らく彼女は、どのみち自分が助からないことを悟っていたのだろう。


 故に彼女は、自分を犠牲にしてセラフィナたちを逃がすことを選択した。その末路が余りにも悲惨だったであろうことは、追っ手たちの会話から容易に想像が出来た。


「可哀想に、ね……シスター……」


「……あぁ。そう、だな……セラフィナは、これからどうするつもりなんだ?」


 シェイドが尋ねると、セラフィナは月を見上げながら、


「さぁ、ね……ハルモニアに辿り着いてから、ゆっくりと考えようかな。今は、何も考えたくない……」


「……そう、だな」


 無理からぬことだった。人間の醜い本性を目の当たりにしたばかりか、優しくしてくれたシスターの悲惨な最期を知る羽目になった。セラフィナでなくとも、何も考えたくないと思うだろうし、シェイドも実際同じ気持ちだった。


「……シェイドは、どうするつもり?」


「俺は……俺は、どうしたものかな。仕事も帰る場所も、もうなくなっちまった……お先真っ暗だ」


「……そう」


 その時──マルコシアスが小さく鳴きながら、シェイドの手を優しく舐めた。


「マルコ、シアス……慰めてくれるのか?」


 シェイドの問い掛けに、マルコシアスは尻尾を振りながら再度鳴き声を発する。


「──"ハルモニアに来ないか"って、言ってるね」


「ハルモニアに……? 正気か? 俺は聖教徒……ハルモニアからしたら、不倶戴天の敵だろ?」


「"元"聖教徒を受け入れた前例は沢山あるから、問題はないよ。先の大戦で、聖教騎士として多くのハルモニア人を殺した剣聖アレスが、分かりやすい例」


 帝国ハルモニアは、聖教会の迫害を受ける者たち全ての救済を国策の一つとして掲げていることで知られている。小鬼ゴブリンやエルフ、ドワーフといった、聖教会から魔族の烙印を押された異人族。同じ聖教徒からの弾圧や迫害を受けた"異端者"。そういった境遇の者たちを受け入れ、国民として認可しているという。


 シェイドは後者として、ハルモニアに受け入れられる可能性があるとのことだった。


「新月の日……あの村の入り口で、君が私に声を掛けて助けてくれたように、私も君を助けたい……シェイド」


「セラ、フィナ……」


「どうかな? 勿論、無理にとは言わないよ。どのような選択をしたとしても、私は君の意思を尊重する」


「…………」


 セラフィナがシェイドを救おうとするのは、彼女がシスターの死やシェイドが居場所を失ったことに対して、責任を感じているからなのだろう。


 だが、それでも──


 込み上げそうになる涙を必死に堪え、肩を小さく震わせながら、シェイドは笑顔で頷いた。


「……ありがとう。セラフィナ」


「うん──じゃあ、行こうか。ハルモニアに」


 セラフィナは優しく微笑むと、シェイドに手をそっと差し伸べる。


 月明かりに照らし出されたその姿は、まるで彫像のように神々しく、そして美しかった。

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