光が内側へ満たされるその先へ

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

第1話

 父親の膝を窓の日差しが温めている。外行きの服を着用し、柵のついたベットで私の土産を食していた。


「これはミズキにも食べさせてやりたいな」


 昔の女を父は呼ぶ。彼の私が息子であると忘れる日も増えてきた。

 父親は2年前から特別養護老人ホームで入所している。きっかけは、自宅での転倒が原因だった。一命はとりとめたものの、自立した生活が送れなくなる。


「まだいっぱいあるから食べていいよ」

「ありがとうございます。あなたは親切な人ですね。名前は、なんていうのですか?」

「樋口慎也です」

「へー、そうですか。よかったら、私の妻にも挨拶してあげてください。ここのホテルで泊まっているはずなんですけれども」


 衣類収納のタンス上に写真が飾られている。私の母親が存命だった頃の家族写真。金閣寺を背景にして、家族の4人が写っている。妹と幼少の私は喧嘩中だったために、互いにむくれ面をしていた。


「先ほど挨拶してきました」

「そうですか。それはよかった」


 父親はこんなに穏やかな顔をする人間では無かった。家族が裕福ではないことを責められていると勘違いして、いつも不機嫌を隠さない大人。


「慎也さんは普段何をされているのですか」

「コンビニで働いてます」

「それは大変ですね。接客業だと休みも取りにくいでしょう」

「そうでもないですよ。みんな優しいから取りやすいです。仕事も難しいけど悪くないですよ」


 私は話を切り替えたくて、手荷物をタンスの横に設置した。IKEAの袋が重力に負けて、文字がしわくちゃになる様子を眺める。わたしは、父親に軽い挨拶をして部屋を出ることにした。

 扉を閉める際に目だけ気を配る。父は私の目線に気がついて、会釈していた。


「樋口さん。お帰りになりますか」

「はい。いつもありがとうございます。きっと喜ばれてると思いますよ」

「どうですかね。私が来るよりも、妹が喜ばれると思います」

「そうですか? 息子さんと話したあとは元気になってますよ」

「妹が子育てで来れないから妥協で喜んでるフリですよ。だって、一流企業に就職してる夫を持てたから、ここに入れたんだし。俺なんかより……」

「あ、あはは」


 話題を間違えた。

 わたしは社会経験と共感性が薄かった。介護職員の困ったほほえみの意を理解するたび、自身に歯がゆくなる。


「すみません。それでは」


 立ち去ろうとした私を職員は呼び止めた。


「また来てくださいね」



 私が家について、思い出したことがある。今回は父親の冬服を施設に持ち込むことが目的だった。手当たり次第にタンスを引いたから、衣類が床に散乱している。


「片付けるか……」


 下着やタオルを一纏めにして収納していく。彼の服を直していると、タンスの奥に引っかかるものがあった。手にしていた上着を床において、手を突っ込む。指先に固い感触が当たり、取り出してみた。


「手帳……」


 父親はメモ書きを趣味としているほど、ペンを握る人だった。金閣寺の撮影後にも、何かを記述していたことを思い出す。その時に持ち歩いていた革ものの手帳。

 ページをめくった。

 中身は、彼の当時に感じたことを一つずつメモしていた。

 彼が私に感じていることを理解できるかもしれないと、めくっていくうちに、その文章は誰かに向けようとまとめている印象があった。父が家族以外で繋がりがあったことを知らない。そのうちに、何かの紙が挿し込まれていた。そのページを手帳から抜き取る。


「これは……」


 そこには三文字と記入した人の名前があった。


『生きろ』と、ミズキ。


 その文字を書いたのは、父親が繰り返しだしていた名前だった。力強く書かれた文字からは男が描いたように思える。ミズキは、女性ではなかったのか。だったら、彼は友人なのか。寡黙な父親の崩れるまえに軸とした人物。

