第7話 見つけた! それぞれの幸せの形


 今、私は移住後初めて日本に一時帰国している。

 移住後も私との仕事の関係を続けてくれたクライアントとの打ち合わせでスケジュールが埋め尽くされ、嬉しい悲鳴をあげている。


 家族も友人もまったくいない場所で自分のアイデンティティを見失いそうになったとき、馴染のクライアントからの仕事が支えとなってくれた。自分の能力を必要とされる喜びと達成感がなければ心を病んでいたかもしれない。本当にありがたかった。


 数週間前にクライアントから新しいプロジェクトの打診があった。プロジェクトの説明には強制ではないものの対面でのミーティングが望ましいと連絡を受けた際に私は二つ返事で対面でのミーティングを希望した。日頃の感謝を直接伝えるのに絶好の機会でもあったからだ。久しぶりに日本の友人にも会いたいし、日本でしか食べられないものも味わいたい。この一時帰国は渡りに船だった。


 新しいプロジェクトは私がこの仕事を始めたときからいつかは携わりたいと夢見ていた仕事で、今までの経験と努力が実を結んだとも言えるようなプロジェクトだった。プロジェクトの規模と責任の大きさに尻込みしそうになった私の背中をクライアントの一言が押してくれた。


「いつもと同じようにやれば大丈夫」


 今までの私の仕事の内容や品質を知っているクライアントからこの言葉をもらえることは光栄であり、その信頼を裏切らないようしなければと決意を新たにした。

 今からこのプロジェクトの始動が待ち切れない。


 打ち合わせや挨拶回りでスケジュールは埋め尽くされていたが、出張の最終日になってやっと時間ができた。明日には日本を離れ、移住先の北の国に帰る。残った時間を有意義に過ごそうと、私は街ブラを堪能することにした。


「やっぱり懐かしいなぁ」


 改札を出て駅前広場を見渡すと、自然と笑みが浮かぶ。

 移住する前に住んでいた街。相変わらず週末は人で賑わっている。


 人の波に流されて駅前のアーケードへと進むと、懐かしい店たちが出迎えてくれる。

 あの喫茶店のコーヒーは今も私好みの味だろうか、あの雑貨屋の主人は今日もニコニコしながらレジの奥に座っているのだろうか。あの頃の記憶が鮮やかに蘇る。


 懐かしい店と再会できる嬉しさもあれば、思い出の詰まった店がなくなっていたりもする。何度も足を運んだ焼肉屋がなくなっていたり、待ち合わせ場所として重宝していた本屋が閉店していたりする。時の移り変わりを実感して少し寂しい気持ちもあるが、新しい店がこの街に溶け込んでいるのを見ると失うばかりではないことに気づく。


 そんな思いを巡らせながらアーケードを進んでいくと、遠くに見慣れた人影を見つけて私は立ち止まった。

 その人影は別々の道を歩むと決めて別れたカレだった。


 隣には可愛らしい女性。そしてカレの腕の中ではカレによく似た小さな女の子がウトウトと眠っている。暖かい春風と少し眩しい日差しがまるで彼らの幸せを祝福しているようだった。


 カレは望んでいたものを手に入れたのだ。


 隣を歩く女性と腕の中の女の子に幸せそうに微笑むカレ。


「よかった」

 私は小さく呟いた。


 この言葉が自然と出てきたのには自分でも驚いた。別れたカレが自分より幸せだったら悪態の一つでも吐くだろうと思っていたからだ。今、私はカレが望んだ幸せを見せつけられている。それでも悔しいとか羨ましいと思わないのは私も自分が望んだ幸せを手に入れているからだろう。


 カレは私に気づくことなくすれ違い、遠ざかってゆく。

 あの別れはちゃんと実を結んでいた。あの痛みと苦しみは無駄ではなかった。


 カレは願っていた幸せにたどり着いた。

 私はありのままの自分でいられる場所を見つけ、夢だった仕事を掴んだ。


 今、カレと私が幸せに笑っていられるのは、あの時に痛みを恐れず別々の道を選んだから。


 私の生き方を「間違いだらけ」と言う人は多いだろう。

 結婚を選ばない、子供を産むことを選ばない、それは誰かの言葉を借りれば「生産性がない」と非難される選択。それでも、選んだ私が正解だと思えばそれが正解。


 自分の幸せは自分で決めていい。私の生き方に文句を言う人たちが私の人生の責任を取ってくれるわけじゃない。自分で選ぼうが人が選んだものに従おうが、最終的にすべての結果を引き受けなければならないのは自分自身。だったら私は人が選んだ道で失敗するより自分で選んだ道で勝負したい。


 私は結婚不適合者。そしてほんの少し社会不適合者。

 社会に合わせるのではなく、私に合う社会を探して飛び出した無鉄砲者。


 かつての私と同じように他人の価値観に飲み込まれ自分を見失いそうになって苦しんでいる人が一人でも多く自分の幸せな居場所を見つけられることを私は願わずにはいられない。


 そんな思いを抱きながら私はカレが通り過ぎたアーケードを再び歩き始めた。


 ――さあ、家に帰ろう。


 そう思ったときに頭に浮かんだのは、ここから遥か遠くの北欧の街。あの地で今回のプロジェクトを心待ちにしている仕事仲間やお隣の暖かい老夫婦の顔が浮かぶ。

 ああ、私の帰る場所はあそこなのだ。心がありのままでいられる居場所はあそこなのだ。


 暖かい春風が、頬を撫でる。その風は、私を応援してくれているように背中を押してくれていた。


 End

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おしどり夫婦から結婚不適合者が生まれました(改訂版) 蒼井アリス @kaoruholly

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