第1話 運命の出逢い

 黒衣に身を包んだ少女が、村の入り口に姿を現すと、人々は一斉に奇異の眼差しを少女へと向けた。


 来訪者など殆どない寒村──そこに突然現れた、巨大な黒い狼を伴った異邦からの幼き旅人。村人たちが警戒するのは致し方のないことではあった。


 少女は目深に被っていたフードを取ると、近くで馬の世話をしていた男に声を掛けた。


「あの──」


「…………」


「少し、お尋ねしたいことがあるのですが──」


「…………」


 男は心底嫌そうな顔をすると、そそくさと家の中へと入ってゆく。言葉の訛りや外見から、少女が異教徒だと分かったらしい。尤も、外見に関しては、同じ異教徒の中にあっても極めて稀有な見た目ではあったが。


 男が家の中へと入っていったのを皮切りに、他の村人たちも一斉に少女から目を逸らしてゆく。


 ──"聖教徒にあらずんば、人にあらず"。


 天空の神ソルを信仰する、巨大宗教勢力"聖教会"の教えだ。この村の人間たちはどうやら皆、敬虔なる聖教徒であるらしい。大地の女神シェオルを信仰する巨大な帝国ハルモニアからやって来た少女は、彼らからすれば正に不倶戴天の敵でしかないのだろう。


 そもそも、聖教会の定める教義によると、異教徒は人間として扱われない。聖教徒からすれば、彼らは獣畜生と何ら変わらない存在である。人は獣畜生と言葉を交わさない。それはそのまま、少女のような異教徒相手にも適用されていたのである。


「困ったね……どうしたものかな、マルコシアス」


 無表情のまま、少女は顎に人差し指を軽く当てながら、傍らに控える黒い狼──マルコシアスに語り掛ける。


「──"村全体から腐敗臭がする"? そうかな……気の所為だと言いたいところだけど、君の勘は大概当たるからね」


 今宵は新月──少女にとって最も危険な夜。可能ならば人のいる安全な場所で休みたかったが、村人たちの反応から察するに、どうやらそれは無理そうだ。


 自殺行為に等しいが、魔族や堕罪者が跋扈する荒野で夜を明かすしかない。


 少女が諦めて踵を返そうとした、その時だった。


「おやおや──こんな寂れた場所に旅人さんかい?」


 若い男の声が、耳に届く。振り向くと、村の外から一人の青年が、悠然とした動きでこちらへと向かってくるのが見えた。


「ほぅ……これは驚いた。まさか、こんな可愛らしいお嬢さんが旅をしているとはね」


「こんなご時世だからね。旅にも出たくなるよ」


「ははっ、違いない」


 遠方にて蜃気楼の如く揺らめく崩壊の砂時計を見ながら、青年は声を上げて笑う。


「それで、お兄さんは何で私に声を掛けたわけ? 訛りで異教徒だって分かるでしょう?」


「宿を取りたいんだろう?」


「そうだね。古傷が痛むから、出来ればそうしたいところ」


 淡々とした口調で青年の言葉に同意しながら、少女は自分の左胸にそっと手を当てる。


「恋の痛みか?」


「そんなロマンチックなものじゃないね」


 青年のジョークに対しても、少女の反応は冷ややかである。軽い気持ちで冗談を言ったことを後悔したのか、青年は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、


「……村の奥、小高い丘の上に、俺も世話になってる教会がある。建物自体が古いんで、お世辞にも快適とは言い難いが。そこの責任者をしている修道女シスターなら、快く受け入れてくれるはずだ」


