第五章 「再会」 第三話 

 十二月二十三日。進藤家通夜当日。


 光を失った空は灰色にコーティングされ、そのほとんどを覆う雲が雨を降らしている。昼間だというのに、事務所内は電気を点けないと夜のような暗さだ。

 

 雨天と警護は相性が悪い。

 その薄暗さと雨粒が視界を悪化させ、傘を持てば片手は奪われる。延光寺での設営は問題ないが、遺族が来場するまでには止んで欲しいと切に願う。

 

 葬儀自体は幹久、山野辺を含めて7名の家族葬で車輌に積み込む備品は少ない。倉庫から持っていくのは焼香用具程度のため、移動はトラックではなくハイエース。早々に準備を終え、栞に作ってもらった弁当も完食した。

 直ぐにでも出発出来るのだが、何となく雨に見せられて自席に座っている。


「雨宿りって、響きがいいよねえ。」

 香ばしい生姜焼きの香りを事務所に充満させていた日下部部長がやってきた。

「予期せずに作られた時間が疼く心を静めてくれる。今日の澤君はヘラクレスではなくて、阿修羅のような顔をしているよ。だから恵みの雨かもしれないね。」

「そんな顔、していますか?」

「うん。今日は山野辺さんのご親族の通夜だったよね?だからいつも以上に気合が入っているんじゃない?」

「そうかもしれませんね。」

「最近、君の影響で身辺警護の教本を買って読んでいるんだ。どんな世界なのか興味深くてねえ。ボディーガードの仕事は下準備が大切なんだよね?」


「ええ。準備が全といって過言ではありません。警護対象者のプロファイリング、各案件ごとに綿密な警護計画書を作成します。事前に行先予定地に行き、実査と呼ばれる調査が大切で、必要であれば特定人物の素行調査を行うこともあります。考えられる危険因子を抽出し、事前に確認、排除します。」

「それは凄い。そんな君と君の仲間なら、山野辺さんと遺族を護ってあげられる。でも無茶はだめだよ。君は想別社の大切な仲間であり、葬儀担当者なのだから。」

「なぜ、そんなことを?」

「昨日、山野辺さんが僕に会社を辞めたいと辞表を提出してきてね。今回の葬儀に関係しているのではと思って半ば無理矢理聞き出したんだ。」

 山野辺さんが漏らすとは。仏は時と場合によって鬼に変化出来るようだ。


「大丈夫だよ。これは澤君を含めた三人だけの秘密だ。社長にも言わないし、彼女には引き続き会社で活躍して欲しいと思っている。結局は彼女の意思次第だけれど、彼女以上に教育熱心で、意思の強い人材はいないからね。」

「そ、そうですか。」

「だから澤君。君も無事で帰ってきてね。私は思うんだ。葬儀を作業という括りで考えればそうは難しい仕事ではない。一定の経験を積めば、誰にでも出来る仕事だと思う。でもね、他人のお見送りをお手伝いしたいと思う心は、誰もが持てるものではない。特別なギフトのようなものだと思うんだ。そして、想別社で働く仲間は、全員がその心を持っている。いなくなっていい人間は一人もいないんだよ。」

「部長…」

「人様の傷みや悲しみを真正面から受け止めているこの会社はもっと温くなれる。君はもっと、もっと愛溢れる人間になれる。だから僕は君を待っているよ。」

「はい。葬儀と警護を無事に終えて、必ず山野辺さんと一緒に戻ってきます。」


「君がこの会社に来てくれて本当に良かった。多くの先輩達が君の存在に感化されて、負けられないと精を出している。それに私は君のことが大好きだしね。」

 ホッカイロを全身に貼るよりも温かい仏の言葉を体に振りかけて雨宿りを終える。

   

                ※


 延光寺の貸出斎場はどんなに椅子を詰めても二十席が限度なこじんまりとした一室で門を潜って30メートルほど直進して右手にある。車輛は寺院の裏にある駐車場に停めるのだが、斎場まで比較的距離があり、少ないといっても備品の運搬は一苦労だ。昨晩は飲酒さえしなかったものの、「葬儀の件で話がある」と言われ、朝方近くまでマッチとファミレスで話をしていた。流石に寝不足だ。


