19 旅の指針

 スライムの下処理が丁度終わって間もなくして、フェリーは外から帰ってきた。


「お、お帰り」


 作業が終わり、ダイニングテーブルに突っ伏していた体を起こす。

 戻ってきたフェリーは舌を出して息切れしていたが、表情は晴れ晴れだった。

 多分外を駆け回ってリフレッシュでもしたのだろう。

 しかし、こうしてみると大型犬にしか見えないな。今度ボールでも持って行って一緒に遊んでやるべきだろうか。

 いや、中身が人間だからやはりボードゲームとかの方が楽しめるのだろうか。

 こういう時、犬としての本能を尊重すべきか、人間としての理性を尊重すべきか、分からなくなる。

 フェリーは犬の愛嬌を保ちつつ、人間の所作でボクとは反対側の席に座る。


「飯は出来たか?」

「今チヨシェフが、奥の台所にて料理中」

「ああん、じゃあゆっくりと待ってますか」

「外は楽しかったか?」

「おう、森と違って道が開けてるから走ってると風が気持ちよかったぞ。おっさんはスライム楽しかったか?」

「いや、スライムの膜が硬くて腕がもうパンパンだ。次やるのはごめんだね」


 久々に、こうして落ち着いた気持ちで友人と話している気がする。

 異世界に来てまだ一週間ほどしか経っていないが、展開と言うべきか、ハプニングと言うべきか、なんかもう色々ありすぎた。

 そしてどの場面においても自分は被害者側というのがなんとも。

 異世界に不法侵入ならぬ不法投棄された立場だからか、世界に嫌われているとしか思えない事ばかりだ。……まあ今回の場合で言えばボクは加害者側の立場にあると言えなくはない。

 一番の被害者はボクの誘いに乗って畑を耕し、スライムに吹き飛ばされ、チヨさんに罵られたフェリーだろうな。

 そう考えるとなんだか自分はマシに見えてきたぞ。


「ありがとな、フェリー」

「え、なんで?まあ、感謝されるってことは悪い意味じゃないんだろうな。おう、どういたしまして」


 きょとんとした顔をしていたが、感謝を忘れぬ忠犬であった。


「さて、これからどうするかな」

「これからって?」

「今後の方針ってことさ」

「方針というと……旅のことか」

「そうだ。この街にずっといるつもりはないからね。けれどだからと言ってこれと言った目標がある訳じゃないからなあ」

「目標って、世界を見るとか言ってなかったか?」

「それは漠然としたイメージだ。もう少し現実的なことを考えている。今後の生活費、旅をするにも準備は必要だし、そもそも旅なんてしたことないから、勝手が分からん」

「適当に道に沿って行けば、その内どっかの村とかに出るだろう。そういうのを点々としていけば、それはもう旅なんじゃないか?」

「そういうのを人は放浪っていうんだ。旅っていうのは何かしら目的がある。そういえばフェリー、お前はどうして人里に降りてきたんだ? 何か理由があるんだろう?」

「え、あ、うーん……」


 言いよどむ様子を見せるフェリー。

 意外だな。

 勝手ながら、暇になったからだとか、楽しそうだから、みたいな結構お気楽なものが「ポン」と返ってくるもんだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。

 そう言えばこいつ、かなりの陰キャ……人見知りだったな。

 リズにもかなりビビっていたし、道中会ったクマにすら驚くへなちょこ狼だ。

 そんな奴が住み慣れた場所を出てくるというのは、それなりの理由があると想像できる。

 フェリーはちょっと悩んで見せるが、やがて口を開く。


「実は、兄上が行方不明になってな。オレはいなくなった兄上を探すために森を出たんだ」

「行方不明、か。中々穏やかじゃない響きだな。何か心当たりはないのか?」

「失踪する前に『もし一人で暮らすとなったら、お前はどうする』みたいな会話はしたんだけれど、これと言って思い当たる節はないんだよな。特に理由がないからな」

「いや、前半にもう答えがあるようなもんじゃないか」

「マジかよ、一体どこにそんな箇所があったんだ」


 冗談で言っているかと思ったが、首を傾げて目を丸くしている様子から本当に分かってなさそうだ。


「『一人で暮らすとなったら』なんて質問をされたんだろう。てことは、それが兄ちゃんが出て行った理由って考えられないか?」

「別にオレと兄上と母上、確かに森は同じだが常に一緒にいる訳じゃないんだぜ? 基本的に一人暮らしみたいなもんだ」

「つまり森が家みたいなもんだったんだろう? だから森を去った。つまりだ、フェリー。ボクが言いたいことっていうのは、行方不明じゃなくて自立というのが正しんじゃないかってことさ」

