第五章 「再会」 第二話
気付けば午前六時近くになっていた。
幹久さんと山野辺の意向を聞き、葬儀は二十四日を希望。火葬場は何とか抑えられたが、式場探しは困難を極めそうだ。場所は問わないとのことだが、想別ホールは既に予定が入っているし、費用の安い区営斎場や利便の良い火葬場併設斎場も空いていない。それに有事の際に被害を拡大しないためにも貸切り斎場が良いのだが。
「澤さん、すみません。こんな朝方まで。」
幹久さんはコーヒーと緑茶のローテーションでもてなしてくれ、山野辺は何度も和室を往復して父親との寝ずの番を過ごした。
「まずは会社に行って式場を探します。今日の早い段階で日程を確定させて、警護計画を立ててみます。決まり次第ですが、その後に葬儀内容や費用などの打ち合わせをお願いします。」
「分かりました。私の名刺です。携帯にご連絡を下さい。」
幹久さんに名刺を貰う。会社のロッカーに替えのスーツ一式がある。そのまま会社に向かい、シャワーを浴びて気合を入れようと席を立つ。
「私も乗っていっていいでしょう?」
「え?」
「電車賃が浮くし、たまには早出もいいと思って。」
シャワーを浴びる山野辺を待って自宅を出発。
まるで同棲する同じ会社のカップルのような出勤だが、停滞期を迎えたように車内の会話はない。ラジオの音声だけが流れ、山野辺は昇ったばかりの太陽を見つめると、ようやく口を開いた。
「あの光が照らないと、私たちは生きていられないのよね。」
「凍え死んでしまいますからね。」
「でも、照らされてしまっているから私の人生は辛いことばっかり。」
何も言えない。確かにその通りなのだろうし、山野辺の辛さを分かってあげることは出来ない。それに強い責任感で仕事をしている相手に頑張れとは言えない。
「ねえ、なぜ視力が2.0の私が伊達メガネをしているか分かる?」
「その光の眩しさを緩和するためですかね?」
「そうよ。でもさ、綺麗か醜いかでいえば綺麗だろうって思えるから、私は今も生きているのかな。新人が全員独り立ちして、お父さんが死んだ。私はこれからどこへ向かえばいいのだろうか…」
「無事にクリスマスを迎えたら、何か新たな気付きが生まれるかもしれません。」
「そうね。」
早朝といっても会社の誰かに見られたら勘違いされると言い、最寄り駅近くに停車する。「少し待っていて」と下車した山野辺は、温かいお茶と紙袋に入った肉まんを買って来た。
「勘違いしないでね。私だって昔は葬儀プランナーをして、後輩に差し入れくらいはしていたの。日光浴をしたらお腹が減るのは人間の定めだから。」
「ありがとうございます。」
山野辺の後姿は今日も凛々しい。
頭と肩の位置がぶれず、しっかりと両腕を振って、黒い革靴のヒールがコツンと音を立てて躍動する。
※
「澤さん、悩んだ顔をして、何かお困り事ですか?」
出社した一ノ瀬が声をかけてきた。彼女のデスクにはちょっとしたクリスマスが訪れて、サンタと雪だるまのフィギュアがPC周りで踊っている。
「安置対応してきたご遺族が、どうしても二十四日の葬儀を希望しているのだけど、練馬区周辺で空いている式場が見つからなくて。」
「うちは練馬区の提携式場少ないですからね。仏教ですか?」
「ああ。浄土真宗本願寺派なのだけど。」
「ちょっと待ってくださいね。」
一ノ瀬は自身のデスクから名刺入りのフォルダーを広げる。寺院、生花、仕出し料理、返礼業者などが区分けされ、それぞれがエリアごとにきめ細かにファイリングされている。これなら手配先が一目瞭然だ。
「この寺院、覚えています?練馬区で浄土真宗本願寺派。式場の貸出有りです。」
「ここって、章兄のお別れ会に来た頑固住職…」
「頑固住職、ですか?」
「いや、何でもない。」
延光寺。練馬区にあったのか。睨みを利かせた住職の顔を思い出すが、時間の猶予はない。あと三時間で日程が決まらないと、仮押さえした火葬場をキャンセルしないといけない。時間をオーバーしたら遺族に全額請求されてしまう。
「突然の連絡恐れ入ります。葬儀社、想別社の澤と申します。」
「想別社の澤…ほう、聞いたことのある声だ。」
「以前、風来会館で西岡家の葬儀を…」
「ああ、あの頑固者か。何の用だ?」
