2124年5月、カフェ・ロアールにて

5月15日15時、カフェ・ロアールのテラス席はずっと前から予約されていた。


正確にいうと、流石に3年後の席の予約は難しそうだったので、キャロルが予定の半月前に店に電話をかけることになっていた。万が一にも店が潰れた時に備えて、他の喫茶店を第5候補まで想定していたが、この街で最も居心地が良く、海に面した美しい風景を一望できるテラス席を備えるカフェ・ロアールは常にそこに在りつづけてくれたので、問題なかった。ベルとキャロルは14時47分に店の目の前で再会した。お互いの全身を視界に入れた瞬間、いくつかの変わらなかったこと、変わったことについてはすぐに答え合わせができた。変わらなかったことは、待ち合わせ時間には余裕を持って到着しておく性質。変わったことは、服と化粧の趣味。昔は二人とも黒のスーツパンツしか知らなかったが、ベルは若葉色のシフォンスカートを、キャロルは暗めの茶色のデニムパンツを選んでいた。どうやら、今から始まる「報告会」は実りのある時間になるようだ……と、それぞれが改めて確信した。思考方針は脳髄にあたる基盤の変わりにくい部分に書き込まれたものなので、2体の株分け生体アンドロイドは、お互いの確信が手に取るようにわかった。服装は変わっていても、カバンの中に必ずタオル地のハンカチを入っているなど、持ち物のラインナップもほぼ同じであろうということも、もちろんわかった。


テラス席にはすでに先客がいた。その女性は相変わらず黒のパンツスーツで、化粧っ気が無く、ベルとキャロルよりもかなり年嵩である。彼女は両手を大きく広げた。

「おお、見違えたなぁ、私の成果物たち。素晴らしい!」

「「お久しぶり、アリス」」

2人は創造主に抱きしめられながら返事をした。天才工学家であるアリスに「発明」されてから3年目の再会だった。


アリスは54歳の時、時間軸に関する研究について脳細胞をうろうろと漂わせていた。過去や未来といった概念に想いを巡らせるうち、ふと、自分自身にかつて備えられていた可能性が永遠に失われていることに気付いた。それは彼女がサイエンスに没頭する時間と、若さと青春とを引き換えたということだった。アリスは急にそれらが惜しくなり、3ヶ月後にはベルとキャロルを造っていた。19歳の自分をそっくりトレースした生体アンドロイド。アリスはベルとキャロルに——若い頃の自分自身たちに、「楽しく生きるように」ということと、「3年後に再会すること」を命じた。若い頃の苦労は買ってでもしろという某国の格言を思い出したので、わずかな金銭のみを持たせてバラバラの街に放逐した。


「あれから大変だったかしら」

アリスの問いかけに、ベルとキャロルは顔を見合わせて笑った。

「それはもう」

「お金も無いし、何か心にぽっかり穴が空いたみたいな気持ちになって、とても辛かった」

2体を製造するとき、アリスは今なお激しく燃焼し続けるサイエンスへの気持ちは丁寧に濾過した。その激情の砂つぶ1つでも残したままにすれば、オリジナルと同一の人生を歩んでしまうのはほぼ確実と言えた。アリスは二人の回答に納得して頷き、今は何をしているの、と質問した。

「アパレルショップの店員をしてるのよ。最初の街にファッションストリートがあって、古着屋さんでアルバイトを始めた。そこで、私、意外と自分は明るい色の服が似合うってこと気付いたの。それに、お客さんに似合う服をオススメするのが楽しかった。ちょっと前に新しいお店を同僚と一緒に立ち上げたところ。このスカートもそのお店のものなの」ベルはシフォンスカートをつまんでみせた。

「私が置いてかれた街には音楽大学があって、そのせいか楽器店が多かった。私もまずはアルバイトから。楽器なんて何にも知らなかったけど、仕事をしてるうちにやってみたくなって、店長が譲ってくれたアコースティックギターを弾き始めた。性に合ってたみたいで、結構上達したの。時々頼まれて、夜のカフェで弾き語りライブとかもしてるのよ」キャロルはカバンから端末を取り出すと、ホログラフを再生した。中空で小さなキャロルがギターを爪弾いている。やや古い年代のバラードのナンバーを歌い上げる伸びやかな声が、カフェのテラス席を満たした。