「その言葉を、信ずるに値するものは?」


「ない。だから、裏切られたと思ったら遠慮なく俺の首を刎ねてくれて構わない」


「……だって。どうしたものかな、マルコシアス」


 少女がマルコシアスに尋ねると、マルコシアスは尻尾を振りながら少女を見つめ返した。


「"少なくとも嘘は言ってない"──なるほど、彼を信用しても良いってことだね」


 少女はマルコシアスの頭を優しく撫でると、青年の方へと向き直りながら、


「お言葉に甘えて、暫くの間お世話になろうかな。ええと……」


「──シェイドだ。今はこの村で、自警団の真似事をやってる」


「そう。私はセラフィナ……"彼女"は相棒のマルコシアス。宜しくね、シェイド」


「ああ──こちらこそ」


 セラフィナが差し出した小さな手を、シェイドはそっと握り返した。その手は華奢で、少しでも力を加えたら壊れてしまいそうな──そんな儚さを、彼女の手から否応なしに感じさせられた。


「それじゃあ──案内をお願いしてもいいかな?」


「あぁ──お任せあれ」


 小高い丘の上に聳え立つ教会へと向かう二人と一匹──家々の窓や扉の陰から、村人たちが血走った目で彼らの後ろ姿をじっと見つめていた。











 セラフィナたちが教会の中に入ると、聖教会の修道服を身に纏った二十代半ばと思われる女性が、柔和な笑みを浮かべながら出迎えた。


「戻ったよ、シスター」


「お帰りなさい、シェイドさん──あら、そちらのお嬢さんは?」


 シスターが尋ねると、シェイドが答えるより前にセラフィナが動いた。


「初めまして、シスター。ハルモニア帝国、グノーシス辺境伯領より参りました。旅人のセラフィナ・フォン・グノーシスと申します」


 スカートの裾を軽くつまみ、白いストッキングに包まれた細い両脚を優雅に交差させながら、セラフィナは恭しく頭を下げる。


「あら、これはご丁寧にどうも……ふふっ」


「……どうか、なさいましたか?」


「いえ……随分と可愛らしい旅人さんだなと思って」


 口元を手で隠しながら、シスターはころころと鈴の音のような声で笑う。


「立ち話も何ですし……どうぞ、こちらへ」


 シスターはセラフィナの手を取ると、礼拝堂の奥にある院長室へと彼女を招き入れた。必要最低限のものしか備わっておらず、一言で言い表すならば"清貧"という言葉が良く似合う、やや殺風景な部屋であった。


「それで──このような寂れた場所に、セラフィナさんはどのようなご用件があって参られたのですか?」


 来客用のソファーにセラフィナを座らせると、対面のソファーに腰掛けながら、シスターは穏やかな声音で彼女に問い掛けた。


「いえ、特には……昔の古傷が痛むので、宿を取って暫し休もうと思いまして。異教徒の言うことですから、にわかには信じて頂けないでしょうが……少しの間、こちらで厄介になっても宜しいでしょうか」


 良い返事は期待出来ないだろうと思いつつ、セラフィナはシスターの返事を待つ。村人は話し掛けただけで拒絶反応を示した。それが異教徒に対する、聖教徒の普通の反応だ。況してや聖職者である彼女が、異教徒である自分を受け入れてくれるはずがない。セラフィナはそう高を括っていた。


 ところが、シスターからの返答は意外なものだった。


「──構いませんよ、寧ろ大歓迎です」


「……宜しいのですか? 異教徒の私を受け入れて」


 セラフィナが問うと、シスターは頷きながら、


「信ずる神は違えど、私たちは同じ"人"です。困っている人に手を差し伸べることこそ、神に仕える者の本懐。大したおもてなしも出来ませんが、傷が癒えるまでの間、どうかごゆっくりしていって下さい」


「……ありがとう、御座います」


「いえいえ。では、私はセラフィナさんの分のベッドを用意してきますので──セラフィナさんは、そちらのソファーで少しお休みになって下さい。夕食の時間になったら、起こしに伺います」


 シスターはタオルケットを棚から出すと、そっとセラフィナに手渡した。ソファーは少し古びていたが、頑丈な造りをしており、小柄で痩せ型なセラフィナが横になった程度では軋むことすらなさそうだ。


