20 スライムのフルコース~柑橘の果実酒と共に~
ストレスで腹痛を訴えるフェリーを見て、いたわる、なんてことはしないチヨさんは悪い笑顔を向けている。
「なんだ、腹でも空いてるのか。じゃあまずは飯だ。すべては飯を食ってからだ」
フェリーの事情はつゆ知らず、いやもしかしたら分かっていて言っているのかもしれないが、チヨさんは台所から料理を取ってくる。
そうしてテーブルに置かれた二つの木の小皿。
小皿の中には何やら料理が入っていた。皿には半透明な糸こんにゃくみたいなのが、ソースに絡めてある料理が入っており、ところてんに似た雰囲気があった。
「あーこうなりゃヤケだ、いただきます! ずるる……」
一気にこんにゃくみたいなものを啜るフェリー。
勢いで結構口に入れたが大丈夫か、こいつ。
フェリーの反応を伺う。
まるで毒見役みたいに扱っているが、チヨさんの出すものなのだ。何が入っているか分かったもんじゃない。
仮に毒が入っていたとしてもフェンリルなら人間よりは頑丈だろうし、死にはしないだろう。
もしフェンリルが悶絶するようなまずさだったら、毒でないにしても毒みたいなものだろう。
フェリーはもぐもぐと咀嚼して飲み込む。
そうして第一声を上げる———。
「おお、うまいぞこれ。コリコリしていて歯ごたえがある。味も酸っぱくてさっぱりだ」
「マジか、いただきます」
試しにフォークを使って一口啜ってみる。
触感はコリコリとしていて弾力があり、つるっと食べられる。味はお酢とスパイシーで塩加減が良いソース、それと玉ねぎの味、それと麵からは海藻に似た風味を感じる。
結構好きな味だ、居酒屋のお通しと言われても納得できるくらいの料理だ。
「ばあさん、あんたまともなもん出せたんだな! 驚いたぞ!」
「お前、私を誰だと思ってるんだい? 天才魔術師チヨ様だぞ。今度はこいつをお上がりよ」
次に出されたのはスープだった。
中には人参やジャガイモに似た根菜や巻貝がゴロゴロと入っており、良い匂いを漂わせていた。
「これもうまい‼ この貝の旨味と野菜の甘みがしっかりと出ているぞ」
フェリーに続いてボクも飲んでみるが、彼が言った通り良い味が出ている。
味付けというのもシンプルに塩だけなのだろうが、それが逆に素材の味を邪魔せず、食材一つずつのポテンシャルを引き出している。
人参のようなものを食べてみると、うん、あっちの世界と変わらず人参の味がした。けれど普段食べているものよりも数段甘い。香りも強く、鼻に人参が空気と共に抜けていく。その後に来るアサリやハマグリといった二枚貝に似た濃い貝の味が追ってきて、さながら味のグラデーションだ。
めちゃくちゃうまい!
「貝があるなら、こいつを忘れちゃいけねえよなあ」
そうしてチヨさんが出してきたのは貝を暖炉に鉄板を置いて焼いた、巻貝の暖炉焼きだった。見なくても匂いだけで分かる。絶対に美味しい奴だという事が。
「すげえ、貝殻の中にスープが出来てるぜ」
「フェリー、絶対にこぼすなよ。スープの一滴は血の一滴と思え」
「あたぼうよ」
そうしてクイッと貝のエキスを啜ると、体の中に貝の旨味、磯の香りが染みわたってくる。
貝の味を存分に味わうなら、やはり焼きに勝るものはない。
身をようじでほじるとクルンと簡単に取ることができ、それを口の中に放り込む。
コリコリとスープよりも強い食感と、噛めば噛むほど味が染み出てきて、口の中が貝ダシの海になってしまう。
「お前等、そんなんで満足できると思ってるんじゃねえだろうな」
「な、何だって?」
「他にこれ以上、何が残ってるって言うんだ?」
「貝を食うってなったら、やっぱこれよ」
そう言って出してきたのは柑橘が液体に漬かっている瓶だった。
「まさか、これは……」
「酒だ」
なんてことだ! こんなことってあり得るのだろうか?
