第38話 ボーイソプラノ

「うん、いってない!」

 明るく断言する御木元に、ハルユキは呆れた。

「いや、いったろ?男でこの声はきしょいのは事実だからさ、もういいよ」

 そうだ、この声がきしょいのは自分がいちばんよく知っている。いちばん長く知っている。

「いってないよ?」

 御木元はあくまで自信を持って繰り返す。

 城ヶ崎は2人のあいだでおろおろするばかりだ。

「いやいや、教室でさ、この声聞いたとき……」

「違うよ」

 御木元はため息交じりにいった。

「わたしがきしょいっていったのは、声じゃなくて瀬下くんのことだよ」

 ああ、そうかと、納得がいくわけがない。

 しかし怒り出すには、御木元の言い方はあまりにもストレートで、あっけらかんとし過ぎていた。

「おまえ……」

「わたしがきしょいっていったのはね」

 当惑して力なく発されたハルユキの言葉を、御木元がさえぎる。

「そんなこと気にしてウジウジしてるのがきしょいっていったの」

 椅子の背にしがみついている城ヶ崎はもう泣きそうな顔をしている。

「瀬下くん、よく通るきれいな声じゃん。他の男子が、いいえ女子だって出せないくらい高い音域出せるじゃん。誰になにいわれたのか知らないけど、そんなの気にしてるなんて、きしょいよ」

 城ヶ崎がなにかに気づいたように、顔を上げた。

「この声だぞ?」

「知ってるよ。さっきも城ヶ崎さんを応援してるの聞いたもん」

「男でこの声って、変だろ」

「さっきもいったけど、誰になにいわれたのかは知らないわよ。でも、それって高校に入ってから?うちのクラスでそんなこといわれた?瀬下くんがそう思い込んでるだけじゃない?

 もしそんなこという奴がいたとしても、そんな連中のことなんて無視して、自分のことは自分で決めればいいのよ」

 まるで自分に言い聞かせるように、御木元はいった。

「わたし、そういう人知ってる……」

 椅子の背で顔を半分隠すようにして城ヶ崎が口を開いた。

「中学時代の嫌なことを、全部断ち切ろうとしてて、すごくがんばってて。その人見てると、わたしもがんばろうって思えて。でも、瀬下くんにもいっぱい助けてもらって、瀬下くんの声きれいだと思ってて、だから瀬下くんにもがんばってほしくて……。ごめん、なにいってるかわかんない……」

 いいながら、城ヶ崎は真っ赤になった顔を椅子の背に沈めていった。

——コイツらは、なにをいってるんだ?

 きしょくないのか、オレの声は?

 きれいな声だとは、まるで思えない。

 だけど音楽科の半田がいっていたように、おもしろい楽器と思っていいのか?

 オレは、この声でいいのか?

「来年……」と、ハルユキはつぶやくようにいった。「来年、おまえたちと同じクラスになったら、今度はちゃんと歌うよ」

 それを聞いた城ヶ崎が顔を上げた。

「ほんとに?」

「ああ」

 いますぐに、というのは無理かも知れない。

 だけどゆっくり、少しずつなら、出来るかも知れない。

「その代わり、来年も城ヶ崎がボード描いてくれ」

 城ヶ崎は驚いたように目を見開いたが、すぐうれしそうに「うん」と応えた。

「わたしは?わたしもなにかする?」

「御木元は、そうだな、生徒会長にでもなってくれ」

「わたしの扱い雑じゃない?」

 御木元は頬をふくらませた。

 来年、3人が同じクラスになるかどうかはわからない。確率的には、その可能性は低いだろう。

 しかしそうならなくても、城ヶ崎はボードをまかされそうな気がする。あれだけの絵を見せつけられては、新しいクラスも放っておかないだろう。

——それなら、コンクールに出せとかいった方がよかったかな?

「じゃあ、生徒会長になって合唱祭復活させようかな」

「え?」

「半田先生、合唱祭復活させたいっていってたから、わたしが生徒会長になったら復活させる。瀬下くん、3人が同じクラスになったら合唱祭でもちゃんと歌ってね」

「いや、それは……」

「さっき歌うっていったじゃん」

「いったけど……」

「体育祭だけとはいわなかったよ。ね、城ヶ崎さん」

「うん……」

——城ヶ崎まで!

 ハルユキははめられた気分だったが、「歌う」といったのは自分だ。

「わたしも、来年またボード描くから。今度は自分から描きたいっていうから」

 すがりつくようにパイプ椅子の背を握りしめる城ヶ崎の指先は、力が込められて真っ白になっていた。

 その様子を見せられては、断れない。

 約束は約束だ。

 しかしハルユキは、自分がその約束を守らないだろうとも知っていた。

 もし城ヶ崎が絵を描き、御木元が合唱祭を復活させるなら、3人が同じクラスにならなくても、ハルユキはボーイソプラノとして歌を歌うだろう。

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ボーイソプラノ @wadadawa

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