「すみませんが、明後日、明々後日と式場に空きはございませんか?」
「空いていないことはないが、本願寺派の故人さんなのか?」
「はい。どうしても二十四日の葬儀をご希望のご遺族様でして。」
「主は人に頼みごとをする時は、電話で頼むのか?」
神頼みに近い気持ちで課長に許可を取り、延光寺に車を走らせた。
※
敷地は広くないが、この上無く「清潔」が行き届いている。春の身支度を終えた木々や植物が花びらを落とし一見寂しくも感じるが、敷地内に足を踏み入れただけで、焦る精神に静けさを振り撒いてくれてる。綺麗に敷き詰められた白い玉砂利が東京を滅多に湿らせない雪の絨毯に見え、砂利の上を歩く音と足裏の感触が心地良い。
「スピード違反をしただろ?慌てて生きても良いことなどないぞ。」
微かな足音を嗅ぎ分けて、本堂の清掃をしていた住職が階段を降りてくる。
「す、すみません。」
「まぁ切符を切られていないのなら、次から気を付けなさい。」
寺院内の居間に案内され、女将が温かい緑茶を淹れてくれた。
「只事ではないようだな。」
「え?」
「お主の顔を見れば分かる。何か大事を抱えているようだな。」
この住職を前に隠し事は通用しない。
そう感じて進藤家の事情を伝えられるだけ話した。
「良いだろう。こうしてまた会ったのは何かの縁だ。成仏に区別も差別もない。力を貸そう。そんな危険な葬儀に関わるのは生まれて初めてだがな。」
「ありがとうございます。しかし、どうしてそんなにあっさりと承諾いただけたのでしょうか?てっきり私のことを良く思っていらっしゃらないかと。」
「私が寒い季節でも頭を剃っていて、ほとんど来訪者のない敷地内を綺麗にしているか、お主には分かるか?」
「どうしてでしょうか?」
「お主のことは良くは思っていない。しかし心と身の周りを綺麗にしておけば、私が見える景色は清らになる。この世は好きか嫌いかで存在してはいない。手を差し伸べられるかどうかだ。役に立つかどうかではない。得体の知れない者であろうと、その相手だけでは乗り越えられない困難に対峙しているときに手を差し伸べるのが、本来の共存だ。」
住職の顔が仏に見える。
「但し通夜はやりなさい。使用料は一日分でいいし、通夜には其方は来なくていい。子供達だけでいいから通夜をして故人を弔うべきだ。私が心を込めて読経する。」
直ぐに幹久と連絡を取り、葬儀場所と日程の了承を得る。住職の熱意が伝わり、通夜をすると返答も得た。喪主の意向を伝え、「お世話になります」と頭を下げる。
「次の葬儀でも派手な飾りをするのか?」
「いえ、その予定はありません。」
「分かった。それではもう少し詳細を教えてくれ。ただの葬儀ではないのだろう?護身についても少しは教えてもらわんと困る。」
聞かれているのに、話す自分の不安が一つ一つ、望む順に取り除かれていく。
出会えて良かった。いや、出会えていて本当に良かった。
この住職は心の置き所が他の人とは違う。いつだって己の魂と向き合っている。
誰よりも真っ直ぐ、真剣に、他人のことを考えている。
※
午後六時。幹久の職場へ訪問する。
千代田区にあるオフィスビルの二十七階。誰もが平等に教育を受けられるようにと、学習アプリ開発会社の代表を務める彼のオフィスは加害者家族の悩みを感じさせない明るさだ。社員は高級マシーンから注がれる紅茶や珈琲を飲みながら、都心のネオンに照らされている。
苦悩を覆そうとする彼は強い。努力、野心がそこら中に宿り、社員に伝染している。想別社と似た人間の勢いを感じる。
「澤さん、ご足労をいただいて恐れ入ります。」
幹久さんが働く社長室は広くも他の部屋と然程変わらない簡素な部屋だった。
「社長室にしては地味ですかね?これでも十分に豪勢な部屋だと思っています。加害者家族である私を妻は見捨てずに守ってくれた。この会社は著名な経営使者である妻のお父さんが出資して下さった会社なのです。」
「そうでしたか。それでも相当なご苦労があったのですよね?」
「ええ。恥ずかしいお話ですが、恭平の悪行を打ち消すかのように仕事に没頭してきましたから。いつ社会から捨てられてしまうのか、恐怖は消えませんがね。」