 「はい、これ。」

 「山野辺さん…」

 喪服の上に想別社のロゴ入りジャンパーを着た山野辺さんが、備品が入ったプラケースを抱えてやってきた。

 「そんな鈍臭い動きで、あなた大丈夫なの?」

 「止めてください。遺族の方に手伝って頂くなんて出来ません。」

 「そうね。でも私、遺族の前に葬儀社員だから。それにあなたより先に人生初の有給休暇を取ったのが癪に障るの。まあ、お給料を頂いている休暇だし、家にいたって落ち着かないから。」

  そうか。山野辺さんもこれまでの人生で有給を取ったことが無かったんだ。

  共通点を見つけた二人で黙々と設営をし、生花業者によって祭壇が造られた。


「住職、故人様を斎場へ移動させて頂きます。」

「分かった。外は雨で滑りやすいから気を付けなさい。」

 昨晩から住職に護って頂いた故人は変わりなく和室で眠り、思いのほか早くに再会した娘の存在を喜んでいるかのようだ。

「お父さん、これから式場に行くよ。」

 棺に布をかけて、生花業者に手伝ってもらい、山野辺と三人で故人を移動する。少しすると湯灌をした納棺士がやってきて、化粧の手直しを施した。


 そしてジャンパーを脱いだ山野辺は蝋燭に火をともし、何度も線香を焚いた。

 故人が闘病生活を始めてからずっと一緒に過ごして来たんだ。きっと、いち早く父親に会いたくて、手伝いを装って斎場に来たに違いない。明日の今頃には故人は火葬され、身体そのものが消滅してしまうのだ。

 

 ワイヤレススピーカーからこっそりと音楽を流して、父と娘、二人だけの時間を過ごしてもらう。斎場の扉を閉めて、軒下から滴り落ちる雨粒を手の平に収める。

「お父さん、長い間独りにさせてしまってごめんね。」

 扉の隙間から涙交じりの声が漏れてくる。

 出来るものなら言ってあげたい。故人が孤独に耐えた分、娘さんは立派な大人に成長しました。言葉や態度は気難しいけれど、人一倍優しい娘さんです。

 扉を開けて、大声でそう言ってあげたい。


                ※


 午後五時頃、軽自動車に乗ったガチムチがやってきた。

 スーツの上にポップな書体で「ベーカリーときえだ」とプリントされたピンクのエプロンを身に付けている。そして車から降りるとパンの入ったプラケースや食器を取り出し、駐車場とお斎所を往復する。

「先輩、台所は何処ですか?」

「台所は必要ないだろ?って何でお前は寸胴を運ぼうとしているんだ?頼んだのはパンだけだろ。」

「まあ、いいじゃないですか。諸々あとのお楽しみってことで。」

 こいつ、余計なスペシャルメニューを用意して住職と自分に営業をかけようとしているな。ただここで追い返すことは出来ない。ガチムチには食事までの時間、寺院の入口と周辺の警戒を依頼している。気は進まないがその他の搬入を急ぎで手伝う。

 

 午後五時半、自家用車で来場した幹久と既に到着していた遺族が合流し、親族控室で暖を取っている。山野辺は率先してお茶出しをし、親族の高齢男性から差し出された香典を「いえ、受取れません。」と何度も断っている。事前に香典を辞退していたとはいえ、「気持ちだから」と持参してくる人は多い。


 開式を目前に控え、住職の元へ向かう。

「どうだ?現状、変わったことはないか?」

「はい。ご遺族はお揃いになられ控室にいらっしゃいます。先ほど仲間の警護員が一名到着して寺院周辺の警戒にあたってくれています。」

「台所で見かけた大男だろ。頼もしい限りだが、エプロンをしていたな。」

「ええ。彼はパン職人兼警護員なので。」

「まあいい。読経は四十分。焼香開始の際は私から喪主に声をかけるから、お主の司会進行は不要だ。読経後に少し法話をさせていただく。通夜が終わるまでは警護員として周囲の警戒をしなさい。」