 そもそも、生きろと私の父へ送った人がいる。


 翌日。夜勤前のわたしは父親の元へ尋ねた。彼は昼間から着替えを済ませて、事実の小さなテレビで野球を観戦している。入室すると、私の影から振り返った。


「ああ、以前の方ですか。こんばんは」


 今日は調子が良さそうだった。


「久しぶり」


 私は鞄から彼の手帳を掴んだ。ベットの上に乗せたら、目元が動く。


「これ、どこで見つけました?」

「ベットの下にありますよ」


 老眼鏡をかけて、手帳をめくっている。彼は何かを手繰り寄せるように何往復もしていた。


「野球とか興味あったんですね」

「暇だからつけていただけです。私の妻が返ってくるまでのね。そういえば、私の妻とは会いました?」

「会いましたよ。よろしくって挨拶してきました」

「良かったです。私の妻は苦労させましたから。私は死ぬことが許されないので、働くことで金を入れることしかできなくて、家のことは任せきりでした」

「死ぬことを許されるってよくわからないな」

「言い方を間違えました。老衰以外では死ねないです。約束なので」


 手帳を閉じる。父親は再びテレビに集中していた。


「ミズキにあいたい?」

「……」


 父親は静かに瞳を閉じた。何かを懐かしむように緩やかに。



 私はいま友人と居酒屋に来ていた。


「慎也、元気にしてたか」


 彼は地元の高校で一緒だった。家から通える大学の教育学部を卒業し、教員に就職する。


「ていうか、こっちに帰ってきたなら言えよ」

「タイミングがなかった。あのあとすぐに父親が倒れたから」

「ああ、慎也が見つけたのか」


 今の現況を交換する。わたしが父親の秘密を見つけたこと。ミズキという人間を探そうとしている。


「だから私を呼び出したのか。誘う前に依頼されたのには驚いた。人付き合いの荒いやつだ」

「父親と私は同じ学校に通っていた。お前は母校に就職している。ダメ元で情報が割れたらいいなと思った。それで、なにかわかったのか」

「プライバシー保護って知ってるか? 簡単に教えられるかよ」

「お前使えないなあ」

「は? 舐めんなよ。全部晒して捕まってやるよ」


 彼は鞄からメモ帳を拾い、情報を提供してくれた。


「ミズキはお前の父親と同学年だ。彼と仲良くなったのは高校2年生の頃」

「よくわかったな」

「うちの教頭が在籍していた頃に二人の担任だった。そんで、その教頭からミズキってやつの様子を聞いてみたよ。これが面白かったな」


 私はビールを口に含んだ。彼も同じように食事をして、手帳を閉じる。ミズキという人間の人格を種に話題を広げた。


「周防ミズキ。教頭は問題児だと評していた。扱いに困る子が来てしまったとずっと思ってたらしい」


 ミズキは転校生として父親のクラスに来た。最初から授業中に睡眠をとる。ただ、私の父親と出会ってから変わった。


「教頭も何がキッカケなのかは知らない。ただ、二人は仲よく遊んでいたようだ。それからは、ミズキが父親を通して常識を会得していったらしい。それも、付き合っているんじゃないかと勘違いするほどだ」

「まさか!」


 私の驚きに、相手は頬を緩ませている。でも、父親には私や妹のような家族がいる。テレビ越しに存在を認知しているものの、身内にいるかも知れないも思えば、混乱してしまう。いや、話さないだけでそうなのだろうか。