熱いブラックコーヒーを差し出して、打ち合わせが始まる。
幹久さんが一番気にしているのは葬儀内容よりも警護体制だ。
まずは作成した警護計画表を元に、警護の人員と役割をスケジュールに沿って説明する。特に進藤恭平の出所から故人との面会までの流れを重点的に伝えた。
「どの警護員も民間警護で多くの経験を積んだ、私の信頼する人間です。」
「言うことはありません。私も澤さんを信頼します。」
反して葬儀の打ち合わせは簡潔に進む。祭壇は白菊とカスミ葬のみのシンプルな生花祭壇。数名の親族が参列するのみで、受付所や返礼品の準備はしない。但し山野辺の強い希望で明日二十二日の夜、自宅に納棺士を呼んでシャワー湯灌をすることに決まった。故人は風呂が大好きで、梓の力を借りて体が動かなくなるまで湯船に浸かっていたそうだ。そして山野辺の心身の負担を考えて、ご遺体は湯灌の後に式場となる延光寺に移動することになった。人目を避けるため、湯灌を午後九時に開始し、午後十一時に自宅を出発する予定だ。
「恭平さんと面会をしない計画で本当に大丈夫ですか?」
「ええ。親父の願いは叶える。でも、梓と私は恭平と二度と会わない。そう誓って今を生きています。会うのは簡単ですが、人生はそんなに簡単ではありませんから。」
「幹久さんは、パンはお好きですか?」
「え、パンですか?そうですね、米よりはパン派ですが。」
「食事の提案なのですが…」
「え、煮物やお寿司でなくて、葬儀にパンですか?」
「ええ。実は柔らかくて美味しいと、ご高齢の方々から好評のパンがありまして。」
あの男を呼び寄せるためには、この承諾を得なければならない。
「ええ。緊迫するのが目に見えますから、そういうのも面白いかもしれませんね。私の喉は通らないかもしれませんが、気にしません。澤さんに任せます。」
葬儀よりも高い警護費用を葬儀担当者が提示することに大きな違和感を覚えるが、それぞれの見積書を提示し承諾を得る。良かった。これで各方面に発注をかけられる。この後も仕事を続けるという幹久さんに一礼し会社を出て新橋へ向かう。
今日はもう一つ大仕事が残っている。
※
「おい!言い出しっぺが遅刻するって、あんた喧嘩売ってるの?」
串刺しにした大根を手に持った高姐が怒鳴り声でふっかけてくる。
約束から三十分遅れた午後八時半。新橋にある居酒屋に三人を呼びつけていた。
自分の奢りとはいえ、大食いのガチムチが右手で丼を掻き込み、左手に持ったスープを器用に流し込んでいる。
「嫁さんにろくに食べさせてもらっていないのか?」
「安心して下さい。毎日似たような味のパンと、商品にならない失敗作を吐きそうになるまで食べてます。」
「マッチさん、こちらが警護契約書です。サインを頂きました。」
「おう。じゃあこれで会社に話を通しておく。それにしてもお前には悪霊でついているんじゃないか?葬儀社に転職したっていうのに、警護から離れられないじゃないか。俺は「警護」と「調査」だが、お前は「葬儀」と「警護」の二足の草鞋で生きて行けばいいのではないか?」
「自ら望んでこうなっている訳ではないので。今の自分には葬儀が天職なんです。」
「何、いっちょ前のこと言ってんのよ!章兄のお別れ会でボロ泣きしてた甘ちゃんが。人前で彼女と抱き合っちゃって、見ていられなかったわ。」
「高姐だって朱音さんと抱き合って、ハチャメチャに泣いていたじゃないですか…それとガチムチ、喪主に食事の許可は頂いた。23日の夕食と24日の昼食よろしくな。」
「ミミガーっス。すいませ~ん!ガーリックライス大盛り下さ~い。」
基本的な警護内容は各自に電話とメールで伝えていたが、頼み事をする時は会ってお願いをすべきだと今日学んだばかりだ。それに現場で何か起きるかもしれないと考えると、この三人には事前に会っておきたいと素直に思ったのだ。
「何だかんだいって、結局こうして集まるんだよな~。」
小食のマッチはホタルイカの沖漬けをつまみながら、焼酎を嗜んでいる。
「そうね。今回は章兄の力じゃない。まあ、絶交している訳ではないのだから、成り行きに任せておけばいいのよ。依頼と銭を頂いたら、私達は警護するだけよ。」
高姐の無駄に大声に店主が反応する。