「ご配慮、ありがとうございます。」

 

 五時四十五分、開式十五分前。遺族に声をかけ、事前にトイレを済まして斎場へ移動して頂くように依頼。準備が出来た方から斎場内で故人と面会し、線香を焚いて指定の席に着座していただく。

 電飾の遺影額から、故人の笑顔が光り輝いている。工場の経営者として生き生きと働き、経理を切り盛りしていた愛する妻と、まだ幼かった三人の子供と幸せに暮らしていた頃の写真だ。

 

(キーン、キーン)住職の鈴の音が響く。

 何となく田んぼと畦道を連想する。ほとんど記憶に残っていない昭和の風情が呼び起こされるようで落ち着く。そして住職が斎場入り口に立ち止まり、アイコンタクトを取る。

「導師、ご入道でございます。ご一同様、合掌を持ちましてお迎えください。」

 定刻、午後六時。故進藤勝彦の通夜式が開式。

 導師机の前に立って合掌した住職は、自分で椅子を引いて読経を始めた。


 蹲の水面に小雨が落ちる微かな音は聞こえるが、斎場を少し離れると其処は無我の境地だろうか。これまで経験したことのない静寂が広がる。緑と歴史ある建造物に心が洗われるが死角が多く、既に暗くなった辺りにいつも以上の恐怖を感じる。


 式場内では一同が前を向き住職の読経に聞き入っている。無警戒の背後は全て警戒対象区域。辺りを見回しながら、ガチムチに無線を送る。


「こちらB,状況はどうだ?」

「こちらG,オールクリフ。寺院周辺もとても静かです。」

「こちらB,ミミガー。今から裏口と駐車場周辺を警戒してくる。」


 脅迫犯はこちらを油断させて今日何かしらのアクションを起こすことも考えられるが、進藤家の自宅は特定されているものの、延光寺までの搬送を尾行されていない限り、葬儀場所を特定するのは難しい。反面、クローズドされている葬儀情報が知られるということは、考えたくないが関係者の中に内通者、若しくは犯人がいる可能性が高い。考えると頭が痛くなるが、東條さんの実例がある。


 午後六時三十五分。通夜の閉式に備え式場内に戻る。幹久は下方に顔を下げているが、山野辺は顔を上げて遺影を見つめている。

 午後六時四十分。住職は読経を終えるとその場に立ち上がり、遺族の方へ振り返り法話を始めた。読経のおかげだろうか。午前には強く降っていた雨はその勢いを失い、振っているのか分からない程の小雨になった。


「こちらG,Mヤーゴ。」

「こちらB、ミミガー。斎場入り口に来るよう伝えてくれ。」

 予定の十九時を前にマッチと警護員一名が延光寺に到着した。マッチは明日の警護のため現場の事前調査に、他の警護員は午後十九時から明朝までの寺院警護を依頼している。


「今晩の警護を担当する武田だ。俺がいた調査会社からヘッドハンティングして、去年 K'sに入社した。」

「初めまして。 K'sプロテクションの武田です。澤先輩、お会い出来て光栄です。」

 身長は百七十センチ前後と高くないが、肩幅が広く胸板が厚い。下半身もドッシリしている。黒の短髪に活舌の良いハキハキとした口調。印象は良い。

「武田、表に立っていた巨漢と交代だ。俺も少ししたら直ぐに行く。」

「ミミガーです。」


「柔道あがりで脳味噌は筋肉だが、吸収力は高いし筋は良い。お前に似て直感が鋭くてな。前の会社では浮気調査でかなりの成果をあげていた。その前は警備会社で万引きGメンをしていてな。イブの発見には定評がある男だ。」

