中・後編
午前8時55分。
真司は、梨愛の独房へやってきた。
彼女は、真司の姿に気づくとすぐ、
「あ、来た来た。ね、前頼んだ本持ってきてくれた?」
と、にこやかに話しかけてきた。
そんな彼女を見て、真司は複雑な気持になった。
…だが、彼は自身の心を無理に押し殺して言った。
「…この前聞かれた質問、答えてやる」
「へえ?」
梨愛は、質問する子供のような顔をした。
「俺はな…昔から、お前みたいな悪人を、殺して裁きたいと思ってた。だから、この職についた。
でも…お前の事は、殺したいとも悪人だとも思えないんだ、莉愛。
けどな、お前が殺した人間、お前を殺したいと思ってる人間が、どこかにいるのは事実だ。
だから、俺はボタンを押す。
…午前9時00分。240番、出房だ」
出房から刑場に着くまでの間、梨愛は一言も喋らなかった。
だが、その表情はどこか憂いを秘めていた。
刑場の入口で、真司は所長を始めとした数人の看守に梨愛の身を引き渡し、離れた。
所長は梨愛の身柄を確保すると、言った。
「240番、鹿口莉愛。これより、死刑を執り行う。…最後に、言い残す事はあるか?」
「はあ…」
梨愛は、ため息をついた。
それに、周囲は俄に驚いた。
彼女が、笑顔以外に表情を変えるのを見たことがある者はほとんどいなかった。
「なら…そうね。一つだけ、言わせてもらえる?」
「…何だ。言ってくれ」
莉愛は、悲しげな顔で言った。
「私も、ここにいる人達みたいな生き方をしてみたかったなー…なんてね」
「どういう意味だ」
「そのまんま。私は社会にも、どこにも受け入れてもらえなかった。何のために生きてるのか、自分でもわからなかった。
だから人を殺して、社会に復讐しようと考えた。
自分が何者なのか、答えを見つけてもらおうとした。
でも、そんなの無駄だった。
こんな事言うのもなんだけどさ…私、今になって色々後悔してる。
理由は知らない…というか、もうどうでもいいんだけど、私は普通に生きてく事は出来なかった。
だから、ここにいる看守さん達が…普通に生きていける人が、羨ましい。
私も、みんなみたいに生きれたらよかったなあ…ってね」
所長は、その言葉に反応することなく、梨愛を執行台へと歩かせた。
彼は言葉にこそ出さなかったが、とても驚いていた。
多くの囚人は、最後の最後で生への執着を見せ、泣き叫び、暴れるからだ。
だが、彼女は決して、暴れたりなどしなかった。
寧ろ、とても冷静かつ素直で…
かと言って、彼女は生への執着がゼロな訳では無い。
言葉にはしないが、きっとまだ生きたいと思っているだろう。
―最期は潔く、といったところか。
凶悪な悪人でも、そのような美学的な考えを持つのか。
いや、そのような囚人は珍しくもないが、最期に足掻かない囚人を見るのは彼女が初めてだ。
所長は、一瞬のうちにとても悩んだ。
出来る事なら、彼女に人生をやり直させたい。
だが、それは我々には出来ない。
彼女は、どこで道を間違えたのだろう。
神は、人をどう思っているのだろう。
所長は一人驚嘆し、そして葛藤した。
彼は、壁際にある三つのボタンのうちの真ん中に手を伸ばしていた。
残りの二つも、それぞれに看守が手をかける。
このボタンのうちのどれか一つが、執行台の足元の踏み板に繋がっているのだが、どれかはわからない。
だが…自分のこのボタンが、そうであるような気がした。
真司は、梨愛が顔に白い布を被せられ、首に縄をかけられるまでの一部始終を全て見ていた。
別に、見たかったのではない。
寧ろ、目を背けたかった。
人を、自らの手で殺すのだ。
体が、足が、がくがくと震える。
だが、どうしてか目を離せなかった。
「では、始めるぞ」
所長の声が響く。
そして真司は、指に神経を張り詰める。
その時、莉愛が叫んだ。
「待って!」
「何だ」
「真司は…真司はいる?」
その言葉を聞いて、真司は驚いた。
「…いようがいまいが、お前には関係ない!」
所長が言うが、梨愛は喚いた。
「大有りよ!私は、最期はあいつに…!」
真司は、思う所を押さえ、ボタンを押した。
窓から見える桜が、ちょうど散る時の事だった。
その後、真司は数多くの死刑囚の処刑に立ち会った。
それは、まさしく数え切れないほどだった。
そして、莉愛の処刑から40年後。
「…ご臨終です」
真司は、病室のベッドの上で静かに去っていった。
彼の死因は、脳梗塞。
桜の花の、散る時であった。
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