「お客さん、困りますよ。四人ともお知り合いでしょう?横並びで四つのテーブルを独占しないで、四人で一つのテーブルを使って下さいよ。」
「煩いわね!どう見たってこの店はガラガラじゃない!それに私達は知り合いじゃないのよ。入口が見渡せる壁沿いの席に座らないと、湿疹が出て、息が出来なくなる同士なの。世の中はあんたが思うより広くて、色んな人間がいるのよ!」
「そんな屁理屈聞けませんよ。これじゃあ営業妨害ですよー。」
「この大食いが一人で十人分食べるから今晩の営業は大丈夫でしょ。」
「まさか殺人者の警護をする日がくるとはなぁ。」
「マッチさん!声でかいっすよ。」
やっぱりこの三人といる何だかんだで楽しい。誰も気を遣わせなくて、その前に誰にも気を遣っていない。会話はいつも噛み合わないけれど、自然体でいられる。
― 狙ってなんかいねえよ。俺を狙うかのようにお前らが集まってきただけだ ―
そんなの嘘だってことは分かっている。入社順に高姐のT、次にマッチのM、そしてブアイのBに、ガチムチのG。四人の呼称をそのまま並べれば、T・M・B・G(チームボディガード)になる。
― そして俺のSと東條のPが頭に加わればスペシャルなチームになるって訳 ―
完全な狙いじゃないか。章兄に引き寄せられて、四人はワンチームになった。ガチムチと自分は会社を辞めてしまったけれど、こうして居酒屋で席を横並びにして、また四人でチームを組める。
グラスに注がれたウーロン茶を上にかざして章兄に「乾杯」をする。
結局、遅刻した言い出しっぺが酒の一滴も飲まないのは無礼だと高姐に絡まられたが、車で来ていることを伝え頭を殴られた。マッチには更に高額な警護費用をせびられ、ガチムチにはパンの発注を増やして欲しいと懇願された。そんな無駄話を長々と繰り返し、あっという間に時間が過ぎた。
明らかにここ最近で一番楽しくて、勇気が沸いた一晩だった。
※
十二月二十二日。
山野辺は普段通りに出社している。
彼女の親戚の葬儀を想別社で受けていて、葬儀に参列するため二十三、二十四日は有給休暇を取得しているだけの話で留まっている。今晩自宅で行われるシャワー湯灌は午後九時開始のため、定時帰りの彼女には問題がない。誰にも気付かれずに家を出発し延光寺に移動出来れば、それなりの安心を得られると感じていた。
自宅での打ち合わせを終えてから、山野辺は自宅での様子を小まめにメールで報告するようになった。ここまでは特に異常がないからか、(異常なし)の四文字だけが定期的に送られてくるだけだが脅迫状が届いていないことは朗報だ。
自ら立候補したこともあり、先月の十一月には社内で一番多くの葬儀を担当した。そのことから社内では(ヘラクレス澤)という称号が根付き、今日の午前中も進藤家とは別で担当する葬儀の打ち合わせが入っている。
「澤、おはよう。」吉竹課長だ。
「進藤様の葬儀は初めて利用する寺院式場だったよな?」
「はい。」
「練馬区の提携式場は少ないから、現場での情報収集を頼む。また式場を利用させて下さるようであれば、後日お寺様にご挨拶に伺いたいしな。」
「分かりました。」
あの住職のことだから、すんなり了承をいただくのは難しいだろう。そんなことや進藤家の葬儀と警護のことを考えながら、車で別件の打ち合わせへ向かう。今晩が湯灌と搬送。明日の晩が通夜。そして明後日が進藤恭平の出所と葬儀。脅迫犯の存在もあって気の抜けない時間が続く。
(あれ。何か息苦しい。)
運転中、次第に呼吸が苦しくなる。過労からだろうか。今年の健康診断では体の何処にも異常は無かった。まずい。意識が遠くなる。
咄嗟に寒さで閉じていた窓を開ける。
外気を思い切り吸って、徐々に意識がはっきりする。
そしてバックミラー越しに苦笑いする自身と見つめ合う。
進藤家のことを気にし過ぎて、当たり前のことを忘れていた。多めに積み込んでいたドライアイスの二酸化炭素により呼吸困難になっていたのだ。
(まったく。これでは新人みたいじゃないか…)
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせて車を走らせた。
※
「湯灌中は私がいるから、澤さんは自宅出発まで休んでいて。」