「まあ教頭が注意したらしい。そのくらい仲良かったんだな」

「今は何してる?」

「教頭は言い淀んでた。何かあるなと思ってネットで調べたんだよ。お前はネットで調べなかったのか」

「分からなかった。ていうか、のめり込んでないか?」

「職業倫理を犯すときが一番楽しいんだわ」

「お前教師向いてないよ」

「ありがとう」


 そして、彼はミズキがどうなったのかを話す。


「周防ミズキは在学中に自殺した。大量の睡眠薬を服用したわけだ」

「でも大々的なニュースにならなかったんだな」

「お前忘れたのか。コロナが流行っただろ」

「あれそうだったか」

「今でもニュースになってるだろ。コロナ禍で支援なくて働けなかった人とか問題になってるし」

「でも街は誰も噂していない」

「興味がないんじゃないか」


 後味の悪い終わり方だ。

 自殺した理由などは掴めなかった。ニュース記事に一部分のトピックとして扱われているだけ。全ては振り出しに戻ってしまった。

 わかったことは、ミズキと父親が深い交流にあったことだ。彼の胸を焼き付けるような思い出が残っていた。


「でも、今から死ぬやつがわざわざ手紙に残して生きろなんて送りつけるのかな」

「いや、死んだ人を考察するのは失礼だ。答えは本人の中にしかないよ。俺たちは残っている情報から自分を納得させることだけやればいい。人に押し付けるのはだめだけどな」

「残念だな……」

「周防ミズキを誰か知らないか聞いとくよ。俺はここに住んで長いから顔が利く」

「何から何まで助かるよ」

「いや、頼られると嬉しいよ。お前が大変なのは知ってるから」

「なんで嬉しいんだ。頼られるのは疲れるだろう」

「そうでもないよ」

「でも、私だったらしない」

「してる」

「してないよ」

「必ずする」


 彼の強い肯定に返すのが面倒になった。


「何でもいいから、連絡してこいよ」

「うん」



 それから少しずつ時が進んだ。父親は夕食後に容態が悪化し搬送された。高熱を出して入院し、私は父親が日に日に弱っていくのを見届ける。薬の量が増えて、睡眠時間が増えた。自分が何歳か正確に把握できないまま死の時間が迫っている。

 私は父親に夏服や下着を届けた。


「どうし、ました」


 声掛けで目が覚める。どうやら私は父親の部屋で眠りこけていた。隣で父親が不思議そうに私を観察している。


「もう出ますね」

「いや、ゆっくりしてて平気ですよ。なんか、最近忙しそうだから」


 私が誰かわからないのに、定期的に通っていることは認知している。だったら、私という存在を察知しても良さそうなのに。今は冷静になれてないみたいだ。


「ええ、人を探しています」

「どんな人なんですか?」

「私の親しい人が探していました。私が見つけてあげないといけない。そう思っていたのですが、どうやら連絡が取れない場所にいるみたいで、だからせめてなにか手がかりがないかと探しています」

「どうして探しているのですか?」

「探したいからです」

「言いにくいですか?」

「……」彼に詰め寄られて、私は自分の感情に向き合えた。「哀れだと思ったんです」

「哀れ?」


 彼は首を傾げている。私は続けた。


「私にしか頼れる人がいない。それは哀れです」

「あなたほど自立してる人はいないと思いますけれど」


 私のことを他人だと捉えているからこそお世辞。ありがとうと受け入れることなく流した。


「私は出戻りなんです。京都の大学を中退し、精神を病みました。母は死んでいたので、二人きりの気まずい生活でした。そんな矢先、施設に入った。ぶっちゃけ助かったと思った。可哀想でしょう」


 また余計なことを話してしまった。父親の顔色をうかがう。すると、言葉を選んでいるらしく目元にシワが寄っていた。彼は何かを話すときはその仕草が常に出ている。その癖があることを忘れていた。


「こんなことが辛かったと、怖くて連絡できなかったと、相手にそれをつたえるべきだ。貴方の大切な人ではないからわからないけれど」

「それができたら、苦労しないですよ」

「なら、私と練習しますか?」


 突然の提案に私は固まって聞き返す。


「練習?」

「私があなたの大切な人だと思って話してください」

「ええ?」

「いいから、暇なんですよ」


 テレビではコント番組の特集が組まれている。年末の決勝戦までにテンションが上がるようにしていた。私は目元をこすって、欠伸をする。


「大学をやめたよ」


 また眠くなってきた。窓から日差しの温かい温みが意識を遠くさせる。


「私には合わなかった。いや、私が周りに合わせようとしなかった。人に合わせるのがとても苦手なんだ。言わなくてもいいことや、やらなくていいことを必ずしてしまう。それが事態を好転させたことがない」


 一言も話さない。しっかりと私を見据えていた。身体の怠けがするすると足元から抜けていく。


「実家に帰ったとき、私は話しかけることができなかった。沈黙に救われる日常だった。それが一番の正しいことだと思っていた」


 私が話し合えると、父親は身体を起こそうと布団をおろした。私が手助けしながら、ベッドの傾きを上げ、背もたれに体を預ける姿勢にした。


「慎也さんの大切な人は帰ってきてくれて嬉しいと思う。大変な思いをした息子を労ってやりたかった。大学が君の全部を判断できることは必ずない。でも、それを気休めにしてしまう。気休めでも良かった。君のことも大切だった。この人生も悪くなかった」

