六の目

高黄森哉

六の目


 うだつの上がらない日々が続いた一年の終点、十二月。今日も、なにごともなく、だからこそ、辛い、日常を送る。変わったことがあったとすれば、今日、降雪があった。大阪では珍しいことだ。

 厳しい刺すような寒さが、身体まで、冷たくした。凍えるのが心だけだからこそ、正気を保てていたのに、この体まで、同じ温度になってはたまらない。芯まで寒くなる、とよくいうが、その芯すら感じられぬほど、なにもかも均一に冷えている。


「君、なにか買わないかい」


 目の前の男は言った。ぼおっとしていたから、いつから、そこにいたのかは、わからない。いつのまにかいた。そのやせ形の男は、ボードを、腹に突き立てて机にしている。机上には、小物が並んでいる。どれも、古びた値札がついていた。八十円、八十円、二百円。


「くだらないもの、ばっかりだ」


 と、俺はつぶやく。

 指ぬきほどの植木鉢、銀色のハーモニカ、そして、劣化したサイコロとか。用途は思いつくのだが、現在の自分が必要としていないものばかりだ。


「見た目じゃわかりません」

「そうは見えないが。見た目通りの機能を有している風にしか見えないな」

「そうでしょう」


 とか、言われても、頷くことしかできない。


「じゃあ、このサイコロは、どうですか」

「一見すると、何の変哲もないサイコロに見えるが」


 あげつらうとしたら、その白色は古びて、クリームくらいになっていた。また、数字の点もかすれてきていた。何千も、振られ続けてきたのだろう。


「当然です。ある経歴を除けば、これは、普通のサイコロですから」


 男は、掌にサイコロを取り、こねくり回すようにして、すべての面が見えるようにした。そして、ある特徴的な面で、その行為を停止した。六の目。その目は、他と比べると、異様に傷ついていた。


「つまり、一の目が出やすいのか」


 一の目の裏側が六。一の目が出るたびに、裏の目は、傷ついていく。


「いいえ。一の目が出る確率は、他の目と変わりません。もし、一の目が出やすいならば、その目が異様に綺麗になっていなければなりません」


 手先をよどみなく動かして、一の目を見せる。確かに、ほかの目と似たような、風化具合だ。


「つまり、このサイコロは六の目を未だに出したことがないのです。子供の頃、考えたことはありませんか。永遠に、ある目が出続けないなんて、ことはあるのかしら」

「まあ、格率だからな。起こりうるだろう」


 目の前の男は、俺を無視して、自分の会話を続けた。


「そして、その場合、次の目が、そのある目になる期待は、どんどん高まっていくのです。確率は収束しますから。このサイコロは、そんなもしもが、具現化したものです。極限まで、六の目が出ると期待できる、サイコロなのです」


 値札を見る。そこには、八十円、とあった。これくらいならば、詐欺であっても、心的な負担はない。それに、このサイコロの使用具合は、詐欺としては手が込み過ぎている気もした。


 サイコロを買うと、その男は、風のように消えた。


 それから俺は、勝負事やかけ事の際に、このサイコロを持ち出した。もちろん、必ず六の目にかけるようにしていた。しかし、それはことごとく外れた。それでも、俺は満足していた。なぜなら、次に六の目が出る期待は、増大しているからだ。


「君、運が悪いね。こんなに六の目が出ないなんて、あるのかい。まあ、不思議なことに悪いことは連鎖するからね。不思議だよ。君も、もしかして、次も六がでないかも、と思って、サイコロに六をかけているんじゃないかい。後ろ向きの自己記録みたいな」

「六が出続けないから、六にかけているんですよ」

「ははあ。つまり、格率の収束を期待しているわけだ。しかし、確率は格率だからねえ。何度降ろうが、サイコロの目は、六分の一で決まる」

「わかってます」


 そうやって、負け続けた。限度は超えていたが、六の目にかけるのは、やめなかった。格率が収束するのは、次かもしれないからだ。

 ある日、俺は、盲目の男とかけ事をしていた。


「あんさん、このサイコロ、いかさまでしょう」


 盲人は、正方形を掌に載せ、上下させながら、指摘する。


「もしかして、確率が分かるのですか。いろいろな目の出る確率が」


 俺は超能力的な返答を期待した。しかし、事実は、ちょっと現実的だった。


「まあ、そんなようなものだ。手先の感触で面の形がわかる、掌で重量とその偏りがわかる。音で内部まで見える。視覚を失うとそれ以外で補おうと他が発達する、とよくいうではないか。さて、それで、君、このサイコロは六の目はほとんど出ないよ」


 いろんなことが、腑に落ちた気がした。なるほど、その方が、確率的に六の目が出ていないよりも現実的だ。

 だから、今まで、前提が間違っていた。収束やらの話は、面がすべて平等に出ることを暗黙の了解としていたからだ。つまり俺は、間違った前提の理論で、ずっと勝負をしていたことになる。勝てないのも当然のこと。


「新しいサイコロを上げよう。私が選ぶくらいだから、とても平等だ。これは、私が預かっておく」

「そうですか。最後に、一回だけ賭けさせてください」

「いいよ。君はずっと負けていたからね。私は六の目に賭けよう」

「五の目」


 サイコロは、五の目を出した。少しの小銭をもらったが、それは、今までの損失と比べると雀の涙だ。

 建物の外は、一年前の今日と似たような、寒空だった。あのサイコロを買った日は、もっと寒かったはずだが。

 年の瀬。クリスマスの足音が、音楽として、不快に耳に侵入した。変わらない繰り返しを生きる生き物として、この幸せ感は苦しい。それは偶然手に入りうるが、自分には絶対に現れない幸福だった。


 偶然? 本当にそうだろうか。


 いや、本当にそうなのだろう。しかし、ある確率は非常に渋い。それかあり得ない。まるで間違ったサイコロで勝負をしているかのように。

 なあ、別のサイコロで賭けてみないかい、運命が耳元でささやいた。だから、つま先を普段とは別の方角へ向け、そして歩き出す。ポケットの、いつもとは違うサイコロを指先でいじりながら。

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六の目 高黄森哉 @kamikawa2001

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