「むむ、むむむ……そうなの、か?そうなのだろうか。むー」


 時折どこか会話がズレることがある。

 正直フェンリルという生き物の感性は分からないし、フェリーと兄上様との関係というのがどのようなものだったのかも分からない。

 しかし少し考えれば思いつきそうなことだと思うのだがな。

 コイツの場合、元が人間な為の弊害なのか、はたまたが弱いところが原因なのか、際どいというか、曖昧というか、判断しかねるラインである。


「うーむ……」

「森に帰る気になっちゃったか?」

「いーや、異議ありだね。なあシスイのおっさんよ、フェンリルという存在を人間の尺度で図ろうとするのは、少し軽率なんじゃないかい?」

「それはまあ……確かに」


 どうしてだろう。

 言っていることは確かに正しいのに、目の前のフェンリルの中身がバカだから納得したくない自分がいる。

 言っていることは、全くもって正しいのに。


「じゃあそんな、人知の及ばぬ崇高なフェンリル様はどんな理由で兄上を探しているんだ」

「フェンリルっていう生物は、あらゆる森の頂点として君臨し、数多の生態系の管理を担う守人としての役割がある。自然界の自浄作用が意思を持って徘徊しているみたいなものなんだ。その性質上、自分のテリトリーを離れることはありえない」

「性質上っていうのはつまり本能みたいなものか」

「意味合いとては近いけれど、本能よりもはっきりしている、使命みたいな感じかな」


 生態系を管理する守人というのは、つまり天然の自然保護団体みたいなものだろうか?

 この見解は、人間の尺度というものでは出てこないものであり、理解や想像というのも難しいものだと、確かに思った。


「つまり自然の自浄作用ってやつの為に兄ちゃんを連れ戻そうとしているわけなのか。それはなんとも重そうなお役目だな。家を出たくなると言われても納得できんことはない」

「聞こえはそうだけど、やることなんていうのは大してないんだぜ? ただ森をうろついて、異変がありゃ吹き飛ばすだけの簡単なお仕事さ」

「そう言うんだったらフェリー、君がその仕事を変わってやるっていうのはダメなのか?」

「オレには、そういう素質が何もなかったんだ。自然を操る力っていうのがフェンリルにはあるみたいなんだが、オレはその力を持っていなくてね。素質があればもう少し堂々と森を歩いていたさ。あー、でもそうだったらおっさんとも出会ってなかったかもしれないと考えると素質がないのも悪くないな」

「お前、性格が内気なくせに思考がポジティブだな」


 フェンリルに転生すると、こういう人間の時には考えも及ばなかったことに縛られたり、思い悩むことがあるのか。


 いや、これは異世界に転生したらと言った方が正しいのかもしれない。

 フェンリルであればその役目や使命。人間だったら名前や家、仕事や文化。

 ボクのような異世界不法投棄された人間は良くも悪くもこの世界というのに縛られていない。

 思考も、在り方も、思想も、何もかも。ボクはまだこの世界に何も染まっていない白紙のようなもの。赤子同然の存在なのだろう。


 こうして目の前の青年が思い悩んでいるというのに、その苦悩というのが理解できていないし、これと言って気の利いたことを言ってやることは出来ない。

 言ってやれることがあるとすれば普通のこと、当たり前のことを伝えるくらいが精々だ。

 それくらいしか、ボクは知らないのだ。

 だからなのか、彼のその苦悩がボクには少し羨ましかった。


「それに、たかが家出くらいじゃ山なんて下りてこないさ。まだ母上がいるから管理自体は余裕がある。出てきた理由はもう一つにある」

「もう一つ?」


 明るく話していた顔に影が落ち、声のトーンが少し下がる。


「最近知人から街で流行っている、ある噂を聞いたんだ。『フェンリルが人や集落を襲っている』という噂を。完全にこの話を信じているわけじゃない。兄上は無暗に人や生き物を襲ったりするような獣じゃないのはこの百年見てきたオレが誰よりも知っている。だけど、もしそれが兄上だったらと思うと、理由が知りたい」