「私は少しでも貴方に返せるものがありますか」

「私には何も返さなくていい。見返りは望んでいない。君の価値は揺らがない。これは、余計な一言かもしれない。それでも、君には生きてほしい。そう言うよ」


 私は頬から一筋の涙を流す。浄化される思いはなく、こんなやり取りで私は救われないというのは、身体は探していたものを見つけたように喜んでいた。


「慎也さん。私は光が内側へ満ちてくるその先へ行きたいのです。その先には、私を出迎える人がいる。つながりはいつも感じられた。彼には色々教えるものがある。慎也さんのことを待ってあげます。だから、貴方も生きてください」

「……」

「練習はこんな感じですかね。二度目だから緊張しました」

「すごく、良かったです。参考にします」


 既に部屋は暗くなっていて、外は夜を映していた。私たち二人は明かりの存在を忘れるほどに、自分という殻に埋没していたようだ。その後、父親は再入院した。

 そして、周防ミズキを知るものから連絡が来た。



 指定されたのは学校の体育館だった。私は友人との許可を得て、待ち合わせの場所に到着する。そこにいたのは、年配の女性。

 彼女は自己紹介をした。


「私の名前は周防はなです。ミズキの妹に当たります」

「どうも。電話越しにやり取りをしていた樋口慎也です」

「樋口さんの息子さんなら会いたいと思ってました」


 友人の情報網は広く、彼女から連絡を取りたいと申し出てきた。何でも、樋口家に手渡すべきものがあるらしい。


「樋口慎也さん。あなたは父親についてなにか知ってることがありますか」

「父親の過去は何も知りません」


 彼女は自身の所有するカバンから茶封筒を2枚取り出した。それは中身が分厚くサンドイッチみたいに膨らんでいる。


「これは?」

「私の兄があなたの父に提出しようとした手紙です」

「手紙?」

「はい。私の兄は自殺できなかったんです」


 どういうことだろう。

 私は両手に大事そうに抱えて続きを待つ。


「彼は自殺を失敗し、精神病院に行きました。周りのサポートを得て退院し、その際に書き留めたものです」


 周防ミズキは自殺未遂をはかり、私の父から去った。その際に送れたのは生きろの一通。


「彼は1年前に膵臓がんでなくなりました。その際に、私へ樋口さんとの関係を話してくれました。知ってほしいと言われました。だから、送れなかった手紙を渡します」

「……でも、私は知っていいのでしょうか」

「たしかに秘密は守られるべきですけれど、潔白では誰でもいられません。それに、あなたはミズキに興味があるのでしょう」

「はい」


 周防はなはミズキに聞かされたことを語る。



 周防ミズキは自分から湧き出る苛立ちを外にぶつけないといけなかったから避けられていた。ただ、容姿端麗であることから、日陰にファンがいたらしい。

 樋口優は、型落ちの演劇部の部長だった。栄光ある先輩たちが退部した。彼は活を入れるため、新しいことを探していた。その中で、周防ミズキが一部の女子から好かれていることを知る。彼に舞台を勧めた。

 最初は追い返される。ただ、樋口優は諦めない。彼につきまとい、先生から世話係へ任命され、カレの妹とも仲良くなる。もうその頃には、周防ミズキに惚れていた。


『君はどうして私につきまとうのだ。素人を舞台に連れても恥をかくだけだ』

『恥をかかせないように練習させる。君は私を誤解している。最初は女性の人気を勝ち取ろうとしていたが、次第に君の人間味がわかった。人との繋がり方が極端だ。それは私にもある。舞台に出るべきだ。フィクションを通すことにより人というものを知ることができる』

『私のためにカウンセリングをしてるようだ。そんなに惚れているのか』

『ああ、君のことしか考えられないね』

『面倒なものに執着されたよ』


 しかし、周防ミズキは気を悪くしない。そうして、彼は舞台に参加する。出席も悪くなく、部長とふたりきりで練習部屋にこもることも多かった。そうして、文化祭の時に幕が上がる。

