第4話 這い寄る悪意

 夕刻──


 帰還したシェイドが大寝室の扉を開くと、膝を抱えて座り込んでいるセラフィナと、彼女に寄り添うマルコシアスの姿が視界に飛び込んできた。


 白磁を思わせる頬は赤く腫れ上がっており、口の中が切れているのか、薄桃色の唇の端には血が滲んでいる。誰かに暴力を振るわれたのは、一目瞭然だった。


「……セラフィナ」


「おかえり、シェイド。無事で良かったよ」


「……誰にやられた?」


 沸々と湧き上がる怒りを堪えつつ、努めて穏やかな声音でセラフィナに尋ねる。少し待ってみたが、彼女が問いに答える様子はない。


「もう一度、聞くぞ──誰にやられた?」


「それを知って、どうするつもり?」


「…………」


 自分が不在の間に何が起こったのかは、既に村人たちから聞かされている。村人の一人が堕罪者へと変貌し、数名を殺害したこと。それを、駆け付けたセラフィナが討ったこと。


 セラフィナが止めていなければ、堕罪者が更なる凶行に及んでいたであろうことは、想像に難くない。最悪、村人が全滅していたかもしれないことを考えると、それを防いだ彼女は本来、感謝されて然るべきだ。


 だからこそ、恩を仇で返すような真似をした村人たちに対し、シェイドは激しい怒りと嫌悪感を覚えていた。長らく自分が守り続けていたのは、相手への感謝すら知らぬような下衆ばかりだったのかと、反吐が出るような想いであった。


「……仕方ないよ、シェイド。私は異教徒だから。聖教徒は異教徒のことを、人間とは認めていない。獣畜生と同じ存在だと考えている。人間は、獣畜生とは言葉を交わさない。彼らからしたら、至極当然のことなんだよ」


「しかし……!」


「もっと言えば、私とまともに会話をしている君やシスターの方が異質なんだよ、シェイド。聖教会の教義に反する行為を、平然としているわけだから」


「…………」


 ──"聖教徒にあらずんば、人にあらず"。


 セラフィナの言う通り、村人たちのセラフィナに対する態度こそ、本来あるべき聖教徒の姿だ。異教徒は人ではなく、家畜や野獣と同様の扱いを受ける。


 セラフィナの言うことは正しかった。それでも──村人たちのセラフィナに対する仕打ちには、納得がいかなかった。


「……助けてもらっておいて、何だよ。巫山戯ふざけやがって」


「助からなかった命もある。私が駆け付けた時には既に、何人か殺されていた」


「それは、セラフィナの所為じゃないだろ!?」


「……果たしてそうかな? ある村人は"お前があいつを堕罪者にしたのだ"と言って私を殴り、またある村人は"お前がもっと早く来ていれば、誰も死なずに済んだ"と言って、私を蹴り飛ばした」


「……無茶苦茶だ!!」


 怒りに身を震わせるシェイドとは逆に、セラフィナは何処か諦めた様子で溜め息を吐きながら、


「──そうだね。言ってることは理不尽極まりないし、無茶苦茶だと思う。でも、彼らからしたら、それが至って普通なんだよ」


「普通……? 何処が普通だ!!」


「──先の大戦で、聖教会はハルモニアに敗れた。その時に聖教徒たちは、どうしたと思う?」


「──っ!?」


 セラフィナの言葉に、シェイドはハッとした。


 崩壊の砂時計が出現して間もなく勃発した、聖教会と異教徒勢力との大戦争。剣聖アレスが死天衆に敗れたことで聖教会側は総崩れとなり、異教徒勢力に対して大敗北を喫した。


 民衆の怒りの矛先は、死天衆に敗れたアレスへと向き、彼らは毎日のようにアレスに心ない言葉を浴びせ、中には暴力を振るう者もいたとされる。


「それと、同じだよ。シェイド──君からしたら、村人たちの考えや行動は下らないし、まるで理解出来ないかもしれない。でも村人たちからしたら?」


「……暴力を振るうに足る動機があり、君に暴力を振るう正当性を有するってことか?」


「そういうことだよ」


「何故、それを知って尚、落ち着いていられるんだ!?」


 激昂するシェイドをじっと見据えながら、セラフィナは淡々と言葉を紡いだ。


「……例えば君の目の前で、崖から飛び降りて死のうとしている人がいたとして、君なら何て声を掛ける?」


「い、いきなり何を……」


「良いから。答えて」


 シェイドは言葉に詰まる。彼がそのような反応をすることを見越していたのか、セラフィナは特にこれといった反応も見せずに続けて、


「……答えられないでしょ? 相手の立場になってよく考えると"生きろ"だなんて、無責任な言葉は掛けられない。だからと言って"さっさと死ね"だなんて、無慈悲な言葉を掛けるのは、倫理的に何か憚られる」


「あ、あぁ……」


「それと同じこと。若し自分が彼らと同じく、聖教徒の立場にあったならと仮定する。果たして自分に、彼らの行いを責める権利はあるだろうか? 彼らと同じ行動を取らないと、胸を張って言えるだろうか?」


