2.運命の人と信じて疑わない私の心を弄ぶなんて許せない

「先生。にいじまさんは何もしてないし何も知りません。……俺が勝手にやったことだから。始業式と実力テストがあった日の放課後。新嶋さんが提出してその場を離れた直後に、俺が勝手に〝新嶋〟という苗字だけ消しゴムで消して、俺の苗字である〝おおみや〟に書き換えました」


 が先生にそんなふうに説明したことがきっかけで、私は三日前の出来事を思い出した。

 始業式と実力テストが終わった日の放課後に、私は家に忘れてしまった音楽のレポートを取りに戻った。

 忘れた言い訳をさせて欲しい。

 音楽の夏課題は、クラッシック音楽を演奏しているテレビ番組を鑑賞して、レポート用紙に自分の感想を書く。

 そんな自由研究や読書感想文に比べると手間暇がかからない課題だったため、七月中に済ませることができた。

 済ませた後に、音楽のノートの間にレポートを挟み、机の棚に立てて置いた。

 これがよくなかったのだと思う。必ず学校に持って行くファイルの方に入れておけば、忘れることはなかったはずなのだ。

 提出期限前日になって、レポートをノートに挟んだことをすっかり忘れていた私は音楽のノートを鞄に入れなかった。そして、忘れたことに気づかずそのまま登校した。

 はい、言い訳タイム終了。


 走って取りに戻った私は、レポートを提出するために音楽室に向かった。音楽室前の廊下に到着した時、私と同じで、家に忘れてしまったらしい琥央と遭遇した。

 私が忘れた理由を説明したら、何と! 理由まで同じで、嬉しさで胸がいっぱいになり思わず笑みがこぼれた。

 ここで終わりだったら、楽しい思い出になったのになあと思う。


 けれども、この出来事にはまだ続きがある。

 琥央曰く、音楽の先生は体調不良で欠席しているそうで、生徒は皆、廊下に置かれている収納棚にレポートを提出していた。

 最後に提出したことがバレないように、私と琥央はみんなのレポートの紙の真ん中ら辺に自分たちのものを入れ込む。

 無事に提出し終えて内心ほっとしながら帰ろうと背を向けた、私の腕を掴んだのは琥央で。

 掴まれた瞬間、本当に心臓が飛び出そうになるぐらい驚いた。

 おれ。ずっと。おまえ。

 もっと驚いたのは、いつも聞き取りやすい声ではっきりと喋るのに、急に外国人のように片言の日本語を喋り出したことだ。

 驚いただけではなく、並々ならぬ恐怖を感じた私は琥央の手を思い切り振り払った。

 私には、琥央が何を言いたいのか全く分からなかった。

 私はモヤモヤしながら、琥央から逃げるようにその場を後にしたのだ。

 まさか、私が走り去った後に、私のレポートを取り出して苗字を書き換えたというのか。ていうか、シャーペンと消しゴムは偶然持っていたのだろうか。

 そもそも、何で書き換えたのか理由が分からない。


「どうして、書き換えたの?」


 先生も不審に思ったらしい。さっき私にしてきた質問を、同じトーンや声で、今度は琥央にする。


「それは……」


 琥央が言い淀んだ直後、


「新嶋に結婚して欲しいからに決まってるっしょ」


 真ん中の列の左側、一番前の席に座っている男子がはっきりと言い切った。


「逆にそれ以外に理由ある? なくね? あっ。そういや、結婚式のお祝儀はいくら包めばいいよ?」


 クラスのお調子者である彼はからかい口調でそう続ける。


「結婚!?」


 結婚。結婚。クラスの男子たちが一斉に囃し立てる。


「コングラッチュレーションズ!! 琥央アンド新嶋ちゃん♪」

「ベストウィッシーズ!」

「おめでとう!!」

「永遠に幸せになれよ!」


 パチパチと拍手する者やヒューヒューと口笛を吹く者まで現れる。私は気づけば眉間に皺を寄せていた。

 みんな楽しそうで何よりだ……。いや、うるさい。みんな、面白がってるだけだ。

 琥央と両想いなわけがない。結婚して欲しいなんて思ってるわけがない。形だけのふざけた祝福なんか、ちっとも嬉しくない。


「もう男子! マジでうるさいし、いろちゃんスッゴく嫌そうな顔してるからやめて」

「静かにして。マジ迷惑〜。返却進まないでしょ」


 よかった。私同様に女子たちは目を細めて呆れている。

 しかし、返却が進まないことに関しては、黙り込んでいた私にも責任があるから、申し訳ないと感じた。


「そうだ、静まれッ! 俺たちは結婚してねぇし付き合ってすらいねぇし気が早ェよ! ぜってえ冷やかして楽しんでるだけだろお前ら!!」


 さすがに我慢できなくなったらしい。その場で大人しくしていた琥央が声を張り上げる。


「はいはい、お前が一番うるせぇよ。俺たちみんなピュアな気持ちで祝福してんのに酷ェ……。ああ、そっか。照れてるだけか。照れんなって。新婦、大宮琥央サマ」

「新婦じゃねぇよ。新郎だ」


 ニヤニヤ笑うクラスメイトに琥央が素早く突っ込んで、


「いや新郎でもねーよバカ!」


 気づいた琥央が再度突っ込んだ次の瞬間、どかっと笑いが起こって、静まるどころかますますド派手に盛り上がる。

 心配になったのか、琥央がこちらの機嫌を窺うような目を向けてきた。

 もう、琥央のせいだからね。なんて、クラスメイトの前で言えるはずもない。

 せめて怒っていることを伝えるために、私は琥央のことを睨んだ。直後、琥央は奥二重できりっとした目を大きく見開いた。

 でも、これはきっと、驚いたふりで演技に違いない。


『新嶋に結婚して欲しいからに決まってるっしょ』


 お調子者の彼が言ったこの一言を、私が間に受けていると勝手に誤解して、内心爆笑しているに決まってる。

 運命の人と信じて疑わない私の心を弄ぶなんて許せない。

 拳を強く握り締めて、今度は思い切り睨みつけてやった。

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