 結果は大成功だった。生徒らは、周防ミズキのカリスマ性に心を射止めた。彼は恥ずかしがるように、恋人のもとへ引っ込んだ。


『成功しても恥ずかしいとは困った』

『これで君を怖がるものは居なくなったんじゃないか』

『むしろ私は誰も怖がらなくなった。そうしてくれたのは、樋口優のおかげだ。君を好きになれてよかった』


 ミズキと指を絡めながら舞台裏で肌を寄せ合う。ファンの増えた彼へさらなる成長を遂げてほしいと感じた。


『ミズキ。私の先輩が所属する劇団に興味がないか。君ならもっと人を救える』

『私は君を愛せるならそれでいいけれど』


 舞台を片付けるため、後輩が接近してきた。樋口は慌てて友人の距離に戻す。一人分を開けて話を再開する。


『なら、私のために羽ばたいてくれよ』


 周防ミズキは舞台の先輩たちに可愛がられるようになった。その容姿と努力家な面を人々は推すようになる。樋口優は彼の活躍を見て黒い欲望が浮かんだ。オレのものだけになってほしいという思いがあるなんて、彼はティックトックで活躍するミズキを見るまで知らなかった。『ミズキと付き合いたい』『いや、ミズキに恋人がいたら死ぬ。一人でいてくれ』


 それから樋口優は彼から距離を取ろうとした。連絡先を削除して、自分の薄汚れた独占欲をなんとか抑え込んだ。それが良くなかった。


『どうして私から離れていく。優がいないなら私は続ける意味がない』

『周防ミズキは既に皆のものとなった。私は君に悪影響しか及ぼさない』

『君なんて呼ぶなよ! 名前を呼んでくれよ』


 周防ミズキは樋口優の両手に触れた。互いが同じものになろうとしていたが、振りほどかれる。彼は、寂しさを塗りつぶすように演技へのめり込むようになった。

 そんな中で、コロナウイルスが流行した。彼の公演は中止になる。樋口優は会わなくていい口実に胸をなでおろした。そんな中、周防ミズキは知らなかった。自分の影響力の大きさに。

 部隊の仲間が周防ミズキの物申す様子を動画で撮っていた。彼のファンに向けた仲間内のピントの合わないもの。彼は『医療関係者自体がコロナウイルスを所有していると扱うのはおかしい』とまくしたてた。それはネットに悪ふざけで拡散された。称賛するものもいれば、避難するものもいる。