「お気遣いありがとうございます。」
午後九時。進藤家に二人の納棺士が来訪し、故人が眠る和室でシャワー湯灌が始まった。まずは専用のバスタブに故人を寝かせてシャワーの湯を浴びる。シャンプーで髪を洗うことができ、希望により遺族が参加することも出来る。
湯を浴びた後は希望の洋服を着せて、最後に死に化粧を施す。
「お父さん、最期にお風呂に入れて良かったね。」
和室の入口からレンズを曇らせた山野辺が声をかけ、隣に正座する幹久さんは初めて涙を見せた。故人の身体が洗われていく度に、これまでの二人の苦労も少しは削ぎ落とされて欲しいと願う。
逃げることなく進藤家を守って来た故人の顔に少し赤みが戻ったようで、何となく表情が以前より穏やかに見える。
家族の時間を邪魔してはいけないと、打ち合わせをしたリビングでパソコンを開く。二十七日が通夜式で旅行に行く前に準備を終える必要があり、午前中に打ち合わせを行った葬家の発注作業をする。入社して約一年半。体得したブラインドタッチで見積書に単価を入力し、各取引先専用の発注書フォーマットを作成。PDFにして電子メールを送付していく。
ふと、作業途中で手を止めたくなり、廊下を伝い外に出る。
真っ黒な東京の夜空に、何となく降雪を望んでしまう。
心象に浸りたいのではなく、沢山の白い雪が舞い落ちて、地球上の悲しみや汚れを洗い流して欲しいと切に願う。
一つの過ちが罪のない被害者を生み、家族は生涯拭うことの出来ない苦しみ負う。そして罪のない二人の加害者家族も、得体の知れない罪悪感と闘い続けている。
「山野辺。太陽もいいけど、月明かりもどちらかというと綺麗だよな。」
溜め込んだ溜息を出来るだけ吐いて、山野辺家の小さなに庭にスティックライトの光をあてる。長年放置された庭に咲き乱れる雑草が夜風に揺らされ、刈り込まれるの拒んでいる。その茂みに不要と判断された錆びた物干し竿が寝そべって、彼は直ぐに拾って欲しいと懇願している。
庭を進むと自宅裏の勝手口へ出る。目の前には巨大なマンションが立ち聳え、黄色と黒のパノラマが広がっている。湯灌の終了予定は午後十時半。午後十一時に寝台車に乗った山下が、人目を避けたこの勝手口前に故人を迎えに来ることになっている。
(オールクリフ。ここにはイブにノリコに、タカコもない。部屋に戻って作業を進めよう。あ、それに棺を包むようの段ボールの準備をしないと。)
― きゃはは お前らの罪が裁かれる極日まで あと2日だ ―
勝手口の扉に、赤字で書かれた張り紙が貼られている。
湯灌前に見回った時には無かったはずだ。
まだ近くに潜んでいるかもしれないと自宅周辺を探るが、二十四日の極日を待ち侘びる犯人が簡単に姿を現すはずがない。
捜索を止めて剥した張り紙を持って表玄関から自宅へ入る。
和室から出てきた山野辺がせっかく朗らかな表情をしていたのに、一瞬にして顔を強張らせてこちらへやってきた。
「警護の顔をしてる。来たのね。張り紙の主が。」
咄嗟に張り紙を背後に隠したが、こちらの表情だけで見破られてしまった。
「想別社さん、ありがとうございました。」
一仕事を終えた納棺士が専用車に乗って会社に帰っていく。
和室では、グレーのスーツを着てピンクのネクタイを締めた故人が、山野辺が選んだ羽根模様が入った紺色の棺の中で安らかに眠っている。
「お父さんは地元の町工場を経営して機械部品を製造していたの。でも、事件の後に工場は閉鎖。幾つかの職場を転々として、体を悪くする前は足の付きにくい日雇いバイトをしていたわ。寝たきりになっても、「儂はまだ働き足らない。働いて社会に貢献しないと罰が当たる」って言ってた。だからスーツを着せたのよ。天国か地獄。どちらに行っても働くのだろうから。」
「やはりまた張り紙が。」
幹久さんが神妙な面持ちで張り紙を見る。
「ええ。しかし、故人様がこれから延光寺に出棺されることは知り得ないはずです。これから迎えに来る同僚と周囲に注意しながら搬送すれば、犯人に故人様の居場所を知られずに葬儀を終えられるかもしれません。」
「そうですね。梓と私も周囲を見回ります。」
午後十時五十分。寝台車に乗った山下が裏口に到着した。
「山野辺さん、澤さん、お疲れ様です。」