 その眼差しは真剣だった。

 だがそれ以上に必死に見えた。

 身近な者に何かあった時、人は何よりも必死になる。臆病な狼が森から出て、人里に下りてきてしまうほどに、彼にとって兄とは大切な存在だったのだろう。

 それにこれまでフェリーが自分の正体を隠していたのも合点がいった。

 そんな噂が流れているのだとすれば、正体がフェンリルとバレた時どうなるか、目に見えている。

 兄を探すどころではなくなってしまうだろう。


「オレはその噂の真相を調べて、それでもしそれが兄上だったら、どうしてそんなことをしているかを問い詰めなくちゃいけない。オレの前世が人だったっていうのもあるけど、理由もなく人を襲うのはフェンリルとしての立場的にも、許される事じゃないからだ」


 それを言うのであれば、初対面の人間に対してビクビクしていたり、亀に追い回されたり、チヨさんにしごかれてシナシナになっているお前も、フェンリルの立場としてどうなんだ、という言葉は雰囲気が真剣だった為飲み込むことにした。

 そう意気込むフェリーを励ますように、チヨは肩を叩く。


「若いねえ、そういう自分の真実や信念を追い求めることは若さの証さね。私も心は延々の少女だから理解できるよ」

「……」

「……」

「……なんさね、急に黙って。私に惚れたいのかい?」

「うおおおおおおおおおおッ‼」


 フェリーは唐突に背後から声がして、飛び上がる。その反応を見て、待ってましたと言わんばかりに嬉しそうで、意地悪な笑みを浮かべるチヨさん。


「ばあさん、いつから聞いてたんだッ。一体どのタイミングから聞いてたんだッ‼」

「方針を決める云々辺りからか」

「ほぼ全部じゃねえかッ‼ ち、違うんだよ。フェンリルっていうのは……そう、知り合いの話であってだね」

「ああ、お前がフェンリルっていうのは大体午前中辺りから予想はついてたから、そう隠さんでも良い。身体強化以外の魔法を使う、ましてや高等技術を要する風属性の魔術を使う獣人なんていうのは存在しないからね。見てすぐに分かったさ」

「畜生、こんなはずじゃなかったんだあ……」


 そういえば、リアック達にも似たいような理由で問い詰められていたっけ。

 そう考えると、学ばない奴というか、抜けているというか。

 本当にこいつ、隠す気があるのだろうか、と疑ってしまう。やっぱりがないのだろうな、この犬は。


「まあ、わたしゃ気にしないがね。私にとって重要なのはそいつが私のロマンに足りえるかどうかさ。いや、待て……そういえばフェンリルの体毛や体液というのは、魔術において非常に有益なものとして扱われるそうだな。いやはやこれは、どうしたものかな」


 どうやら、チヨさんのお眼鏡にかなったようです。それを証拠に残忍酷薄な妄想に囚われた人間がしそうな、凶悪な笑みを浮かべている。

 そして、その笑みに怯える森の獣フェンリル。

 だが、どうやら今回は引き下がらないようで、怯えながらに前に出る。


「じゃあ、交渉だ。お、オレの毛なり、血なりを少しやるからフェンリルの情報をすべて教えてもらうぞ」

「ほう、良いのかい?仮にフェンリルの情報を、私があまり知らなかったとき後悔する選択肢じゃないかい?」

「オレを見て舌なめずりをする人間が、フェンリルの噂を調べてないはずがないだろう?」

「なるほどなるほど、そう考えたわけだな。良いだろう、その交渉乗ったよ。交渉成立だ」


 嬉しそうなチヨさんの顔と反比例するように、白目を向いてぐったりするフェリー。


「……お腹痛い」

「よく頑張ったな」


 ほっそい心でよくこのばあさんと交渉したものだ。

 可哀そうに、緊張でお腹痛めてるよ。

 本当に威厳のない愛すべきフェンリルだよ、お前は。





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