第3話
義姉の恵梨香の死体が発見されたのは、それから数週間が経過した頃だった。
秩父の山中に埋められていたところを野生動物に掘り返されており、偶然山道を外れた登山客によって見つけられたらしい。
死因は脳挫傷。頭を強く殴られた形跡が見られたという。衝動的な殺意による殺人の可能性が高い、という警察の見解が報道されていた。京子はリビングのソファに座り、学校帰りの千佳の身体を抱きしめながら、テレビの画面を食い入るように見つめていた。
身体の奥から湧き上がってくる震えを抑えることができなかった。
見つかってしまったのだ。
「ママ、痛いよぉ」
強く抱きしめてしまったせいか、腕の中にいた千佳が苦しそうな声を出した。
「……ごめん、千佳。もう少しだけ、このままで居させて……」
娘の身体を抱き締めても、京子の震えは止まらなかった。
「……ママ、大丈夫?」
小さな手が、京子の身体をさする。
「……大丈夫だよ。ママは、千佳が居れば頑張れるんだから……」
恵梨香のニュースが報道されるようになってからの数日、まともに眠れてもいなかった。目を閉じれば、最悪の未来を想像してしまう。全てが明らかになり、千佳と引き離されてしまう未来が。
「ママ、おうたを歌ってあげようか?」
千佳の声が京子の耳元で囁いた。優しい子だ。
京子に元気が無いことを察すると、すぐに側へ近寄ってきてくれる。
千佳は京子にとって唯一の味方だった。
「……うん、お願い。歌って。ママ、千佳のおうたを聴くと、元気が出るんだ」
京子がそういうと、千佳はニッコリと笑った。そして囁くような声で歌い始めた。
「これはジャックのたてた家……
これはジャックのたてた家に住む千佳…」
ジャックのたてた家。
百恵が千佳に教え込んだ、英国のナーサリーライムズ。
正直、京子はこの曲にあまり良い印象を抱いてはいなかった。だが、千佳が歌ってくれているのだと思えば話は別だ。
どうやらその歌詞は、原曲を真似て千佳が作ったオリジナルのようだ。
直前の一節にフレーズを継ぎ足して、連なるように歌詞が長くなっていく。
「これはジャックのたてた家に住む千佳を叩くおばあちゃん……
これはジャックのたてた家に住む千佳を叩くおばあちゃんの口を塞いだママ……」
途中までゆったりと目を閉じてその歌に耳を傾けていた京子は、不意にギョッとして腕の中にいる千佳の顔を見つめた。
「これはジャックのたてた家に住む千佳を叩くおばあちゃんの口を塞いだママを脅したおばちゃん……
これはジャックのたてた家に住む千佳を叩くおばあちゃんの口を塞いだママを脅したおばちゃんを殺したママ……」
「やめてっ!!」
京子は、千佳の身体を思わず突き飛ばした。
「なんで、なんでそんな事を言うの!?」
突き飛ばされて床に突っ伏した千佳は、ゆっくりと京子の方に向き直った。
濡れた黒い瞳が、京子を見つめている。
「違う、違うの。ママは……悪くない。いっぱい我慢したの。だから、しょうがないんだよ。悪くないもの。私は……」
それ以上、言葉が出てこなかった。
口をパクパクと動かしながら、京子はゆっくりと千佳の方へと近寄っていく。
床にお尻をついた千佳が、少し後退りをしたのがわかった。
「……なんで逃げるの」
目の前にいる千佳の顔が、くしゃりと歪んでいくのがわかった。
泣こうとしているのだろうか。
こんなに苦しい私を放って、自分だけ。
「……千佳の為なんだよ、全部。だって、ママが居なくなっちゃったら、千佳は一人になっちゃうよ。ママも一人になっちゃう。ダメだよ、そんなの」
京子は腕を伸ばした。
捕まえなければ。
遠くに行かないように。
だって千佳は、大切な娘なのだから。
襟首を掴もうとした京子の手を擦り抜けるように、千佳は床の上を転がった。
タタタッと駆ける音がして、千佳が逃げていった事がわかる。
足音がする方を追いかけながら、京子は義姉の恵梨香がこの家を訪れた時のことを思い出していた。
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