冷房不要
星雷はやと
冷房不要
「あの……自分は暑がりで……なるべく北向きの部屋が良いのですが……」
蝉の声が鳴り響く街中、不動産屋の白井さんに先導されながら歩く。照り付ける太陽の光が、じりじりと肌を焼く。汗を何度拭っても、滴り落ちる。俺は極度の暑がりであり、汗かきなのだ。
光が沢山入る南向きの部屋は明るくて好きだが、冷房費がかなりかかる。何せ真冬でも暖房要らずで、冷水やアイスを頬張る程だ。ダウンコートや帽子やマフラーといった防寒具とは無縁の人生を過ごしてきた。その為、夏の到来と共に北向きの涼しい部屋を求めて不動産屋の扉を叩いたのだ。
「大丈夫ですよ。お任せください。丁度、石塚様にピッタリの物件がございます」
俺の担当者になった白井さんは、爽やかな笑顔を浮かべる。彼は店で俺が条件を伝えると、良い物件があると早速内見に行くことになったのだ。白井さんを見るが、彼は汗一つ掻くことなく涼しい顔をしている。
〇
「こちらですよ」
「なんか……いいですね」
白井さんに案内され辿り着いた先は、平屋の一軒家だった。駅から十分程の距離にあり、大通りから一本入っている為とても静かだ。そして何より流れる風が、頬を撫で心地良い。
「それは良かったです。こういうのは第一印象が大切ですからね。さあ、中に入りましょう」
俺の感想に彼は笑顔を浮かべた。不動産屋としては、客の印象がいいことが嬉しいのだろう。声も弾んでいるように感じられる。そして彼はポケットから鍵を取り出すと、玄関ドアを開けた。
「お待たせしました……あ、すいません電話が……。ご自由に見て回ってくださいね。特にお勧めは、一番奥の北向きのお部屋です」
「……はい」
靴を脱ぎ、家へと上がる。するとひんやりと冷たい空気が俺を包み、心地良さから息を吐く。夏場の昼間でこの温度は嬉しい。雨戸を開け帰って来た白井さんの携帯電話が鳴り、彼は外へと出た。
「一番奥の部屋か……」
俺は光が差し込む縁側とは反対の方向に足を進めることにした。一歩一歩進むにつれて、冷気が強くなるのを感じる。寒くはないが、汗はとっくに引いた。北向きの部屋というだけでこんなにも、涼しいものだろうかと少しだけ不思議に思う。だが、此処ならば快適に生活することが出来るのは確かだろう。
「此処か……」
廊下の一番奥の部屋に辿り着き、閉められている襖を開けた。
「……っ! 冷房でもついているのか?」
開けた部屋の空気の温度に驚く。まるで冷房をかけているかのような冷たさだ。暑がりの俺の為に、冷房をかけておいてくれたのだろうか?それにしても設定温度が低すぎる。薄暗い部屋の中に足を踏み入れた。
「……あれ? でもあの時……」
部屋の中心までくると、吐く息が白くなり手足がかじかむのを感じる。白井さんはあの時、目の前で雨戸を開けていた。部屋の奥、つまりこの部屋には行っていない。更に言えばこの家を訪れることは、今日俺は不動産屋を訪ねたからだ。事前にこの部屋に冷房を入れおくことは不可能だ。周囲を見渡すが、エアコンの稼働音もランプの明かりもない。
ならばこの冷気は何処からやってくるのだろう。木造住宅故の隙間風の可能性もあるが、全身を吹き付ける風はその範疇を逸脱している。
「さ……さむい……」
俺は今まで二十数年間、一度も感じたことのない寒さを感じている。小刻みに震える体を抱きしめるようにして部屋を出ようとした。
「おや、お気に召しませんでしたか? 石塚様」
「し……白井さん……」
振り向くと、部屋の入り口に白井さんが立っていた。逆光で彼の表情は見えないが、俺の様子は向こう側からははっきりと見えている筈だ。助かったと、彼に向かって歩き出そうとしたが足が縺れ転んだ。
「貴方も駄目ですか」
「……えっ……」
体が寒さで固まり受け身を取れず畳へと転がった俺に、彼は溜息を吐く。白井さんは何を言っているのだ?何故、助けてくれない?彼には俺の現状が見えている筈である。
「た……たすけ……」
呼吸するのが苦しい、舌が縺れる。手足の感覚はない。強い睡魔に襲われながら、俺は白井さんに向かって声をかけた。
「残念です」
無慈悲な声と共に、襖が閉じられた。
冷房不要 星雷はやと @hosirai-hayato
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