「山下君、夜遅くにありがとう。叔父さんを宜しくお願いします。」
「え、ええ。」
慣れない山野辺の「律儀」に戸惑う山下と和室で出棺の準備をする。
「何でそんな大きな段ボールに包む必要があるのですか?」
「葬儀ごとにやたらと敏感なご近所さんがいるらしくてな。知られると後になって面倒らしいんだ。近所に黙って葬儀を終えるのは礼儀がなってないとかさ。」
「そ、そうですか。年寄りはもう寝ている時間だから大丈夫だと思うのですが…」
マンションに捨てられていた特大冷蔵庫用の段ボールを養生して棺を包む。故人には申し訳ないが、ストレッチャーに載せずに段ボールのまま車に収めれば、例え誰かに見られても冷蔵庫の運搬をしているだけだとカモフラージュできる。
「ではまた明日、式場でお待ちしております。」
幹久さんと山野辺に声をかけ、足音と物音を立てないように慎重に遺体を寝台車へと運ぶ。後部ドアを閉めた後、周囲に誰かいないかを確認し、「よし、行こう」と運転手の山下に伝え、寝台車は山野辺家を出発した。
「夜遅くにありがとな。」
「いえ、ヘラクレスの頼みですから。」
「ぬりかべがヘラクレスになったんだな…」
「ええ。会社の繁忙期を支える英雄ですから。」
山下が運転して、自分が助手席に座るのは奥田家のお迎え以来だ。
「と言いつつ、実際はぬりかべだなんて思ったことは一度としてありませんよ。澤さんには他人を愛することができる紳士な心と、ブレない信念がある。ただ経験が無かっただけで、担当者になったら会社を支える人財になるって分かっていました。」
「急にどうしたんだ?財布には千円も入ってないぞ。」
「僕の本心です。自らの命を懸けて他人の命を護ってきた澤さんには、僕や会社の皆にはない温かな正義が宿ってる。西岡さんの死で燻っていたかもしれませんが、今ではクリスマスのイルミネーションより輝いていますもん。」
「恥ずかしいな。でもお前の人生も輝いてきたんじゃないのか?一ノ瀬と手を繋いで歩いているのを見たよ。付き合っているのか?」
「え?人違いですよ。僕とモモちゃんが付き合っている訳ないじゃないですか。モモちゃんが好きなのはたぶん澤さんですから…」
言えない。一ノ瀬に告白されたことも。振ったことも。
「言っただろ、彼女がいるって。クリスマスは有給を取って、温泉旅行に行くんだ。そこでプロポーズしようと思ってる。」
「え、本当ですか!?いいな~、澤さん。指輪、買ったんですか?」
「ああ、大した金額ではないけどな。」
「羨ましい。でも、澤さんは真っ直ぐに頑張ってるから、幸せの方から澤さんに寄って来るのでしょうね。」
「お前だってずっと想別社で仕事を頑張ってるじゃないか。一ノ瀬が好きなら諦めずにアタックしてみろよ。」
「だから、モモちゃんと僕はそんなんじゃないですから。」
三十分もかからずに、同じ練馬区内にある延光寺に到着。
「いつもは十時には寝とるのだぞ。」
上着を羽織った住職は車まで迎えに来て、一緒に故人の移動を手伝ってくれた。
品格ある和室で段ボールを剥き、棺に入った故人へ新しいドライアイスをあてる。
進藤家を出発してから、追手が無いことは車中で確認していた。
山野辺は今日から独り暮らしをする自身の自宅へ帰る。帰路で不審を感じた際には直ぐに連絡をするよう伝えてある。幹久さんも同様だ。
「全身全霊で故人を護る。見てみろ、お主に感化されてこれを買ったんじゃ。」
― バチバチ ―
住職の手元でスタンガンが暴れている。
「もう遅い。今日は早く帰って心身を休めなさい。」
住職の心遣いに一礼して、山下の運転で自宅マンションへ送迎してもらった。
明日は悪夢のカウントダウンの前日だ。
犯人がフライングして進藤家に危害を加える可能性は低いかもしれないが、油断は出来ない。それに必死で進藤の名を守り、悲愴な晩年を過ごして来た故人が迎える最期の晩を汚すことなど許さない。
眠る栞を横目に、久しぶりに遺書を書いた。
「ごめん」と心で何度も訴えながら、ありったけの愛を紙に綴った。
― 第五章 「再会」 第二話 完 ―
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