「自分が警護現場から遠ざかっているので、頼もしい限りです。」

「俺は明日、イーグルの出所立会いで朝早いからな。途中で抜けるが、出来る限り武田と警護にあたる。高姐は明日の八時には現場入りする予定だ。」

「ありがとうございます。」

「似非警護員、ずっと立ちっ放しだろ?ここらは俺達に任せて一休みしてこい。」


 法話が終わり遺族をお斎所へ案内する。

 参列された五名の親族は皆高齢のため、少しだけ食事をした後は直ぐに帰宅される予定だ。もちろん進藤家が脅迫されていることは話をしていない。


「先輩、手伝って下さい!」

 台所から廊下へ顔を出したガチムチが叫ぶ。顔だけではなく煙も姿を見せ、何だか食欲をそそる匂いがする。

「何だ?パンを蒸しているのか?色気づいて肉まんを作ってるんじゃないのか?」

「違いますよ。人数を把握したいので、親族の方々に食事を召し上がって頂けるか聞いてください。お通夜なのに食事がパンだけなんて聞いたことないですよ。」

「だったらその寸胴の中身は何なんだ?」

「匂いで分かるでしょう?うちはカレーも人気なんですよ。」

「馬鹿野郎。通夜にカレーなんて聞いたことないぞ。」


「少量でよけりゃ、ご馳走になろうかねえ。」

 全員が手を挙げ、住職を含めた八人前を提供することになった。

 ガチムチが持参してきた洋食皿に炊飯器から湯気を立てた白米を盛り、コトコト音を立てる寸胴から具沢山のカレーをかける。お年寄りを配慮しているのか、具は難なく食べられるように小さめにカットされている。安心して下さい。それ以前に具は良く煮込まれていて、蕩けるように柔らかいのです。と言わんばかりだ。


 ガタイの良い二人が両手に皿を持って、お斎所の長テーブルに人数分のカレーライスを並べる。その香ばしい匂いに誘われて遺族の表情が緩んでいく。

「澤さんも一緒に食べましょう。英気を養わないと。」

 幹久さんの親切で、寺院の女将さん、自分もテーブルを囲む大所帯になり、「いただきます」と言うと、一同は黙々とカレーを食べ始めた。


「通夜にカレーライスは初めてだが、いいもんだ。幼い頃に食べた味に似てとても美味しい。」住職の一言で周りの親族も笑顔で続く。

「本当に美味しいわ。具材がとっても柔らかくて、手の出しにくいお寿司と違って、食が進みます。」上々の感想に入口に潜んでいたガチムチが登場する。

「でしょう。それにウチで作ったこの食パンを千切ってルーにつけて食べて下さいよ。このしっとりとしたパンにカレーが良く合うんですよ。」

「あら、それもいいわね。」高齢の親族が次々とパンに手を伸ばした。

「うん、良く合う。精進料理には少し飽きていたから、カレーも有りですな。」

「であればお坊さん。専属契約はいかがでしょうか?」

「あなた。住職に向かってお坊さんって、大変失礼ですよ。」

 静かだった一日に賑わいが生まれた。電気ストープの熱と共に、人間の笑顔と話す吐息が室内を温める。ただ、社交性のある幹久はその場の雰囲気に便乗出来ているが、山野辺は終始無言で俯き加減だ。


 早々にカレーライスを平らげる。ガチムチのいう通り人参とジャガイモは蕩けるし、タマネギが甘くルーに溶け込んで滅茶苦茶に美味い。また巣鴨へ行く用事があった時にはカレーパンを大量に買って栞に食べさせたい。但し、葬儀の食事でカレーが受け入れられる時代が来るかと言えば何とも言えない。


 少し胃を落ち着かせて、マッチと斎場で合流する。

「明日、朝の七時半には刑務所に行く。イーグルと合流次第、ガチムチと共に式場へ連れてくる。逐一連絡を入れるから、葬儀中でも携帯から目を離すなよ。刑務所からここまでは車で所要九十分程度だ。」

「ミミガーです。こちらは予定通り、午前九時半に葬儀を開式して一時間後の十時半には終了します。その後、高齢の親族様五名は解散し、故人の子供二名は控室で故人とイーグルの面会が終えるのを待ちます。予定より早く到着された場合は、合図を出すまで特別に用意した和室でイーグルの警護、待機をお願いします。逆に渋滞などで遅れた場合も焦らずで大丈夫です。予約した火葬時間は午後二時。一時半前にここを出発すれば十分間に合います。」