 セラフィナは一旦そこで言葉を区切ると、ぼんやりとした様子で壁を見つめながら、


「……私は、胸を張って言えない。きっと、彼らと同じことをするだろうから。彼らの行いを責めたい気持ちは、当然持っているよ? でも、責められない。責める権利がないんだよ」


「セラ、フィナ……」


「…………」


 これ以上、空気が重々しくなることを恐れたのだろう。セラフィナはわずかに表情を和らげると、


「まぁ……全ての受け売りなんだけどね」


「……剣聖アレス。君の養父か」


「うん。私が何か深いことを言っていたら、基本的にあの人アレスからの受け売りだと、思ってくれて良いよ」


 セラフィナは滑らかな動きで立ち上がると、シェイドを見つめてくすっと笑った。出逢ってから数日──初めて彼女が見せた笑顔は無邪気で、とても可愛らしかった。


「…………」


「……どうか、した?」


「い、いや……別に……」


 シェイドが口ごもった、その時だった。


 大寝室の扉が勢い良く開いたかと思うと、シスターが血相を変えて入ってくる。彼女は確か、怪我人たちの手当をするために、村へと赴いていたはずだ。


 朝まで戻ってこないと言っていた彼女が、どうしてこんなにも早く戻って来たのだろうか。


「た、大変です……! セラフィナさん!!」


「どうかしましたか、シスター?」


 彼女の慌てようを不審に思ったセラフィナが尋ねると、


「村の年長者たちが、夜陰に乗じて教会を包囲し、セラフィナさんの身柄を拘束しようと企んでいます……! 今直ぐに、ここからお逃げ下さい!!」


「セラフィナの身柄を……? まさか──」


「ええ、シェイドさん……! どうやら、セラフィナさんを災いをもたらす異教の魔女として、異端審問官に引き渡すつもりのようです……!」


 異教徒との戦争が終わって間もない頃、聖教会の支配圏内にて、魔女の告発が相次いだことがある。主に貧しい農村部の人間たちが、旅人や一部の身内を魔女として告発し、彼らは聖教会から多額の褒賞金を授与されたと言われている。


「セラフィナは敵国ハルモニア出身の旅人。魔女として突き出すには、うってつけの人材ってわけか……!」


 何処までも性根が腐り切っている。褒賞金欲しさに、自分たちを救ってくれた少女を、魔女として告発するなど、正気の沙汰とは思えない。


「イカれてやがる……! 彼奴ら、本当に人間か!?」


「迷っている時間はありません! さぁ、セラフィナさん!!」


 シスターはセラフィナの手を握り、裏口へと案内すると、シェイドへと素早く顔を向け、


「──シェイドさん! セラフィナさんは、この辺りの土地勘がありません! 貴方の力が必要です!」


「シスター……」


「お願いです……! どうかセラフィナさんを、ハルモニアまで無事に送り届けて下さい!!」


「待て……! シスターはどうするつもりだ……!?」


 シスターは悲しそうな笑みを浮かべると、


「……私は、ここに残ります」


「なっ──!?」


「お世辞にも、身体が丈夫とは言えませんから。お二人の足手まといになって、最悪の場合は全員共倒れになってしまうかもしれません。それだけは、避けないと……」


「…………」


「そんな顔、しないで下さい。死ぬと決まったわけでは、ありませんから」


 シスターはシェイドをそっと抱きしめると、続けてセラフィナの方へと歩み寄り、シェイドの時と同様に彼女の華奢な身体を優しく抱きしめた。


「セラフィナさん……どうか、ご無事で」


「……シスターも」


 セラフィナの言葉に、シスターは精一杯の作り笑いを浮かべて頷いた。


「……行くぞ、セラフィナ」


「……うん」


 シェイドと共に、セラフィナとマルコシアスは薄暗い闇の中へと走り出す。徐々に小さくなってゆくその背を見送るシスターの目から、一筋の透き通った涙が零れ落ちた。


 嗚咽を漏らすシスターの背後より、無数の足音が近づいてくる。自らの死を悟ったシスターは、泣き笑いを浮かべながら胸の前で手を組み、その場に座り込んだ。


「……私はこれから、殺されるのですね?」


「…………」


 銃口がすっと、身体へと突き付けられる。


「──さようなら、シェイドさん……セラフィナさん。こんな私に、最後に生きる意味を与えてくれて……本当に、ありがとう……」


 直後──シスターは、自分の太ももが撃ち抜かれるのを感じた。続いて脇腹、更に腕……灼けるような痛みが身体中を駆け巡る度、セラフィナが感じていた痛みもこんな感じだったのだろうかと、ふとそんなことを考えた。


 何発も執拗に猟銃の弾を撃ち込まれ、何度も執拗にセラフィナたちの居場所を尋ねられても、彼女は決して、口を割ることはなかった。命の灯火が消失する──その時まで。

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