メガネガ

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メガネガ

「今からこのメガネがクトゥルーであることを証明します」


 めがねさんの宣言に僕はふんとうなった。早朝那古野駅の金時計広場だ。待ち合わせによく使われる。冬のさなか始電も動いてない早くに叩き起こされ僕は不機嫌だった。めがねさんはいつもの赤ではなくドロっとした緑フレームのメガネをしていた。形状は太縁の四角でいわゆるウェリントンか。


「これがクトゥルー」


 めがねさんはかけてるメガネを指さした。


「知ってるよね?」

「……大いなるクトゥルフ?」

「それは翻訳ゲーム読み」


 めがねさんは厳しく突っ込んでくる。


「……海底都市ルルイエに封印された架空の邪神で夢を見てるとか。ルルイエは南太平洋ニュージーランド沖にあるって言われる。ほぼ地球の真裏か。そのメガネと関係あるの? 色合いはちょっとアレだけど良いメガネだね。四角いのも似合うね」


 僕が褒めると、めがねさんは嬉しそうにへへッと笑った。白い肌、赤くちびる、緑メガネ。コントラストが効いてそういうのも良いかも。少し気分がよくなってきた。


「そうじゃなくて」


 めがねさんは真顔に戻る。


「メガネ愛好家としてはメガネこそ本体であり人間的肉体はメガネを際立たせる付属物に過ぎないでしょ?」


 いつものメガネ好き発言に僕は、ははん、とわらった。


「わかるけどそれは建前でメガネは年々交換するし、お気に入りフレームはレンズ交換で使い続けたとしても人の命よりは短い存在じゃないかな」

「ぶっぶー。ダメです。間違ってます」


 めがねさんはぴしゃりと否定する。めがねさんはしばしば言い出したら聞かないことがあり、今がその時のようだった。最後まで聞くしかないと僕はあきらめ肩をすくめた。


「馬鹿にしてる?」

「してないよ」

「私は今クトゥルーで、神なんだから信じなさい。正確にはこのメガネがクトゥルー、私は付属物」

「はいはい」

「南緯47度9分、西経126度43分にルルイエがあるって言われてるけど間違ってるの」

「微妙に違った座標を書いてる本もあるようだね。慌てて測定したから多少のずれはあるかも」

「全然違うの。経度緯度ってどう計るか知ってる?」

「今なら人工衛星から見た位置やGPSかなあ? 原作小説の頃はどうだろう。一九二〇年代くらいだっけ? 一次大戦ごろ? 大正か」

「方位磁針の向きと北極星とか天体の角度で計算してました」

「なるほど」

「ポールシフトって知ってる?」

「地磁気が動いて変わる現象だっけ? 富士の樹海は地盤で方位磁針が役立たず帰れなくなるとか――磁気のNSが変わるのは何万年か前に起こって地層の状態で判明したとか最近また大きく変わる予兆があるとかなんとか災害が起きるかもとか」

「よろしい」


 めがねさんは偉そうにうなずいた。


「どういうメカニズムで変わるか不明、一瞬で切り替わるかも。徐々に変わるやも。大きな変動では180度、北と南がひっくり返るのもあるって言われてます」

「そりゃ大変だね……けど全然何もないかもしれない。北と南が変わるだけだろう?」

「クトゥルーは小説では20世紀初期にいちど目覚めたんだけど」

「フィクションだろ? クトゥルー神話って恐怖小説の創作神話だし。H.P.ラヴクラフトだっけ?」

「神は、とりわけ夢待ち到り在り居り侍る人の夢現るるクトゥルーは、潜在意識に真実を植え付けるのです。ラヴクラフト氏は新たな神話を創造したと思い込んで、実は神によって記すべく指示され著したわけです」

「それこそ君の妄想だろう」

「あまたの作家がその座標を書き記した。ズレは人が測定した座標に過ぎないから齟齬が出るわけ」

「単に先人を真似たのと作品ネタのため都合よく補正しただけじゃないかな」

「ところが座標がわかってるにもかかわらず発見されてない。もちろんフィクションだからそもそも存在しない→よって探さないわけですが、なかったら作り上げてしまうのが人間の性なのです。ホームズのベーカー街221Bのように。私たちがメガネがそこにあるというなら鯖江に向かうように」


 相変わらず人の話を聞かずズンズン進めるなと思いながらも僕は応酬する。


「ファンならそこを訪れたくなるとか、実在のように作っちゃうのはわからなくもないけど。力石徹の葬儀とか」

「だから座標が根本的に間違ってるのです。そして海底深くのルルイエが浮上するほどの天変地異が起こったとなれば地球の磁場は大変な変動を見せてたでしょう。日本では」

「では?」

「関東大震災が起こっておりました。その頃発見されたわけです。地域の観測記録も消失し今となっては想像するしかありません」

「綱渡りみたいな話だなあ。まあ、途轍もなく荒唐無稽だけどめがねさんの主張を信じるとして、ズレると言ってもどれくらいなんだ? 1度ズレただけでも大変な距離と思うけど」

「もちろん180度ですよ」

「ちょっと待って。さっきは大したことないって言ったけど、大災害が起きて一部生物が絶滅したって話もあるくらいだから、そうそう都合よくひっくり返ったら困るんだけど。何がどうなるか想像もつかないし」

