中・中編

それからも、梨愛は度々真司に声をかけてきた。

そして、そのどれもが他愛もないものだった。

隣の囚人の寝言がうるさいとか、最近出される食事に嫌いな物が多いから何とかしろとか、そんな感じであった。


そして、真司はその都度、適当に対処した。

こいつはいずれ死ぬのだ。

真面目に相手する必要なんかない。

そもそも、前も梨愛自身に話した通り、本来は囚人と必要以上に関わるのは禁止されている。

その点、今の自分は寧ろ、彼女に構い過ぎなほど構ってやっている。

悪人の、罪人の、彼女に。




…悪人?

真司は、俄に疑問を抱いた。

だが、深くは考えなかった。

その代わり、彼女に尋ねた。

「240番」


「…珍しいね、あんたから声かけてくるなんて」


「一つ、聞きたい事がある」


「なに?」


「お前は、なんで罪を犯したんだ?」


「何?この前の逆のシチュエーション?」


「…いいから答えろ」


「…ふー」

莉愛は、ため息をついて話しだした。


「あんたはさ、この社会で生きることをどう思ってる?」


「生きること…?」


「そう。生きてて楽しいとか、つまんないとか。どう思ってる?」


「俺は…」


「まあ、上手く言えないと思うけどさ。たぶん、それなりに楽しいと思ってるよね。…だって、あんたの顔、いつも明るいもん」


「明るくなんかない」


「ううん。あんたはいつも、楽しそうにしてるよ。…私、今までに何度も本当に暗い顔をしてる人を見てきたから、わかるんだよね」


そして、梨愛は続けた。

「私は、生きるのが楽しいと思ってた。

ずっと、人生を楽しみたいと思ってた。

でも、それはどうしても出来なかった。

生きてく目的も、楽しみも…私は、何も見つけられなかった。ただ…それだけ」


「…」


休憩室の窓から見える桜は、五分咲きだった。





それからちょうど10日を数えた日の夕方、真司は所長室に呼び出された。


「失礼します」


「来たか、真司」

いつもはだるそうな顔をし、よくあくびをしている所長は、珍しく真剣な顔をしていた。


「どうした?怪訝な顔をして。…まあ、無理もないか。自分で言うのもなんだが、私が真面目な表情をするのは珍しいことだからな。

勿論、相応の理由がある」


真司は、無言で所長を見つめた。


「お前には、大事な仕事をしてもらうことになった。うちの拘置所には、刑場がある。…知っているな?」


「はい。…もしかして」


「そのもしかしてだ。2日後、240番の死刑を執行する。お前には、そのボタンを押してもらう」


「…」

真司は、息を呑んだ。


「お前に担当してもらうのは、初めてだな。これは、とても重要かつ重大な役割だ。だが…わかっているな。今までに経験したことがないほど、きつい仕事だ。…頼むぞ」


「はい…」



無人の休憩室に、真司は一人荷物を取るために戻った。

その窓から見える桜は、満開だった。






帰宅後、真司は一人考えた。

それは、他ならぬ梨愛の事であった。



彼女は凶悪犯だ。それは間違いない。

そして、彼女が死刑囚である以上、刑務官である自分が彼女の死に向き合うのは必然だ。

だが、自分は彼女を殺したいと思っているのだろうか?

自分は、彼女を憎んでいるのだろうか?

彼女は、自分をどう思っているのだろうか?


梨愛は、誰に対しても態度を変えない。

そして、一際真司に声をかけてくる。

今日も、外へ買い物に行きたいと彼にごねたばかりである。


色々言いつつも、結果的にはいつも笑っている梨愛。

そんな彼女を殺すのが、自分の役目。

だが、それは自分が本当に望んだことなのだろうか?


真司は子供の頃から、悪者を退治する正義の味方に憧れていた。

だが、成長していくに連れ、絵に書いたような悪人はテレビの中にしかいないのだと理解し、普通の人間として生きるようになった。


それから時が経ち、真司は大学に進学した。

だが、2年生の時に父親が急逝した事で、一気に金銭的余裕がなくなり、中退せざるを得なくなった。


そして真司は大学を中退した後、この仕事に就いた。

理由は至って単純、犯罪者を…

現実の悪者を、裁きたかったからだ。

だが、今はその考えや概念、根本的思考にすら疑問を感じる。


本当に、これは必要なことなのか?

自分に、人を裁く資格があるのか?

何より、悪人は本当に悪人なのか?


そして、今…

自分には、梨愛がどう見えているのだろう?


それら一連の疑問について、真司は答えを出せなかった。

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