中・前編

それから数日後。

「ねえねえ、真司!」

今日もまた、明るい梨愛の声が響く。

そして、同時に真司のため息もまた。

「…何度言ったらわかるんだ、240番。看守を呼び捨てにするな」


「えー?別に良くない?」


「良い訳あるか。常識的に考えてあり得ないだろ」


「なんで?なんでそんな常識あんの?」

梨愛は昔から、既存の規則や風習に疑問を抱いたり、常識に疎い事がよくあり、納得のいかない事にはとことん従わなかったらしい。

「…俺が知るか。とにかく、ここにいる限り決まりは守れ」


「…はあ。頭固いんだから」




その翌朝、またも梨愛は真司を名前で呼んだ。

「今度は何だ、240番」


「今日、本借りれる日だったよね?新しい本読みたいんだけど」


「なんだ、そんなことか。何の本が欲しいんだ」


「んー…そうだね。何でもいいからさ、恋愛ものの本持ってきてくれる?」


「…わかった」


そうして真司が去ろうとした時、梨愛は彼を呼び止めた。

「まだ何かあるのか」


「私の執行日って、いつなの?」


「それはな…」


「それは?…あ、そういえば当日にしか教えないんだっけ」


「…」

真司が黙ると、梨愛は手を伸ばして真司を叩いてきた。

「ちょっとー、いつもみたく突っ込んでよ。せっかくボケたんだからさ」


「…お前らと過剰に関わる理由はない」


「なんでよ?」


「規則だからだ」


「またそれ?…はー、酷いもんだね。近々死ぬって奴、それも友達も家族もいなくて一人ぼっち…って奴の、ささやかな願いも聞いてくれないんだ」


「…いいから大人しくしてろ。それにお前らは囚人だ、そんな権利はない」


「ちぇー。あんたと仲良くなれば、死刑じゃなくなるかもー、とか思ってたのに。

…それに、やっぱりあんたなかなかいい男だしさ…ね?」


真司は、髪をたくし上げながら言った。

「…何を馬鹿な事を」


「馬鹿って酷いね。私にとっては、結構大事なことなんだよ?」


「…」

真司はもはや返事すらせず、独房を去った。




その3日後、またも梨愛は真司を呼んだ。

「今日は何だ」


「なんかさ、最近食事の時とかに、隣の独房の奴が色々言ってくるんだよね。何とかしてくれない?」


「何を言ってくるんだ?」


「なーんか?独り言がうるさいだとか、何だとかって…」


「それはお前の自業自得だろ」

梨愛はここに来た時から独り言を言う癖があり、いつも何かをブツブツと喋っている。

本人も認識はしているらしく、指摘を受けて声のボリュームを落としたりはしているが、それ自体をやめようとはしない。

真司は、彼女が障害持ちであることを事前に知らされていたので、ある程度の理解はしているつもりだが、それでも煩わしく感じる時はある。

そして、そう感じるのは真司だけではないのだ。


「私のこれはね…えっと、要は無意識行動なのよ」


「…。まあ俺はそこに口出しするつもりはないが、せめてボリュームをもっと落とせ」


「落としてるつもりなんだけどなあ…」


「…話はそれだけか?」


「あ、もう一つ!」


「何だ」


「あんたってさ…何で看守やってるの?」


真司が黙ると、梨愛は矢継ぎ早に喋りだした。

「何で気になるか、って言うとね、私は一つの仕事をろくに続けたことないんだよね。

まず、私は昔から友達が何故か出来なかったし、何をやっても続かないし、失敗ばっかりだったの。だから当然勉強とかも全然出来なくて、それで進路もすごい適当だったの。それで就職しても、何でか人間関係が上手くいかないし、ミスとか忘れ物ばっかりするしで、ろくに続けられなかったのよ。それで、あんたがここで10年だっけ?勤めてるって聞いて、それで…」


「…もういい!」

真司がうんざりしたように言うと、梨愛はやっと独演をやめた。


「で?あんたは結局、なんで看守やってるの?」

梨愛は気づいていないかもしれないが、以前とほぼ同じ質問だ。

彼女は定期的に同じことを話しているような気がする。


「…前も言ったはずだ。お前らと深く関わる理由はない」


真司の背中を、梨愛は名残惜しいような目で見た。

何気に、彼女が目つきを変えるのは珍しいことであった。




休憩室に戻った真司は、すぐに同僚につつかれた。

「おお、お帰り。楽しかったか?」


「は…?」


「とぼけんなって。お前、また240番と話してたんだろ?」


「何でそれを…」


「それくらい見当つくさ。もうお前らの噂は広まってるしな。他の囚人の話じゃ、梨愛はお前が好きなんじゃないか、なんて言われてるらしいぜ?」


梨愛が…自分を好き?

真司は、一瞬だが、奇妙な気持になった。





「…そんな訳ないだろ!」

思わず、大きな声を上げてしまった。

そんな彼に、同僚はからかい甲斐のあるやつだな、と言って笑った。


窓の外。

暗闇の中に、三分咲きの桜が月に照らされて微笑んでいた。

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