今ならチヨさんの背中から後光が差してきそうだ。
思わず唾が溢れてきて、それを飲み込む。
チヨさんは手際よくグラスを三つ並べ、均等に注いで配る。
そして三人同時に酒を飲み干した。
「レモンみたいなこの果実が口の中をサッパリしてくれる。後から来るこの香りはレモンとは違うな。これはミントかな? 危険な酒だ。飲みやすいからぐいぐい行ってしまう」
「オレ、初めてお酒飲んだけどこんな美味しいんだな」
「貝も酒もまだある。初めての酒ってことなら楽しもうじゃないか」
異世界に来ては初めてまともな食事にありつけた気がする。
これまではゴブリン、トカゲの尻尾、虫、なんか酸っぱい木の実などなど。
少なくともボクからすればゲテモノばかりだった。味は美味しかったんだけどね。
「しっかし、こんなに貝がいるなんて、海でも近いのか?」
「そんなわけないだろう。ここは大陸の中心だぞ。海なんぞ彼方に近い」
「じゃあ、この貝はどっから来たんだ?」
「フェリーよ、初めて酒を飲んだからって流石に回るのが早いんじゃないか? お前等が持ってきたんじゃないか」
「え、それは一体どういうことだ?」
ああ、やっぱりそうなんだ。心当たりがあったから考えないようにしていたが、やはりこの貝は———。
「スライムに決まってるだろう」
「———」
ドスン、と椅子と共にフェリーが倒れる音。
ついでに酔いが醒める音もした
「このところてんみたいな奴もか⁉」
「それはスライムのチヨソース和えだな。ウチの畑で取れたスパイスを使っているんだ」
「え、これスライムなの⁉ オレ今ゲル状生物を食ってしまったのか⁉」
「ダアクックのソウルフードみたいなもんだ」
出たな、ダアクックのソウルフード。
もうゲテモノ出たらセットで付いてくるおもちゃみたいに見えてきた。
「スライムの膜というのは基本的に汚れてるし、ぬめりが臭う。だからお酢でよく揉み、水で綺麗に流してやって麺のように切って食べやすくするのがスライムゲルの基本的な調理法だ。それに家庭によってソースを絡ませたり、酢で和えたりする」
「やっぱりこれ皆これ食べるんだ」
「流石、ゲテモノロードがある街だぜ……」
「それにスライムの貝殻からは、良い味が出る。そのまま焼いてもうまいが、スープに入れても良い味が出る。もし旅先で見つけたら、お前らも試してみると良い」
「なんでだろう、もうお腹いっぱいになっちゃったオレ」
フェリーがショックを受けるのも頷ける。
ボクも気づいていたが、改めて言われると色々と思うところはある。
まさか駄菓子屋やゲームに出てくるゲル状生物を食べる日が来ようとは。
生きていると色々あるというが、些か想像を超えてきていると言える。
異世界に来ている時点でもう一生分の壁を乗り越えて来たと思っていたが、どうやらまだこの世界にはまだまだ想像しない事で溢れているのだな。
現代社会の男、異世界を知らず。されど、スライムの味を知る。
それが今の自分なのだと、再認識したのだった。
「これをお前にやる」
夕食を食べ終え、ギルドに戻る支度をしていると、チヨさんから革の手袋を渡される。
「魔毛の手袋という私お手製の魔法道具であり、お前の入門祝いだ。これはお前の人生くらい薄っぺらい防御魔術の変わりとして機能してくれる」
「アンタは人をけなさないとまともに説明が出来なのか?」
「まあ、最後まで聞け。この手袋をはめた状態で魔術を使うと、手袋に風の膜のようなものが発生する。これはあのフェンリルが持っている風の加護が発動している状態だ」
「加護? 魔術とは違うんですか?」
「魔術というより生体機能に近い魔力行使のことを加護と呼ぶんだ。この星に密接な関係がある特殊な生物が持っている珍しい生態とでも思ってくれれば良い。これは大気に漂う微弱な魔力、魔術世界では魔素という単位で呼ばれるのだが、それを吸収し風を纏い、防御する仕掛けが施されている」
見たところ革製の手袋だ。色は
試しに身に着けてみると、肌に吸い付くようで着け心地が良い。手首にはベルトが付いてあり、スポッと抜けないようにという利便性と、デザイン性が両立した設計になっている。
「魔素の量や濃度というのが濃ければより強い風を纏う。伝説にたがわぬ不思議な機構を持っているとつくづく思うさね。要は魔術での攻撃がほとんど意味をなさないってことになるからねえ。試しに火を出してみな」
チヨさんに言われた通り、火を出す魔術を使ってみた。
手袋の上で野球ボールくらいの火が出る。
最初にやった時は火傷しそうなくらいには熱かったので少し身構えていると、手袋の中で僅かに気流のようなものが起きて、手を包みこんだ。
そのおかげか、熱は全く感じなかった。
「すごい! 熱くない」
「なら、成功だ。ま、こんな手袋を使わずとも誰でもできるんだがね」
「それを言われたらお終いですよ。でもやっぱ金には光らないんだな……」
「光るって何の話だい?」
「ああ、フェリーが風を集めて大砲みたいに撃ち出すとんでもない魔法を使った時、腕が金色に光ったんです。アレが風の加護だったのかなと思ってたんですけど、どうやら違ったようですね」
「金色……」
それを聞いた瞬間、みるみる顔の皺が深くなる。
何かを考え込むように顎へ手を添えて、やがて乾いた口を鳴らして言葉を捻りだす。
「太陽の光の当たり具合でそう錯覚したのではないか? 風を集めるという事は大気中の水というのも同時に集める。それが上手い具合に反射したのだと推測できる」
「……なるほど」
チヨさんの厳しい顔が引っかかったが、気のせいだと考えないようにした。
「まあ、気にすることはない。ほら、さっさと出ていきな。こっちも暇じゃないんだ」
「あーはいはい、分かってますよ。手袋ありがとうございました。大事に使います」
「魔術の授業は明後日からだ。忘れるなよ」
チヨさんの依頼を終え、ボクらは袋いっぱいに入ったスライムを抱えて帰路に着く。
まるで厄介払いされるように追い出されたが、優しさなのか手土産としてスライムを持たせてくれた。
……のだが、大きな袋にパンパンに詰められていて、適度に水分を含んでいるから重く、ぷるぷるしているから持ちにくい。
帰りの距離のことを考えると、一種の修業ではないだろうか。
もしくは追い出すついでにゴミを捨ててきてくれ、みたいなノリだったのかもしれない。
といったように心でぼやいてはいるが、ゲームやファンタジー小説でよく出てくるスライムを、今手に持って歩いているという状況に思わず笑ってしまうのである。
本当に異世界というのは、度し難いくらいに面白い。
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