16 老婆と魔法と1ヘクタール

 豊かな大地。

 一面に広がる畑の景色。

 荷を引く牛と麦わら帽子をかぶる農家の人。

 ボクが住んでいたビルが並ぶ都会と比べ、とてものどかな景色が広がっている。

 場所はダアクックを離れ、広大に広がる麦畑をずっと進んでいった先にある小さな民家。

 その家の前で仁王立ちをして待ち構えている老婆の姿。多分彼女が依頼人だろう。

 こちらに気づいたおばあさんは、ギロリとこちらを睨みつける。


「お前らがこの依頼を受けた冒険者かい」

「そうです」

「ここじゃ返事は『イエス、マム』だけだよ」

「え?」

「返事!」

「「イエス、マム」」


 彼女の声に思わず背筋を伸ばしてしまった。


「声が小さいよ、それでもチンついてるのかい?」

「「イエス、マムッ‼」」

「返事は一回で良いんだよ。そんなにデカいと耳が潰れて敵わないよ。何突っ立てるんだ。さっさとついてきな」


 今回のスライムの依頼主、チヨ・リーフ。

 言っちゃあ何だが依頼主の癖があまりにも強すぎる。とにかく厳つい顔をしたおばあちゃんで、絶対昔女海賊とかやってただろう、なんて思ってしまうような覇気である。


 そんなチヨさんの後ろをついて行くと、とんでもなく広い畑に出た。

 広すぎる。何ヘクタールあるんだよ、この畑。

 それくらいには広い畑だった。


「今年は雨が多かったせいかスライムが大量発生しているらしくてな。アンタら冒険者にはこの畑をスライムの侵攻から守ってもらう。……そういや名前はなんて言うんだい」

「シスイです」

「……フェリーっす」

「そうかい、じゃあスライムがいないうちにこっちの畑を耕してもらうよ。道具の場所教えてやるからついてきな、ガキ共」


 歩き出すチヨさん。かなりのご高齢を伺える顔の皺なのだが、歩き方や立ち振る舞いは実に若々しく、背筋がピンと伸びていてた。

 そんなチヨさんが振り返った隙をついて、フェリーが耳打ちをする。


「騙したな、おっさん。話が違う、話が違うよ! オレ、スライム狩りで簡単な依頼を受けてきたって聞いたから付いて来たのに、この規模の畑の管理なんて聞いてないよ。それに依頼主があんな怖いばあさんなのも聞いてない! 名前聞いた癖に呼んでくれなかったよ!」

