第15話 会う? 逢う? 合う? 異字同訓の話

 20年以上ひとつの作品を書き続けてきたのに、いまだによくわからないものがあります。

 それは、同じ音なのにどの漢字を当てればよいのか迷ってしまうことば。

異字同訓いじどうくん」です。


 たとえば動詞の「うつ」。

 音はまったく同じなのに、漢字には「打つ」と「撃つ」と「討つ」が出てきます。

 今書いているこの文章には、どの漢字を使えばいいんだろう?

 変換の手を一瞬止めて考えます。


 他にもこんな異字同訓があります。

「あう」…「会う」「逢う」「合う」「遭う」「遇う」など

「きく」…「聞く」「聴く」「効く」「利く」「訊く」など

「みる」…「見る」「観る」「診る」「看る」「視る」など


 これ以外にも、数え切れないほど異字同訓が存在します。

 

「聞く」と「利く」などは明らかに意味が違うし、「見る」と「診る」もニュアンスの違いは漢字を見ればわかります。

 でも「会う」と「逢う」と「遇う」の使い分けは?

「聞く」と「聴く」、「見る」と「観る」はどう使い分ければいい?

 なかなか難しい問題です。



 これについては、国語審議会漢字部会というところで1972年に同訓異字の用例を上げました。(1) 

 文化審議会国語分科会でも、2010年に用例を追加し、2014年には見直しを行っています。(2)(3)


 2014年の見直しを見てみると、例えば「あし」ということばの漢字はこんな使い分けになっています。


「足」…足首から先の部分。歩く,走る,行くなどの動作に見立てたもの。

  例)足に合わない靴。足の裏。

    足しげく通う。逃げ足が速い。出足が鋭い。客足が遠のく。足が出る。

「脚」…動物の胴から下に伸びた部分。また,それに見立てたもの。

  例)キリンの長い脚。脚の線が美しい。机の脚(足)


 要するに、英語のfoot(フット)に相当するのが「足」で、leg(レッグ)に相当するのが「脚」ということのようです。


 が。

 小説を書いている皆様は、この用例通りに漢字を使い分けしているでしょうか?


「足」は足首から先の部分だよ、そこから上は「脚」だよ、ということなら、「足を組む」とか「手足が長い」なんて言うときの「足」は本当は「脚」が使われるはず。

 厳密に「足」と「脚」を使い分けている作家さんもいらっしゃるとは思いますが、「てあし」を「手脚」ではなく「手足」と書く方は多いと思います。


 …………


 異字同訓は、古くからの日本語「やまとことば」に中国の言語である「漢字」を当てはめたときに発生した現象です。


 「やまとことば」には元々文字が存在しませんでした。

 でも、それでは不便だというので、3世紀頃から、隣の中国(当時は漢の国)で使用されていた文字を導入して、やまとことばの音ひとつひとつに漢字を当てるようになりました。

 この漢字から万葉仮名が生まれ、今使われているカタカナやひらがなが生まれていきます。


 その一方で、漢字はそれぞれの文字が意味を持っていたので、意味に合わせて漢字を使うようにもなりました。

 色の「あお」には「青」という漢字、という具合。


 ところがどうも、中国の漢字は日本のやまとことばより複雑だったと言うべきか、やまとことばが大雑把だったと言うべきか。

 ニュアンスの違いという問題が発生してきます。

 やまとことばでは「あお」は青色だけでなく、緑色のことまで言っていたのです。

 今でも「木々が青々と茂る」と言いますが、この「青々」の青はblue(ブルー)ではなくgreen(グリーン)です。

 信号も渡っていいランプの色は緑色ですが「青で渡ろう」と言いますよね。


 やまとことばは本来シンプルな音の組み合わせで、ひとつのことばが幅広い意味を包括していたようです。

 ところが漢字のほうは一つ一つの文字がかなり厳密に意味を使い分けている。

 なので、やまとことばでは同じことばだったものに、漢字の意味に合わせて漢字を当てていったら、異字同訓のことばがたくさん発生してしまった。


 ……とまあ、こういうことのようです。


 先に例に挙げた「あう」だって、本来は単に2つのものが出会うことをさしていたのですが、それが人なら「会う」や「逢う」、それが物だったら「合う」、人が災厄にときには「遭う」と、意味に合わせて漢字を当てていったので、「あう」ということば一つにたくさんの漢字の使い分けが発生してしまったのですね。


 漢字を使うと、その文字を見ただけで意味やニュアンスがわかるので便利なのですが、あまり用例が厳密だったり複雑だったりすると、考えるのが大変になってきます。

 さらにそれを「その使い方は誤っている!」と鬼の首でも取ったように指摘したりする方もいるので、「いや、それは元々別の国のことばを合体させた『ずれ』の問題なんですよ。その使い分けが絶対というわけではないんですよ」と言いたくなります。


 それでも、一つの作品の中で同じことば・同じような用例に違う漢字が当てられていると、文章がぶれて感じられるので、一つの漢字に統一したいとは思っています。

 ところが、そこに、パソコンやスマホの日本語入力システムによる「変換候補」が絡んでくるから、いっそう漢字の使い分けがわからなくなってくるのでした。

 どうしてバージョンやタイミングによって違う漢字を第一候補に挙げてくるんでしょう。前回自分が使った漢字を忘れて、意味が似た違う漢字を使ってしまうことがよくあります。

 異字同訓は本当に手強いです……。


 長くなりました。

 このテーマについては、機会があればまたいつか。




1) 1972年 国語審議会漢字部会『「異字同訓」の漢字の用法』https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/kento/kento_04/pdf/sanko_2.pdf


2)2010年 文化審議会国語分科会『「異字同訓」の漢字の用法例(追加字種・追加音訓関連)』

https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/sanko/yohorei/pdf/yohorei.pdf


3)2014年 文化審議会国語分科会『異字同訓の漢字の使い分け例(報告)』

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/ijidokun_140221.pdf








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