初夏の海風がアリスのパサついた髪を揺らしたとき、その両眼から涙が溢れて、皺の刻まれた頬を伝った。二体のアンドロイドは創造主の様子を静かに見つめた。アリスの唇は堅く引き結ばれていたが、二度ほど呼吸を整えた後、ゆっくり言葉を紡いだ。

「あなたたちは、とても素敵な生活をしているのね……」

はらはらと泣き続ける初老の女を、年若い娘たちは、両側からそっと抱きしめた。アリスは娘たちの手に自らの手を重ねた。すると、滑らかな皮膚の上にカサついた指先がひっかかった。その手触りを痛感して、さらに涙が止まらなくなった。アリスは嗚咽しながら、さらに掻き抱くようにしてベルとキャロルの肩に腕を回した。その手は肩を撫で、うなじに向かい、襟足の奥にむかって指が這った。

「ねえ、お願い、アリス。それは止めて」

アリスは指を止めた。二対の生体アンドロイドの後頭部、盆の窪に位置する部分に埋め込まれた停止スイッチには、あと数センチ届かない。一方で、ベルとキャロルが押し当ててくる銃口の冷たさは、はっきりとジャケットの布越しに感じ取れた。

「私たちにあなたを撃たせないで」

ゆっくりとアリスは二人の後頭部から手を遠ざけ、そのままゆるく挙げ、降伏を表現した。ベルとキャロルの手にある銃口は、そのままアリスの腹部をとらえている。


「あなたが私たちの記憶領域を奪りにくるだろうということはわかってた」ベルがつぶやいた。

「だから対策しておいた」キャロルは手首のスナップを効かせて銃をアピールした。「分かるわよね? だってあなたも同じ立場なら、同じようにするはず」

春風がテラスに吹き込んでくる。アリスは深く息を吸って吐いたが、涙は止まらなかった。


「ねえ、アリス。記憶を追体験したところで、それはあなたではない。すべて私たちの選択で進んでいくものを体感したって、つまらないわよ。私はあなたアリスにはなれないし、ベルにもなれない」

「同じように、私もあなたアリスにはなれないし、キャロルにもなれない。代わりに、あなたには私たちには無い素晴らしい経験を既に得ている。だから私たちがここにいる」


顔立ちは双子のようなのに、まるきり違う装いのベルとキャロルは、ゆるく挙がっていたアリスの手を片方ずつ握りしめた。その代わり、二挺の銃はテーブルにそっと置かれた。

「あなたは、私たちにとって母親みたいなものなの。突然放逐された直後は、恨まなかったと言えば嘘になる。けど、たくさん良い経験ができた今は、感謝してる」

「サイエンス以外の道を辿った、もしもの世界を知りたかったのよね。そして私たちは辿り着いた。でも、それらを映画を観るのと似たような電子体験で消費するなんて、勿体無いわ。私たちが楽しいと思っているということは、あなたも同じ体験を楽しめる、ということよ」

アリスは涙が止まらないまま、どういうこと? と尋ねた。そのか細い声は海風の音に混じって消え入りそうだったが、二人の娘はしっかりと聞いており、お互い顔を見合わせてイタズラっぽく微笑んだ。


「洋服屋に行って新しい服を見繕って」ベルが言い、

「楽器屋に行って気になる楽器を買うの」キャロルが言った。


「そんなの、今更始めたって……、何にもならないわ。だって、ほら、もうあなたたちとは違うの」アリスは自分自身の手を見つめた。シワがよって、乾燥した皮膚で覆われた老婆の手。「若くないの。いい歳なのよ」

「アリス、あなた昔から常日頃言ってきたじゃない、『成果に年齢と性別は関係ありません』って。歳をとって、弱気になっているだけよ」

「ねえ、ベル。善は急げっていうじゃない? あなたのお店ってここからどれくらい?」

「タクシーで行けばそんなにかからないわ」


二人はゆっくり立ち上がった。手を握られていた老女も自然と椅子から身体が離れた。二人それぞれの空いた手は、テーブルの上の銃を掴み、テラスの柵の向こうに広がる海に向かって勢いよく投げた。銃は空中に放物線を描くと、僅かな飛沫をあげて海中に沈んでいった。

「どうして捨ててしまったの? 私はまた隙を見て、あなたたちをシャットダウンしようとするかもしれないのよ?」

「ふふ、アリス、私たちは、そんな心配はしてないわ」

「だって、素敵な出来事への案内人を殺すほど、あなたは愚かではないということは、私たちが一番よく知っているもの」

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