「ミミガー。但し、イーグルの様子を見て、ここへ来させるのが危険と判断した場合は、面会の中止だ。いいな?」

「はい。あと、昨晩話した内容の進捗は?」

「ああ、実はな…。」


 話の途中で入り口の門近くにいる武田から無線が入る。

「マッチさん、来てください!」

 急いで武田の元へ向かう。

「どうした?」

「郵便配達員がこれを。」マッチに手渡された郵便物はビニールで包装されているが、故人へ向けられた弔電の様に見える。

「弔電か?その配達員は何処に?」

「ご苦労様ですとだけ言って、直ぐに立ち去りました。」

「どんな人物でしたか?」

 参列している親族以外に声をかけている人物はいないから弔電が届くはずがない。武田が悪い訳ではないのに、自然と声が昂ってしまう。

「黒い帽子を深々と被っていて、顔は見えませんでした。すみません。服装は配達員そのものでしたので。」

「声は男女、どちらでしたか?」

「変声機は使っていなかったと思うので、恐らく男だったと思います。」

 式場に戻り包装されていたビニールを外すと、極めて一般的な一通の弔電を確認する。慎重に開封する。大丈夫だ、異臭も爆発もしない。

 頼む。親族伝でたまたま訃報を知ってしまった遠い親族から送られたものであってくれ。


―ラ、ラン、ラ、ララ、ラ、ララン、ラ、ラ、ララ、ラン―

 オルゴール調の悲し気な音が鳴り、赤字で書かれたメッセージが目に飛び込む。


(故 進藤勝彦は頑張ったとは思うよ でも恭平はどうなのかな?

 故人は殺人者ではないから 労わるのは分かる 確かに御愁傷様なのだけど

 恭平は殺人者 刑期を終えるからといって 親父と面会?

 そんなことしたら 天罰が下さるのは 当たり前だよね 

 延光寺だろうと、何処にいっても見つけるよ

 待ちに待った復習の時 明日会えるね やっとやっと 会えるね)


「こちらの動きが完全に知られている。我々ってことは単独犯ではない可能性が。」

「クソ。知り合いに頼んで辺りの警戒を強化する。なあブアイ、明日の葬儀の中止を検討した方が良い。迫る危険を知りながら決行するのは無謀だ。」


「中止なんて駄目よ。」

 斎場にやってきた山野辺が険しい表情で言う。

「葬儀情報を知られているのなら、延期したって式場を変えたって、そいつは最後まで追ってくる。あなた達に非は無いのだから、私達を護り切れないのなら警護は要らない。親族には参列を辞退してもらって、住職のお勤めも要らない。兄と私だけで父を見送るわ。もう一人の兄がしたことは許されないこと。だから襲われたって、殺されたって私は構わない。でも、お父さんは必ず明日見送るの。明日が全てを終わらせる唯一の一日なの。」


 山野辺は一度決めたことを曲げない。そんなことは入社してからずっと分かっていたことだ。覚悟を決めた人間には何を伝えても効果はない。


― もし私が助けてって言ったら、護ってくれる? ―

― お父さんが死んだ。私はこれからどこへ向かえばいいのだろうか ―


「山野辺さんを、護ります。」

「おい、ブアイ。正気か?」


「危険であろうと故人と遺族を護り抜く。マッチさん、もし自分の推測が正しければ策があります。それに、章兄を失った二度舞はごめんです。必ず無事に葬儀を終える。そして誰の命も失わせない。そのために最高のチームを再結成したのです。」

「仕方ねえな、葬儀社員になって頭が可笑しくなっちまったみたいだ。その代わり、明日は全員にチョッキ着て参列してもらうぜ。じゃあお前の策を聞かせてくれ。高姐とガチムチにも直ぐに共有する。」


 それからその日の内にイブが延光寺に来ることは無かった。

 斎場に泊まると言い張った山野辺は、住職と幹久さんの説得で自身のマンションに帰り、自分も流石に二日連続で寝不足はまずいとなり、マッチの助言で家に帰ることになった。明日は間違いなく危険な一日になる。