 それで彼は荒んだ。以前のような暴力という一方的な手段に逃げ込む。


『ミズキ。どうして人を殴ったんだ。前に戻っては意味がないじゃないか』

『意味なんて最初からない。私は君に生かされただけだ。舞台を通して、人と繋がれる保証が嬉しかった。でも、優が隣りにいないのは辛い。そんなことなら死にたい』

『そんな事言うなよ!』


 その後、ふたりは落ち着くまで一緒に過ごした。周防ミズキは目立つために、ホテルに逃げる。


『なあ、ミズキ。死にたいと思ったことはないか。キミと一緒にいたらどす黒い欲望が私を突き動かすんだ。そんな汚さを知られるぐらいなら死にたいと思うよ』

『意外だな。君にも死にたいと思うときがあるのか』


 布団を頭まで被り、ふたりは互いの身体以外を意識から排除した。それはチョウになる前のサナギみたいに丸まっている。


『周防ミズキを死にたいと思わせるのは、樋口優が苦労することだ。君は私を生かしてくれた。だから、迷惑をかけたくないんだ』

『だったら人を殴るなよ』

『悪かった。考えが浅かった。今にして思えば、あの発言も気をつけたほうがよかった』

『いや、あれは言うべきだ。とてもスカッとした。私の母親が周防ミズキを推しにしてたよ』


 彼は良かったと肯く。樋口優は自分の両親に医療従事者がいることを伝えていた。だからだった。そのことを仕草から理解した。


『樋口優がしぬのなら私も死ぬ』

『はは。重い告白だな』

『結婚してやりたいよ』

『ああ、周防ミズキと結婚したい。できるなら』


 周防ミズキは樋口優と学生生活を送ることになった。そんな中で、彼は自殺をはかる。理由は一つ。樋口優に迷惑をかけたことだった。


『君たち、もしかしてと思うが付き合っているんじゃないか』


 生徒指導室で二人は呼び出された。元々から周防ミズキを快く思っていない担任だ。


『どういうことですか?』と、樋口。


『お前と周防が風俗街を歩いていたことを目撃した人がいる。それは校則違反だ』


 周防ミズキを盗撮するものは居た。ティックトックで開くと、彼を探すアカウントがいて、通報している。二人はコロナ禍を考慮して会う回数を減らしているというのに。


『待ってください。あれは通り道です。何か如何わしいことはしてません』

『でも付き合っているのだろう? 私は偏見ないけれど、そういうのは裏でするべきじゃないか』


 担当の先生がクラスメイトと親しいのは認知している。つまり、クラスメイトが彼らのことを噂していた。たしかに、樋口優は心当たりがある。コロナ禍の規制に気疲れし、周りが見えてなかった。周防ミズキに触りすぎていたのもある。その様子をクラスメイトが目撃していたのも知っていた。


『とにかく、揉め事は困る。お前たちは校則違反だ』


 周防ミズキは樋口優のことがわかる。この関係が広まるのを恐れていた。彼には、周防ミズキ以外の関係性がある。

 決断は早かった。周防ミズキは噂が収まることよりも、彼から注目が外れることを望んだ。それに、その手段を選んだのは相談できる大人がいなかったから。暴力は自分へ向かった。


 樋口優は自殺しようとした。後を追って死のうとしたけれど、彼から手紙が届いた。彼は生きることを肯定されてしまった。彼が生きていることに涙して。その後、手紙は届いていない。



 私の父親である樋口優が他界した。あれから手紙を渡す間もなく亡くなってしまう。周防ミズキの話を聞いてから、どうしても報われなかったのではないかという悲しみが内包した。


「何しょぼくれてるの」


 隣りに座ってきたのは、父の姉だ。父の肉が焼き付くまで、お菓子を食べる時間を過ごしている。


「いや、親父は満足できたと話した。けど、こんなのはあんまりだ」

「あんまりって、たしかに私は顔を出せなかった。それは後悔してるよ。まあ、慎也くんにいっても仕方ないけど」

「東京に住んでいるのだから、気軽に来れないよね」


 それから、私の転職話を質問してきた。


「それで、話は進んでるの」

「うん。友達の助けを借りて仕事を見つけようとしている。私は手先が器用だから、そういう仕事につこうとしている」

「そうだね。あんたは一言が多いから接客業は絶対向いてないもんね。案の定、前のところを辞めたし」

「鬱でも続けろっていうのかよ」

「もっと早く言ってくれたら職場を爆破してやったのに」


 驚きよりも気持ち悪いなと不快感を示す。


「しかし、優も私達に迷惑かけたよ。あんた、ミズキって知ってる?」


 身体を硬直させ、私はうなづきもせずに彼女の発言を待つ。


「なんでも学生時代の恋人らしくて、よく会うのを待たされたよ。ほんと、一々だるいよね」

「え?」

「どうした」

「ミズキと父親は再開してたの?」

「え、知らなかったの? ホント話すの下手だな」


 父親とミズキは既に再開していたらしい。自身の妻から許可を得て、元カレと交流を深める。と言っても、夕方には返ってくるような付き合い。昔はあんな事があったよねと話し合ったり、互いに生きていることを確かめていたらしい。そうして、ファイアーアイランドにも遊びに行ったようだ。


「え、ええ……」

「ほんと、うまくやってたよね。あんたの父親」


 だったら私の苦労は何だったのだろう。まるで報われなかった悲劇を聞いていたと思ったのに。


「なんだ。仲良くしてたなら良かった」

「ミズキのこと知ってる」

「逆に私以外の人が知っているなんて」

「むしろ貴方が知らないことに驚くわ。まあ良いけどね、とにかくどこにでもあるようなマイノリティは悲劇ものだけなんてないのよ。言うなら、学校を卒業したあとの方が二人は幸せだった」

「でも、そう思うと私達に愛情があったのかムカつくな」

「あったよ。うちの弟はどっちも愛した」


 私は頬杖をついて私の知らない父を聞いた。父はミズキの男性という部分もすべて愛したのだろう。性別なんて関係ないとか、そんな的はずれな認識はしてあげないようにしようと思った。

 いま、父親は光が満たされた先にいるのだろうか。居たら良いなと思うし、私が満たされたあとは、殴りにいかないといけないと思った。

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光が内側へ満たされるその先へ 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou

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