「だからルルイエが浮上したのです」

「そんな」

「未曾有の大戦争と言われる第一次世界大戦が勃発し、その後日本では関東大震災まで起きていた」

「……」

「おそらく、ごく短時間に一時ひっくり返り、またすぐ戻ったのでしょう。各地で災害が起こり、記録も損失しており、突拍子も無さすぎるので無視されてるが、いずれデータもあり認識されるようになるでしょう」

「180度って、モンゴルかロシアの辺になるのかな。北緯47度9分、東経126度43分」

「違います」

「さっき180度って言ったじゃん!? なんで否定ばっかり!?」


 僕はつい叫んでしまった。


「つい」

「つい?」

「キミが悔しそうな表情をするのが可愛くて」

「な……」


 めがねさんは顔を赤らめ、僕は絶句してしまった。


「地軸の回転には歳差運動があり約二万六千年単位で移動しています。氷河期の契機ともいわれ地軸は日々ずれてるんです」


 赤くなった頬を髪で隠しながらうつむいてめがねさんは話を続ける。


「う、うん……」


 僕もドギマギしながら下を向く。


「それでね」

「なに?」

「そうじゃなくて」

「じ、じつは僕……」


 僕が思わず何かを告白しかけると、めがねさんは緑フレームの中のうるんだ瞳をまっすぐ僕に向け、


「ここがルルイエなの」


 と、とんでもないことを言い出したので、


「そんなわけあるかい!」


と僕は即座に突っ込んだ。ついさっきの照れくさい甘ったるい空気も何もかもが吹き飛んだ。


「あるの!」


 しかしめがねさんはキッとにらんで一歩も引かない。


「だったら証明してみろよ!」


 引くに引けず言い返すと、めがねさんは怒ったようににらんできたが、やがて目と表情をゆっくり和ませ、悟りきったような笑みをくちびるに浮かべ、


『はっきり言っておくが、あなたは今日、私と一緒にルルイエにいる』


 と、厳かな異界の彼方から響くような声でそう告げたのだ。


 その瞬間、僕にはわかってしまった。


 そうしてめがねさんに促されるまま緑のウェリントンメガネを受け取ったのだ。メガネのないめがねさんなどメガネ好きの僕には到底受け入れがたく横に首を振ったが、めがねさんは大丈夫というようにうなずき、直視できず細目になりながらそれを外した。


 すると、めがねさんの姿は煙のようにかき消えてしまった。


 内心ほっとしながら手の上の緑メガネを見つめる。夢だったのだ。めがねさんはいつもの赤フレームメガネで別の場所におり新作緑メガネを僕に拾いに来させたのだ。周りを見回した。めがねさんはいない。ただ気配は感じる。メガネからだった。僕は手にある緑メガネを見つめた。ゼリーのようなどろりとしたセル・フレーム。手頃な大きさで僕の頭にぴったりに見えた。本来メガネはその人の頭の形状・大きさに合わせて作られるものだ。めがねさんと僕の頭の大きさはもちろん違うから合うことなどあり得ない。無理矢理かけたらツルが広がったりして再調整が必要になる。


 実に冒涜的な行為だった。


 にもかかわらずそのメガネは僕を誘ってるように見えた。まるで僕に合わせて形状をぬらりと変えその身を震わせているかのように感じられた。


 ぃぁぃぁ!


 僕はクトゥルー神話ものに出てくる信者の挨拶の言葉を心の中で唱えつつそれをかけた。


 いあいあ!


 僕は、すべてを知り、叫んだ!

 つまりこのメガネこそクトゥルフでありここがルルイエなのだ。量子重ね合わせであり多元宇宙である。アインシュタインが『神はサイコロを振らない!』と断末魔の叫びを上げた確率世界。量子コンピュータの量子重ね合わせでごく刹那時間のみ実現できるようになったその事象がポールシフトの急激な磁気変動で大規模に並列現出したのだ。キリストはゴルゴタの丘の上、十字架刑に処された極限状態で初めて量子重ね合わせに気づいた。自身が処刑される地獄と、神の国の幸福な世界は同時かつ並列に存在し、自身を手助けした罪人に、


『はっきりいっておくが、あなたは今日、私と一緒に楽園にいる』


と告げたのだ。ルカの福音書23章43節である。その時『シュレディンガーの猫』の点は『シュレディンガーの世界線猫』の高次存在になったのだ。


 クトゥルーである僕はメガネを通してここガがルルイエと知った。ネめがねさんと待ち合わせたガ駅の金時計広場メでもある。すべてガはクトゥルーでネありこのメガガネでネありメガネがガ主で装着者は付属物に過ぎず僕は本来の主であるメクトゥルーでガめがねさんネでもありガク僕トめゥメルルー駅がガねルさのんネイ金エ時メ計装広ガ場着ネメ者がガはネ主ガ付フン属グルイ物ムグメルウガナフネクトガゥルメールガルイネエウガガメフガナネグガルメフガタネグガンメガネガメガネガ本メ来あるガべきたったネひとつのガ存在である大いなるクトゥルーでメガネであることにようやく気づいた。


 そうしてクトゥルーである僕らは目覚め、宇宙的冒涜的笑みを浮かべたのだ。

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