「分かりました……お言葉に甘えて、少し休ませて頂きます」


 セラフィナが再度頭を下げると、シスターは心做しか軽やかな足取りで院長室から退室して行った。


「……な? 快く受け入れてもらえただろ?」


 シェイドの言葉に、セラフィナは小さく頷いた。


「うん──聖教会の支配地域に入って、初めて優しい人に出会えた気がするよ」


「何だ、俺が初めてじゃないのか……」


「冗談だよ、シェイド。そんな不貞腐れないで。君には、本当に感謝してる」


「……無表情な所為で、全然冗談に見えないんだよなぁ」


 表情が一切変わらぬセラフィナの顔を見つめ、シェイドは大きな溜め息を一つ吐いた。


「……にしても、セラフィナ・フォン・グノーシスか。まさかハルモニアの地方貴族のご令嬢だとは、思わなかったな」


「そう?」


「しかも、グノーシスと言えばあれだろ? 聖教騎士団の中でも最強と謳われた"剣聖"アレスが、ハルモニアに亡命してから名乗り始めた姓だろ?」


「そうだね」


 "剣聖"アレス・フォン・グノーシス。聖教徒で、その名を知らぬ者はいない。否、異教徒でさえも知らぬ者はいないだろう。


 崩壊の砂時計が出現して間もなく、聖教会と異教徒勢力との間に大規模な戦争が勃発した。その戦争は、聖教会の側には天使たちが、ハルモニアを筆頭とする異教徒勢力の側には魔族たちがそれぞれ助力しており、対立する天魔両勢力の代理戦争の側面も有していた。


 アレスは聖教会側の最強戦力であり、数多の異教徒や魔族を卓越した身体能力と剣技で以て斬り捨てた"剣聖"である。


 異教徒側の最強戦力──"死天衆"と呼ばれる、魔族たちを束ねる五人の堕天使たちの総攻撃を受けて敗れるまでは、聖教徒たちにとっての希望であり、異教徒たちにとっての絶望だった男だ。


 戦争は結局、死天衆の参戦によって異教徒勢力の勝利に終わり、聖教徒たちは"アレスが本気で戦わなかったから負けたのだ"と彼を非難し、反対に異教徒たちは"若し死天衆たちがいなかったら、危うくアレス一人の前に敗れ去るところだった"と彼を畏怖した。


「後に、ハルモニアへと亡命したとは聞いていたが──彼に娘がいたのは驚きだな。聖教騎士団にいた頃の彼は寡黙で禁欲的な男だったと聞いているから、意外だった」


「養女だから、血の繋がりはないけどね。でもあの人は、私を本当の娘のように愛し、育ててくれた。こうして今の私があるのは、全部あの人のお陰なんだ」


 セラフィナは遠くを見つめながら、何処か懐かしそうに目を細めた。左胸に手を当てており、心做しか少し呼吸が浅くなっているような気がした。古傷が痛むと言っていたが、左胸に件の傷があるのだろうか。


「……大丈夫か?」


「……大丈夫、とは言い難いね。どんどん、痛くなってる」


「そうか。長話に付き合わせてしまって、悪かったな」


「良いよ、別に。死にはしないから」


 痛みを堪えているのか、セラフィナは左胸を手で押さえたまま、何度か深呼吸を繰り返す。彼女の吐息だろうか、セラフィナが深呼吸をする度、院長室内に仄かに甘い匂いが漂った。


「……少し寝るか?」


「……うん。そうさせて、もらおうかな」


「分かった。じゃあ、また夕食で」


 シェイドは軽く右手を挙げながら、院長室を後にする。


「……弱ったな。夜が一番"辛い"んだけどな……」


 静かになった院長室の中に、セラフィナの声だけが微かに響く。


「でも……そうだね。少し寝るのも、良いのかもしれない」


 セラフィナは黒のブーツを脱ぐと足元に揃え、そっとソファーに横たわった。そのままシスターの用意してくれたタオルケットを被り、眠りに落ちることが出来るよう祈りながら、静かに目を閉じた。


「──おやすみ。どうか、安らかに……」


 そう呟くと共に、セラフィナの意識は少しずつ、闇に呑まれていった。

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