「……いや、申し訳ない。ボクもリアックから聞いた話をそのまま鵜呑みにしちゃってスライム討伐の依頼受けちまった。今度ゴブリンの葉焼き奢るから」

「いらんわ!」

「何モタモタしてんだい。さっさと準備しな」

「くっそお、リアックめえ……今度会ったら同じ依頼受けさせてやる」



そうしてボク等の地獄のような肉体労働の時間が始まったのである。


「犬っころ、力が入りすぎて大事な土が飛び散ってるじゃないか。お前はここに泥遊びに来たのかい?遊びに来たんだったら、さっさと帰ってママのおっぱいでも吸ってな」

「イエス、マム!」

「何だい、その目は。わたしゃアンタのママじゃないよ」

「知ってます」

「私のおっぱいはそんなに安くないよ。あと返事はそうじゃないだろ」

「イエス、マム……」


 チヨさんの執拗な教育、とでも言うべきか。それに完全に参ってしまっている様子のフェリーは死んだ魚みたいな目をしながら鍬を振り続ける。

「あ、ちょうちょだ」と現実逃避をしている姿を視界の端に見えて、心ここにあらずといった感じなのだろう。


「坊主、お前はもっと腰を入れろ、腰を。その腰使いは何だ。お前の腰はベットの上でしか使えないのかい」

「いえ違います」

「だったら口先だけじゃない所を見せてみな」

「イエス、マム!」


 そう言われて力いっぱい鍬を振り続けているが、一体どれほど時間が経っただろうか。体感的にはもう半日以上経っているような気がする。

 この地獄はいつまで続くのだろうか。



 鍬を振り続け、ようやく頼まれた畑を耕し終えると、ボクとフェリーはその場に崩れ落ちた。

 体が熱くて途中から上の服はシャツ一枚で作業していたけれど。それでも熱い。

 汗も滝のように出て、晴れてるのに、まるでゲリラ豪雨にでもあったかのようだ。

 息を整えて体を起こすが腰が痛過ぎて立ち上がれず、地面を這いつくばってようやく起き上がった。


「休憩だよ」


 冷たい水の入った水筒を投げつけるチヨさん。水筒を受け取ると、とにかく喉に水を流し込んで、干からびた体を癒した。


「まあ、半分ってところか。思ってたより早く終わったな」

「ハア、ハア……ち、チヨさんは、いつも冒険者……雇って農業やってるんですか」

「いつもは一人でやってるさ。いちいち来るかも分らん冒険者なんて、当てにできないからね。それに大抵の奴はすぐに根を上げて逃げちまうからな」

「この畑を一人でって……どんな冗談だよ。オレですらこんなへとへとなのに。アレか、影分身とかできるのか」

「そんなもん、できる訳ないだろう。魔術だよ、魔術。ほれ」


 その掛け声と共に持っていた鍬が宙へ浮いた。空中でぴたりと止まると、エンジンがかかったチェーンソーのように振動し始めて、畑をすごい勢いで耕していく。

 ボク達がひいひい言いながら耕した畑がどんどん綺麗になっている。見てて気持ち良い様子なんだけど、この何とも言えない感情になるというか。

 もう一家に一台チヨさんいれば良いのだろうか。


「ま、こんなもんか」

「先生、オレにその魔法教えてください」

「天才になってから出直してこい」

「先生、ボクに魔法教えてください」

「天才になってから……なんだお前、その歳で魔術使ったことないのか」

「縁もゆかりもなかったもので」

「坊主かと思っていたが、赤子の類だったか。良いだろう、初歩の初歩から教えてやる」


 そう言うと、近くにあった木箱に腰かける。


「魔術と魔法の違いについては知っているか?」

「いや、全然ですね」

「じゃあまずはそこからだ。魔術とは法則や式などのルールに則って魔力を使う事の総称だ。多くの場所において魔法と呼ばれているものは、厳密にいえば魔術だ。だが一般的には魔法という呼びが普及している」

「じゃあ特に違いはないってことですか」

「魔術という呼びは専門用語とでも思ってくれれば良い。まあ、魔術世界にも魔法というのは存在するが分野と言うべきか、ベクトルが変わってくる。まあそれについては知ったところで意味がないから今は詳しくは説明しない」


 チヨさんは始めに石と薪の絵を描いて見せた。


「魔術の初歩として知っておくべきことその一、『魔術の原理と順序を知ること』だ。今回は『フレーム・ピュラー』という火柱を生み出す魔術を例にして教えよう」

 

 そう言うと、チヨさんは手の平に火の粉がパチパチと踊るように現れる。


「大抵の魔術は『発生』から『増大』という手順で発動させる。『発生』とは放つ魔術の属性を発生させる事であり、この絵で言うところの火打ち石だ。今回は火を使った魔術だから、火の粉を作るイメージをして出す。それが苦手な奴は火打石なんかを使っても良い。『発生』は火起こしでいう火種のことだ。何もない所から火事が起きないのと同じように、突然火柱が立つというのはあり得ない」