 脅迫犯は必ず斎場へ接近し、遺族を恐怖に晒す行動を取って来る。


 狂気に満ちたクリスマス・イブが目前に迫っていた。

 

                ※


 十二月二十四日。朝六時半。


 スリッパの足音、まな板を叩く音、食器がテーブルに並ぶ音。

 珍しい早朝の生活音で目が覚める。

 決して寝起きが良くない栞が、四葉のクローバー模様のついたエプロンをして朝食を作っていた。サプライズは今日から始まってるのか?

 まさかの朝からケーキはきついぞ。


「おはよう、光史。」

「おはよう。」

 普段は洋食ばかりの食卓に、炊立ての白米、焼き魚、大根の味噌汁、それに食器棚の奥に隠れていた小皿に梅干しや焼きのりが添えられ、パックの納豆はガラスのお猪口に二分されている。今日は共に仕事なのに、とある東京の同棲カップルの朝食に御膳が用意された。


「どうしたの?」

「別に。明日は旅行だし、今日の内から旅行気分を味わいたくて。」

「それなら旅先で思う存分食べれるじゃないか。」

「それはこっちの台詞。私が気付いてないとでも思った?」

「何が?」

「どうして私には言ってくれないの?」

「だから何を?」

「惚けないでよ。ここ最近、あの頃と同じ顔をしている。人を見送る仏顔ではなくて、人を護りに行く阿修羅のような顔。」

 日下部部長と似たようなことを言う。隠したかった訳ではない。世界で一番愛おしい存在に、また危険を負う行為をして心配をかけたくない。プロポーズをしたい相手が自分の正義から逃げてしまうかもしれない。またメキシコ料理店に行った晩の様に振り出しに戻ってしまうかもしれない恐怖心で伝えられなかった。


 そうだ。結局、身辺警護員としての魂を消すことは出来なかった。

 また、栞を裏切ってしまっていた。


「今日、貴方は命懸けで人を護りにいくのよね?」

「ああ。嫌になるだろ?葬儀社に転職したっていうのに、また人を護ることになっている。そういう星の下で生きているのかもしれないな。」

「何を独りでロマンチストごっこをしているの?どうして二つで一つにしてくれないの?勝手に悲劇のヒーローぶらないでよ。」

「ごめん。でもいいんだよ、旅行キャンセルしても。それに別れたくはないけど、栞が望むらな別れ…」

「嫌。そういうのはね、逃げって言うんだよ。自分の考えで私のいない自分だけの世界観を作って、自分が悪いと言っているようで正当化してる。そんな世界のどこも美しくない。未来の無い寂しい場所でしかないよ。」


「じゃあ、どうしたらいい?」

「だったら、明日の宿泊先で一本二万円のシャンパンを頼んでもいい?光史が払ってくれるなら教えてもいいよ。」

「いいよ。」

「今日、貴方は誰を護りに行くの?その人は何に困っていて、どれだけ素敵な人なの?無事に帰ってくると信じているけれど、今日、どんな一日を過ごしに行くのか私に教えて。」

 栞は涙を流しながら自分の手を握った。

「それを知らずに光史を見送ることは出来ない。だから約束。無事に帰ってきた暁には、これから毎日どんな一日を過ごすのか教えて。それが私と一緒に生きて行く条件。旅行の前日キャンセルは全額負担なんだからね。」

「分かった。約束する。」

 

 栞に進藤家のことを全て話をした。

 最後は「片腕くらい失ってもいいから、帰ってきてよ。」と泣き笑いされた。

 脳が死なない限り戻ると伝えたら「それじゃあ病院行きだよ」って頭を叩かれた。

 

 これまでで一番長いキスをした。

 唇を離すのが惜しくて、何度も唇を押し付けたけれど、その分だけ決意した。


 絶対に生きて帰って来ると。



― 第五章 「再会」 第三話 完 ―








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BUAI-不愛- 三帖ゆうじ @kyonc1171

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