 そう言えると今度は火の粉が小さな火球となり、次第に大きくなる。やがて渦状にうねり、気づけば巨大な火柱に成っていた。


「『増大』魔力を注ぐこと、絵で言うと薪だ。火種を大きくするための要因。魔力を込めて形を変えたり、火力をあげたりする。試しにお前も私の魔術を真似してみろ」

「え、今からやって出来るもんなんですか?」

「こういうのはやらなきゃできないもんだ。どんなに原理を教えたところで結局は自分の感覚での作業になる。補助してやるから、手ぇ出しな」


 がっしりと手を掴まれたかと思うと、手がどんどん熱くなる。

 体の内側、それも主に頭から血流のように何かが流れてくるような感覚が強く感じる。

 それが何となく魔力であると察した。

 熱いその魔力はやがてチヨさんが掴んでいる腕へと集約していき、手のひらが急激に熱くなってくる。


「魔力は十分集まったようだね。じゃあ、手のひらに太陽を作るイメージで、手に集めた魔力をもっと集約してみろ」


 その指示に従うように、手に集めた魔力を手のひらを中心にして集めるよう、イメージしてみた。

 曖昧なものを操ろうとしているからか、やはり捉えるのが難しい……。

 と思ったのだが、どうやら自分はそんな事はなく、すんなりと小さな火の玉を出すことが出来た。


「ほお、やるじゃないか。絶対失敗すると思ってたぞ」

「おおお……これが魔法か」


 小さな火の玉が自分の手のひらの上でふわふわと浮いている。その様子はどこか手品のように不思議な光景で見入ってしまう。

 まるで線香花火のように弱弱しい火だったが、それでも初めて出した魔法という事もあり、結構感動する。


「魔力をもっと注いでみろ」

 

 そう言われて熱を込めていくイメージで火の玉に意識を集中していくと、少し大きくなり、野球ボールくらいになった。


「魔術の『発生』と『増大』は足し算の関係だ。魔力を足せば足すほどに魔術の威力や効果は増す。だが一度に足せる量というのは魔力出力に影響する。ガキんちょ、お前の魔力出力はどの程度だ」

「Fですね」

「ゴミだな」

「はっきり言わんでいいでしょ‼ 不法投棄された自分としては結構傷つくんですよ」

「けれどねえ、ゴミでも強くすることが出来るのが魔術の良い所だ。それが……」

「ちょっと待ってくれ、チヨさん」

「まだ質問タイムは設けていないぞ」

「いや、簡単な質問……火の魔法って使うと火傷しそうになるくらい熱いんだが、この感覚は正常なんですかね? 初心者のボクからすれば結構限界なんだけれど」

「……」

「……」

「……魔術の基礎その一、『基礎魔術は防御魔術を覚えてから行おう』」

「うおおおおおおおおおおおおッ‼ 手が燃えるように熱いいいいいいいいいいい————―‼」


 というか実際に燃えていた。


「それでなんの話だったか……そうだ、ゴミでもできる魔術の強化についてだったか」

「おい何悠長に説明始めてるんだ! このままだとおっさんが可燃ゴミになっちまう」

「『ちょっと上手い事言ってやったぜ』みたいな顔してないで、どうにか助けてくれ‼」

「しょうがねえなあ。待ってろ、今からオレの風魔法で消し飛ばしてやるから」

「ちょっと待て。それ———」


 ボクが言い切る前にフェリーは強い突風を魔法で出していた。当然そんなことをしたら火は火力を増すわけで、小さな火種は火柱になっていた。


「あ、ごめん。なんか火強くなっちゃった」

「できたじゃねえか、フレーム・ピュラー」

「言っとる場合か‼ あっづあづ! ふざけるな、火に酸素送ったら強くなるなんて小学生でも知っとるわ‼」

「しょうがないだろ、畑仕事で脳みそ動いてないんだ‼」

「もうこーなったらお前にも火ぃつけてやる」

「あぢぢぢぢッ、ちょ焦げる。尻尾焦げるから近づいてこないで。謝る、謝るから。今ならゴブリンの葉焼き付けるから」

「そんなもんいらんわ‼」


 不毛な追いかけっこをしていると、「パチンッ」と乾いた音がしたかと思えば空から水の塊が落ちてきてフェリーもろとも鎮火される。どうやらチヨさんが水の魔法で火を消してくれたらしい。


「今良い例をしてくれたが、魔力出力がゴミでも強くする方法っていうのが別の属性の魔術を組み合わせることだ。これを『結合』という。『結合』は『増大』と違って掛け算、割り算の関係だ。火の魔術に風の魔術を仰げば、魔力を注ぐなんかよりも簡単に威力が増す。逆に水を大量にぶっかければ火は消える。当たり前だが大事な知識だ。よく覚えておくように」

「「はい……」」


 大の字に横たわる男と人狼。

 異世界の平原に吹く風は、思っていたよりも肌寒かった。

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